ここから本文です
ブログ始めました!

書庫過去の投稿日別表示

全1ページ

[1]

アントキノワタシ

イメージ 1
思い出されて仕方がないので、ちょっと昔の話をします。

夫と結婚するとき、夫が転勤族だったこともあったし、昔だったので奥さんになるというのがひとつのゴールみたいだったこともあったのか、「イラストレーターになる、という夢はこれでおしまい」と、自分で思い込んでしまった。

子供も生まれてくるし、引越しもするし、思ってもいなかった海外転勤の話がきて、なんだかわーっと毎日が過ぎていったのでした。そんなとき、甲状腺の病気にもなったりした。それもまあひどくならずに済んだのですが、大きな病院の地下の放射線を扱う古くて暗い病棟に降りていくエレベーターが、どこまでも深い場所へ下りていくような気持ちがしたことをなぜかはっきりと覚えています。

ロンドンに着いてからは、そこに根付くまでが大変で、子供にかかりきり。夫は仕事仕事でけんかばかりでした。今にして思えば、お互いに余裕がなかったんだな。3年くらい過ぎて、子供たちも学校に慣れ、ホッとしたら、急に一人の時間ができました。ほんの短い間だけれど、自分に戻る時間。その自分と、お母さんや奥さんである自分との間にものすごく距離があった。お母さんや奥さんの顔が外側にあるのだけれど、その内側のずっと奥のほうに本当の自分がいる。その二つはまったく交わらなくて、パラレルな世界で、その間にある頼りないはしごを行ったり来たりするような感じにちょっと疲れました。

そのうちに、自分のそばに男か女かわからない、すごくきれいな天使みたいな人がいて、自分を慰めたり、励ましてくれる、という妄想にとりつかれてしまいました。あぶないなー。そんなに淋しかったのかなー。

そんなときに、ユング心理学の勉強会と、銅版画に出会いました。
他の奥様たちが刺繍とか、手芸とか、フラワーアレンジメントとか、シャドウボックスとかをやっていても私はどうしてもなじめず、何をしていいかわからなかった。そんなある日、リバティで一枚のエッチングを買ってから、こういうものを自分も作ってみたい、と思ったのが始まりでした。アートスクールを教えてもらってそこを訪ね、花瓶に挿した花の絵を描きました。それを刷ったときの歓び!

ユング心理学は、ロンドンではほんのきっかけで、日本に帰ってから本を読みまくりました。これまた、これだ!と思い、スポンジのように吸収しました。
私に話しかけていたのは、アニムスだということまで、ちゃんとユングの本には書いてあり、それが多くの場合、男か女かわからない、神性を持った美しい人の姿をとって現れ、その人の魂を活気づけ、その人本来の生き方に導く存在、と書いてありました。

私はあのとき、確かに自分の中のアニムスに助けられ、導かれたのだと思います。絵を描き始めてからは、その人はもう姿を現しません。そして、絵を描き始めてから、袋をぐるりと裏返したように、自分の内面が外に出て、それから乖離していた外側の顔と内側の自分が一つになり、永遠に交わらないと思っていたパラレルな世界が一つになりました。

今でも、昔の写真を見ると、自分ではないような気がすることがあります。喉のところにある甲状腺の病気になったのも、喉のところには表現をつかさどるチャクラがあるとされていて、本当は表現しなければいけない私なのに、そこに蓋をしてしまった状態だったわけで、ある意味納得。

版画を始めたころ、友達に「素敵じゃない。自分で描いた絵を部屋に飾ってお茶を飲むなんていいじゃない。」と言われ、それもいいな、と思ったけど、どこかでそれだけじゃダメ、とも思っていた。
そうだ。それから、夫に「版画はすごくおもしろい。とことんまでやってみたい。」とも言ったっけ。あの頃、怒ってばっかりいた夫だったけど、「やればいいじゃない」って言ってくれたんだった。ありがとね。

この記事に

そろそろ・・・

イメージ 1
なかなかゆっくりとものを考えたり、書いたりする時間がなく、つい手軽なfacebookばかりになっていました。
お正月明けにロンドンに戻ってきて、ロンドン通信もちゃんと書こうと思ったのに。

2年間の夫の赴任が終わり、5月3日に帰国することとなりました。成田に着くのは翌日です。

まさかもう一度、ロンドンで暮らすことになるとは夢にも思っていなかったのに、再びこの街へやってきて、「住むところなんてあるんですか?」と聞かれるような街のまんなかのアパートで、以前とはまた少し違った経験をしました。

そしてもう一つ、帰る間際になって思いがけないことがありました。
3月の初めに見知らぬ方からメールが来たと思ったら、東京の出版社の方からで、梨木香歩さんの新作の表紙に私の絵を使いたいというお話でした。4年前に、青山のギャラリーハウスMAYAさんで装画を描くコンペティションに出品し、ブックデザイナー名久井直子さんの賞をいただいたのがご縁で、名久井さんが選んでくださったのでした。

大好きな梨木さんの作品の表紙とは、大変光栄なことです。

締め切りは3月末ということでした。原稿がロンドンに届いたのがすでに9日。日本で通っていた工房と違い、こちらでは週に1日しか行けないのでどうしたものかと焦りました。アートスクールに掛け合い、他の曜日にも作業させてもらうことにし、先生もどうしても間に合わなければ先生のスタジオを使ってもいいと言ってくださり、ありがたいことでした。

メールでラフを送って描き直したり、連絡を取り合う。時差も8時間あるので大変でしたが、時間も場所も越えて、こうして仕事ができるとは、なんと素晴らしいことでしょう。

梨木さんの作品は、なぜか私の身の回りにいる人々の境遇にとてもよく似た内容の物語でした。人生は、思い通りに行かないことがたくさんあるけれど、過去を変えることはできないけれど、その過去のためにたとえ自分がパーフェクトでなくても、重いものを背負っていたとしても、それでも前に進んで行こう、少しでも光の射す方に。
そんな物語だと思いました。

賞をいただいた翌年、MAYAさんで個展をしたときに出品した『アネモネ』の少女を梨木さんが主人公のイメージにぴったりと言ってくださったそうで、メインの絵はそれをそのまま使うことになり、そのほかに内容と関係のあるモノの絵を数点描きました。

時間がないので、手彩色でというつもりでしたが、「やっぱり色も版画で」ということになり、アクアチントの版を重ねることになりました。水彩とも違う、均一なマットな着彩とも違う、アクアチントの色の入り方。微妙ですがやっぱり違うのです。それでまた工房へ。おかげで今まで話したことのない先生とも話ができたりして、それも楽しかったのでした。

3月の終わりに何とかすべての絵を東京に送りました。もうすぐその本が出版されます。
以前ロンドンに住んでいたときに始めた銅版画。
銅版画に巡り会うまでの出口のないトンネルのような気持ちが、今日はなぜか思い出されて仕方がありませんでした。
私もまた、いろいろなものを引きずりながら、光の方へと歩いてきたのかなあ、と思いました。

写真はお籠りしていた3月のリビング。ドアにはってある絵は没になったのだけど、作品としては完成させるつもり。

この記事に

全1ページ

[1]

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事