|
精神を萎えさせないためには、常に勇気を持って挑戦した人たちの
仕事をみること(安藤忠雄)
グラウンドワーク三島で繰り返し頭に浮かんだのは、「勇気を持って挑戦した人たちの仕事」という安藤忠雄の言葉だった。ホントすごい〜!メチャ元気になる〜!かなり後ろ髪を引かれつつ、次なる目的地に向かう。
富士山を望む河口湖畔にたたずむ
久保田一竹美術館
久保田一竹は、これまた「勇気」とか「挑戦」という言葉がピッタリの染色芸術家。それはそうと、河口湖の旅館や温泉で「富士山に登るんですか?」と聞かれまくったけど、これって夏の河口湖の定型挨拶なのかな。大阪の「儲かってまっか?」みたいな。
で、久保田一竹美術館。本館には、45連作がずらりとかけられていた。それぞれの着物が、ゾクゾクするような繊細な色合いで染められているのだけど、最後に中央の高台に立って見渡すと、全体で巨大な絵巻物になっているのがわかるという仕掛け。圧巻〜!!
ちなみに一竹辻が花は、繰り返し30回ほどの染めを繰り返したもの。色を重ねても、色が濁りにならず、深みが増すという勘どころは、二十数年間、世の中との接触を絶って研究に没頭してようやくたどり着いた秘術。
きっかけは、東京国立博物館に展示されていた、室町時代の辻が花染めの切れ端を見て、その美しさに魅了されたことだったと言う。ちなみに辻が花は、室町時代に栄え、小袖などに使われていたが、江戸時代になると友禅染にとって代わられ、こつ然と姿を消した幻の染めもの。実際、一竹も友禅染の職人として、染色の世界に入っていたのだった。
辻が花染めとの出会いが、一竹、二十歳の時。それから徴兵にとられ、ソ連への抑留などを経て、復員したのが三十一歳の時。がむしゃらに手描き友禅の仕事をして、とにかく五年間の生活費と研究費を貯めて、辻が花研究のスタートを切った。
五年間、精一杯に努力すれば何とかなるだろう・・・という読みは誤算だった。辻が花の技術は全てが歴史の中に葬られており、一竹は全てのプロセスを試行錯誤していかなければならなかった。
これだ!という手ごたえを得た時には、研究を始めてから二十年が経過していた。とてつもない赤貧。蓄えは底をつき、今日子どもたちに食べさせるものがないという心労は、いくらシベリアで苦労を重ねたとしても、比べられるものではなかったと言う。
久保田一竹自叙伝☆
こうして苦闘の末に世に出た一竹辻が花は、日本のみならず欧米でもセンセーションを巻き起こし、1990年にはフランス政府より、フランス芸術文化勲章シュヴァリエ賞を受賞。フランスと世界に芸術的な影響を与えたことが受賞理由だった。そして、1993年には日本政府より、文化長長官賞を受賞。世界に先駆けて一竹を認めたのは、フランス政府だったってことで、自分の目への絶対の「自信」と「勇気」は、サスガ〜☆
|