蒼い鳥 no たびだおれ

どこかで遊んできた気分になりたい時に☆忙しいあなたに代わって、蒼い鳥が旅します! norikomazda@yahoo.co.jp

ガーナでのお仕事

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今回、広島で会ったピーターさんは、ガーナ教育省の職員。私が赴任していた時には、何かと世話を焼いてくれ、お正月には、自宅に招いてくれたりもした。
 
そのピーターさんが、広島大学の修士課程に留学することになったのが、もう1年半前。あと半年で帰国すると聞き、その前に是非会っておこう!と足を延ばしたというわけだ。
 
研究の方はどう?と聞くと、順調そのものらしい。ただ、ピーターさんには1つだけ心配があって、既に100kgを超える荷物をどうやって持ち帰ろうかと思いあぐねているそうだ。ガーナで何かビジネスでも始めるつもりなのかとたずねると、「ノリコ、ガーナの文化を思い出してよ」とのこと。そうだ、ガーナはお土産文化だった☆
 
奨学金をもらって留学した場合、その家族、親戚、同僚、そして知り合いは1人残らずお土産を期待していて、帰国後、万が一にも渡しもれがあった場合には、深刻な禍根を残す。それだけは避けなければと、ピーターさんは、毎月2万円をお土産代と決め、広島に着いたその月から、こまごまとした小物を買い続けているのだそうだ。その袋が、部屋中にうず高く積まれていて、それはピーターさんと同期のガーナ人も全く同じだと言う。
 
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やれやれ・・・。私が日本に一時帰国した時のお土産は、毎回、真っ赤なガーナチョコレートと決めていたが、そんなに簡単じゃいけないのかなぁと思いつつ、実はこの壮大なお土産プロジェクトを誰よりも楽しんでいるのは、ピーターさん自身だったりして☆

ビバ週末!

ゆっくり本を広げるとすれば、広々としたリゾート・ホテルの中庭だ。静かな水辺の席がいい。冷たいビールも欠かせない。断然!

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こういう楽しみがあったことを久しぶりに思い出した☆彡

ちなみにガーナに赴任中の4年間、私は毎週末のように車を飛ばして海に向かっていた。のんびりと本を読んで過ごすためだ。

それはアフリカのこと。
いつもは帰宅するたび、まず家の外灯が点いているかどうかが気になった。

点いていれば、今夜は電気があるってことで、
暗ければ、キャンドル・ナイトってこと。
電気があっても、水が出ているとは限らない。
電話が通じない日があっても驚かなくなった。

自宅しかり。職場しかり。現場しかり。

あの4年間、とにかく何の心配もせずにくつろげるのは、週末のリゾート・ホテルだけだった。そして私はそこでひたすら本を読みふけっていた。帰国前に、日本人会の図書室に寄付した本は、大き目のダンボールに20箱以上あったから、読みふけったというのは誇張なしだ。なぜか「ゴルゴ13」とかもあって、荷造りを手伝ってくれた大使館の子に笑われたんだけど・・・。

とまぁ、今日は、久しぶりにそんなことを思い出すような贅沢なひと時を過ごしたわけだ。と言うか、あれほど定番化していたことをすっかり忘れていたことに、我ながら驚いた。今や毎日、電気と水に不自由しない暮らしができるようになったお陰かな。
TICAD IV会場の横浜では、「アフリカ月間」。地下鉄も1駅1国運動と銘打って、国旗や情報のパネル、子どものかいた短冊や絵などが貼られていると、横浜在住の友だちが教えてくれた。一方、「アフリカ週間」と掲げた私のブログは、さぼったりもしたけど、アハ、これがアフリカ風ののびやかさだとごまかしておこう☆

百聞は一見にしかずというのは、けだし名言。実際に日本に足を運んでもらって、自分の目で見てもらうというのは、ホントにすごいことで、欧米とはしょっちゅう行き来しているガーナ教育省高官たちも、地球を半周回って日本に来て見て、開眼!というくらいに興奮してしまうようだ。わかるよ!日本で生まれ育った私でさえも、成田に着くたび、スーツケースの配達日時を2時間ごとの細やかさで指定できるというサービスには、びっくりしてしまうもん。荷物は無事に届けばオンの字というユルイ世界も、地球上にはたくさんある。モテのために痩せたい国と、餓死していく国。引きこもりがはびこる国と、日銭を稼ぐために学校に行けない国。

私が同行したガーナ人たちのツボは、日本社会の細やかさのようだった。電車が停車位置のラインぴったりに止まったと言っては大喜び、「本日は電車が2分遅れたことをお詫び申し上げます」のアナウンスを訳して仰天などなど。あまりに賞賛されるので、私もついつい、「でも日本にもいろいろ大変なことがあるのよ。朝の電車の混みようと言ったら」などと始めると、「・・・ノリコ、日本のことを誇りに思いなさい」と静かにたしなめられた。

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       視察に訪れた小学校では
      ガーナの歌で歓迎してもらった♪
「アフリカの水を飲んだ者はまたアフリカに戻る」と言われる。そしてその言葉通り、ガーナから帰国後、調査研究の話を受けた私は、対象がアフリカと聞いて、二つ返事で引き受けた。現地調査の訪問先は、セネガル、ガーナ、ウガンダ、マラウイ。予算の上限ギリギリまで調査内容を欲張ったため、朝から夕方までぎっしり視察、夜は会食を兼ねたインタビュー、飛行機に飛び乗り仮眠して、次の目的地に向かうという強行軍だった。アクラから経由地ナイロビに向かうケニア航空のエコノミー席は、リクライニングもない硬い座席で、いつもはよく眠れないのだが、この時ばかりは機体が離陸したことにさえ気が付かなかった。

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         © 外務省

そうして向かったウガンダでお目にかかったのが、「ウガンダの父」とも称される柏田雄一氏。ウガンダ独立直後の1964年に首都カンパラでワイシャツ工場を立ち上げて以来、その半生はPHPの本「ウガンダの父とよばれた日本人 ―アフリカにワイシャツ工場をつくった柏田雄一」や、NHK番組などでも紹介されている超有名人。数年前にはムセベニ大統領の渡米に同行し、ブッシュ大統領に面会したこともあるという。そんな柏田氏へのインタビューは、今回の現地調査の一部というわけではなかったが、私は新しい国に足を踏み入れた時には、まず、その地に長く住んでいる日本人に話を伺うことにしている。ダメモトで面談を申し込んだところ、「今日の夕方でよければ時間がとれる」という返事が届き、急きょ、柏田さんが経営されるフェニックス社の社長室にて、お話を伺う運びとなったのだった。挨拶を交わした後、柏田さんはこれまでの歩みについて話始めた。

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        © jnissa
ウガンダは緑豊かで花の咲き乱れる美しい国
チャーチルも「アフリカの真珠」と絶賛した☆

   ウガンダに住むようになったきっかけは、当時勤めていた大阪に本社を置く会社の高級シャツの売り
   込みだった。足しげく通ううちに、ウガンダ政府より、現地生産に切り替えることの打診があり、
   ウガンダの独立から間もない1964年にシャツ工場を設立することになった。業績は順調だった
   が、政情は不安定で、タンザニア軍を含む反アミン勢力が戦いののろしを上げ、首都カンパラが戦争
   状態となった1978年には、国外退去を余儀なくされた。状況がやや落ち着いたとの報ももどか
   しく駆けつけてみると、工場は、機械も建物も再起不能のメチャメチャに荒らされていた。

ハッと驚いて顔を上げると、柏田さんは真っすぐ私を見ていた。そして、その目を見た瞬間、私はそれまで自分がメモをとりながら耳を傾けていたことを猛烈に悔いた。全力で聞かなきゃダメじゃん、私!!ペンを置いて、柏田さんに向き合った。

   胸の潰れるような思いで自宅に向かうと、焦土と化した一角の中で、自分の家だけはなぜかきれい
   な状態で残っていた。武器を持って略奪の限りを尽くしていた連中に対して、「この家はウガンダ
   のために尽くしてくれた人のもの。この家だけは手をつけることは許さない」と近所のウガンダ人
   達が団結して守ってくれたのだった。それでも工場再建にあたっては紆余曲折があり、自分も一旦
   は荷物をまとめて日本に帰国した。しかしウガンダ政府より乞われて、2000年にカンパラに戻り、
   工場を買収してフェニックス社と名づけた。戦火から蘇るフェニックスだ。

私はどうにも涙を我慢できなくなって、目をそらした。そして、さっき応接室で待っている時に、社長室から出てきた白人男性が、若干目を潤ませているように見受けたのは、気のせいではなかったことを確信した。雑談も含めて2時間以上も話をしていただいただろうか。なんと出身大学が同じということが判明したところで、近くの中華料理屋に移動して、更に話をさせていただいたのだった。

フェニックス社は、オーガニック・コットンの契約栽培、紡績、織布、染色、裁断、縫製の一貫生産でシャツ作りを行うウガンダで唯一の企業。私がウガンダを訪れてから約1年がたった2007年7月のこと、同社のオーガニック・コットン事業拡大に対して、国際協力銀行(JBIC)より250万米ドル(約2億5千万円)の円借款が決まったという報に接し、「綿花栽培は人手がかかるので、事業が大きくなれば、ウガンダ国内で数万人規模の雇用を生み出す可能性もある。まぁ、商売として成り立つかどうかわからないけど、夢を描くのは楽しいよ」とにこやかに笑った柏田さんの顔が心に蘇った。また今回、このブログを書くにあたって少し調べたら、フェニックス社のシャツは、今ではEDUNにも納品されているとのこと、むしょうに嬉しくなった。

ちなみにEDUNは、ロックバンド、U2のボーカリストであるボノと奥さんが設立したブランドで、フェア・トレードの促進、つまり製造から販売までの全過程を通じて、環境破壊や搾取的な労働が行われていないことを厳しくチェックしていることが特長だ。改めて言うまでもないのだろうけど、ボノは貧困撲滅活動でも名を馳せていて、一昨年来日した時には、当時の安倍首相とも対談した。ボノは日本の途上国支援を激励して、サングラスをプレゼントしたことが報じられたけど、あのサングラスも、売り上げの一部をアフリカのエイズ対策に寄付するとしてボノが立ち上げたブランド、REDのものだ。ボノは、今日から開催される「第4回アフリカ開発会議(TICAD IV)」にも参加する。今度はどんなパフォーマンスを見せてくれるのだろうかと思っていたら、昨日、慶応大から名誉博士号が贈られたとのこと。既に封切りだ☆
では、ガーナ人のどういうところに一番「なるほど」を感じたかと言うと、困っている人には優しいところだった。とは言え私は、腐ってもプロの端くれ。例え勝手の違う異国であっても、まずは自分の裁量でしっかり生活を整えることができなければ、他人様に手を差し伸べる仕事などできないわけで、ガーナ人の同僚や友人に物をたずねることはあっても、助けを求めたことはついになかった・・・と言い切りたいところだけど、実は1度だけあった。

犬の散歩である。私が飼っていた2匹は、どういう訳だか、子犬の頃から散歩が大嫌いだった。でも、それって日本に生まれながら味噌汁を嫌うようなもの。小さい時に馴染ませるのが肝心とばかり、気乗りしないガーナ&アクラをなだめつつ散歩の訓練をしていたある日のこと、家から遠く離れた地点で、ついに2匹そろって座り込んでしまったのだ。「ちょ、ちょっと〜っ!!」と右手と左手にそれぞれ綱を握って力いっぱい引っ張るのだけど、もう絶対イヤ!とばかり、腹ばいになって私とは目も合わせない。

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お茶目なアクラ(黒)と姉御肌のガーナ(茶)
そろって散歩嫌い☆走るのと泳ぐのは大好き☆

「オブロニ(外人さん)!大丈夫?」と、通りの向こうから、ガーナ人が声をかけてくれた。「大丈夫、大丈夫、犬はちょっと疲れただけだと思う」と笑顔でやり過ごしたものの、しばらく休んでも、2匹は動こうとしない。「オブロニ!手伝おうか?」今度は、自転車に乗ったガーナ人だった。「有難う。いつものことだから問題ないよ(・・・って、自転車でどう手伝ってくれるつもりなんだろう?)」と若干引きつる笑顔で見送ると、また声がかかった。「オブロニ!」今度は車から顔を出していたので、「乗せてください!!」と頼んだのはいいけど、一匹づつ犬を抱きかかえて後部座席に乗ってみれば、そのガーナ人は犬が大の苦手とのこと。ハンドルを握った背中がビクビクと震えていた。一方のガーナ&アクラは涼しい顔をしていたが、見慣れた自宅の入り口が近づくと、ピョンと跳ねて窓際に身体を動かした。と思う間もなく、運転手は、「わ!」と大慌てで車を止めて、ボンネットの上に飛び乗ってしまった。その素早さたるや、こちらがびっくりするほどで、それにしてもその彼は心底恐怖を感じていたらしい。「ごめんなさいね。でも本当に助かりました」と頭を下げると、ただにっこりと白い歯を見せて去っていった。

それまで仕事で接してきたガーナ人に対して、私が最も腹に据えかねていたことは、「がめつさ」なのだが、この一件はコインの裏側を垣間見せてくれた。でもまずは、「がめつさ」の話。例えば、教育の質を高めるために、教員を対象に研修をしようとすると、まず研修を実施する自分たち教育省職員や、研修に参加する教員の特別手当の額に議論が集中する。もちろん教育省として手当基準額を定めてはいるものの、昨日のブログにも書いたように、どうにも統一的制度が馴染まないお国柄。状況の変化を列挙して、基準額見直しの議論が紛糾するのだった。と言うか、そもそも勤務時間中の研修に対して特別手当が支払われるということ自体が理解できないのだが、「それはガーナの慣例」と譲らない。そして実際、特別手当の額が不当に低いと判断された研修には、「葬式と重なったから」「道が渋滞したから」と人が集まらないのだった。特別手当の額に折り合いがついて、ようやく本題。一番大事な研修の内容の話に入ると、先ほどまでのファイティングはどこへやら。反論ジャブはピタリと鳴りを潜め、和気あいあいムードに切り替わって、すんなり原案が通るのが常だった。

そこまでして、どうして研修が必要なの?と疑問をお持ちの向きも多いだろう。私がガーナに赴任した直後に、ケジャビという山間の町で開催された教員研修に同行する機会があった。地域の小中学校の「先生」約70名を対象に、算数の研修を行ったのだ。「先生」と強調した理由はコレである。

  「8−2+5=?」

研修の導入として問題が黒板に書かれると、一斉に手があがった。「11」「1」と大きな声で回答される。「じゃあ、11だと思う人?」で、挙手したのはちらほら。「1だと思う人?」が、ざっと数えて50名ほどだったのは衝撃だった。呆気にとられている私に、同じくJICAから派遣されている算数教育の専門家の方が言うには、元々イギリスの植民地だったガーナの教育は、基本的にイギリスのものを下敷きにしているのだが、ガーナにおいて四則演算と言えば、BODMAS(Braket Of Division Multiplication Addition Subtraction の各単語の頭文字をとった合成語)。本来は、数式のうち、( )の中の計算、そして掛け算・割り算は先に、ということなのに、ガーナでは、足し算も先に、という風に広まってしまったらしい。確かにその伝に従えば、先の数式では、まず2+5を計算して、8から引くことになるから、答えは1となる。先生方にももちろんプライドがあるから、研修には、難しい内容も含めつつ、四則計算についてもさりげなく、でも繰り返しやっていくという1日だった。

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        ケジャビの1日研修
     ノリのいいガーナ人が私は好きさ☆

私はこれまでアフリカ、中南米、そしてアジアの途上国を回ってきたが、現在の日本のように優秀な人材が教員を目指す国というのは実は稀で、ほとんどの国では「でもしか先生」なのだった。ガーナでも例外ではなく、他に職がないから教員にでもなろうか、教員にしかなれないから教壇に立っているというパターンが多い。多産な国では子どもの数は増加する一方なので、教員はどんどん必要となるのだ。初任給は月80ドル程度と低いが、数年勤めたら、スタディ・リーブと呼ばれる有給進学制度により、国から給料をもらいながら大学に進学することができる。学位を取得して、もっといい働き口を見つけることができたら、さっさと移ればいいというのが、大方の教員のキャリア計画なのだった。

基本給が低いのは、教員に限らず、公務員全般に当てはまることで、総じて生活必需品の価格の安いガーナでも、暮らし向きは決してラクではないだろう。でもよく話を聞いてみると、自分の子どもだけでなくて、親戚の子どもの学費も出してたり、というのは決して珍しいことではないことがわかった。出張の道すがら、物乞いにも、すっと小銭を渡したりしている。「がめつく」得たお金は、自分のために使うというよりも、みんなで分かち合っているってことなのね。困っている人を見かけたら、自然に手をさしのべる・・・と言うか、さしのべずにはいられないガーナ人の一面に目を向けさせてくれたのは、冒頭のMr.ボンネット。それっきり会うこともなかったけど、私にとっては一生忘れられない恩人なのだった。

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