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倉敷その2・・、アイビースクエアで昼食を済ませたあと、
隣接する倉敷美観地区に散歩に出ました。
まずは中心部、定番のところから、倉敷館と中橋。
洋風建物である倉敷館は旧倉敷町役場。現在は案内所になっています。
関東人の私などは、岡山と言えば倉敷、倉敷川沿いの柳と白壁の風景をイメージします。
少しだけ歴史を勉強すると、江戸幕府が天領と定め、備中の物資が集められたところ。
倉敷川も物流の役目を果たしていたとか。
以前に出張で夜に少し歩いたことがありましたが、
昼間に訪れたのは初めてで、大原美術館など、金曜日でしたが沢山の人が出ていました。
写真では人の切れ目を狙って撮っています。
「美観地区」というだけあって、整備された町並み白壁が美しい・・。
さすが国が指定する伝統的建造物群保存地区です。
旅館や商業施設が現役です。 偶然、和服の方が通りかかり、外国人の人が何やらつぶやいていました。
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◆◆岡山◆◆
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今日から11月、今年も早いもので残り2ヶ月となりました。
毎年この時期の週末は紅葉の撮影にそそくさとしておりましたが、
今年の紅葉は随分遅れているようで・・・
先週末は毎年恒例、両親への接待旅行でした。
(接待といっても費用は両親持ちですが、笑・・)
そんな訳でスタートは倉敷で人と逢うところから、
昼食と観光を兼ねて古き良きホテル「倉敷アイビースクエア」です。
目的は会食であったため、独り立ち止まって撮影することが出来ず、
”撮っては走りながら・・”の撮影ですが、
それでも、赤レンガを使った重厚なたたずまいは歴史を感じさせられるものでした。
明治時代に造られた紡績工場を大幅リフォームして、
宿泊施設やレストランなどに生まれ変わっています。
デザインは英国式とのことで、
また建物を取り囲む蔦(つた)も有名です。この夏は自然の断熱材として活躍したのでしょうね。
赤レンガとの色彩がいい味を出しています。(少々枯れ気味ですが・・)
結局、建物を歩きながら一周しただけでしたが、
ここは画になる写真の宝庫に感じられますね。時間無くちょっと残念・・。
このあとは倉敷の倉敷らしい美観地区へつづく。
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昨日、所要で岡山に行った時、
道端に咲いていた「キバナコスモス」
あまりに鮮やかだったので、
路肩にクルマを寄せ,、ハザードを付けて5分・・、
オレンジコスモスと呼ばれることもあるようですが、
オレンジ色のものも含めてキバナコスモスと呼ぶようです。
隣りの稲穂も垂れていて、秋景色・・。
涼しくなり、何をするにも絶好の季節。
ちゃんとクルマを停めて、腰を据えて撮りたくなりました。 |
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土曜日、半分仕事で半分OFF。 岡山からの帰り道、なんとなく寄ってみた笠岡市の古城山公園です。(ネタ不足の折のUPです・・汗) 公園の展望台から。カブトガニの生息することでも有名な笠岡湾。(右上) しかしすっかり干拓されてしまい、今では絶滅寸前とのことです。 実際のカブトガニ自体はかなり得体の知れない動物で気持ち悪いのですが、一度は見てみたいかも。 カブトガニ博物館なるものもあるらしいですね。 今年最後であろう花見。笠岡市でも散り始めといったところでした。 【17:00】夕方、サクラの見納めです。日も長くなりました。 この提灯も今週まででしょうね。 真っ白なサクラ。サクラかな? 葉桜になっていましたが、清楚な感じで、見慣れたソメイヨシノより新鮮。 <おまけ>古城山公園を後にして初めて行く福山城へ。
三脚を持っておらず1枚だけ手持ちです。こちらでも最後の花見と宴会が沢山行われていました。 サクラが終わると少し寂しくも思いますが、 このあとGWに向けていろいろな花が開花しますね。 今年も楽しみです。 |

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先週末の鳥取出張帰り、岡山ルートで帰ることにして、 倉敷の美観地区に寄り道しました。 到着したのは21時前、「予想外にいい雰囲気じゃん!」と思っていたら、 21時を過ぎると、建物に向けた照明はOFFになり、うす暗くなってしまいました。残念・・。 しかも雨が降り出し、テンション↓、もう少し早く来ていればと・・ しかし、おかげでほとんど人がいません。道のド真ん中に三脚立てても全く問題なし(笑) 美観地区中心部。 大原美術館横のわき道。小雨が降っているせいか「しっとり」としていい感じです。 日本郷土玩具館。白壁が美しい。 美術館や考古館、記念館など、歴史を感じる商人の町は見るところが沢山。 今度はもう少し早く来てみよう。 >倉敷美観地区HPより、:倉敷川沿いにたたずむ蔵屋敷、このようなたたずまいは、 江戸時代に入って、特に寛永19年(1642年)幕府の直轄地である天領となってから形成されていった。 直轄地となり、代官支配を受けてからは、新田開発による農地の増加、 綿花の栽培による商工業の発展により、周辺から多くの人々が流入するようになる。 備中、美作、讃岐の米、綿、油などが陸路、水路を通じて集荷、搬出されるようになり、
一大商業地として繁栄。川沿いには綿花問屋、米穀・肥料問屋などの倉庫が次々と建てられた。 往事の倉敷川周辺では、物資を積んだ船から集荷をおろす人々や、それを運ぶ大八車の往来で 大変賑わったといわれる。 |
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