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かじって、ならぬものは 親のすね 聞いては、ならぬものは 秘密 通しては、ならぬものは 無理 踏んでは、ならぬものは 道ならぬ道 塗っては、ならぬものは 人の顔(泥) 捨てては、ならぬものは 義理 繰返して、ならぬものは 過失(ミス) かいては、ならぬものは 恥 乗っては、ならぬものは 悪い相談 言うては、ならぬものは うそ 忘れては、ならぬものは 恩 ゆるめて、ならぬものは 決心 破っては、ならぬものは 約束 にがして、ならぬものは 好機(チャンス) まげては、ならぬものは つむじ けなして、ならぬものは 人の話
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机の整理をしていたら出てきたコピーです。 |
知恵
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少肉多菜(肉や魚を少なく、野菜を多く) 少塩多酢(塩を少なく、酢を多く) 少糖多果(甘いものを減らして、果物を多く) 少食多噛(腹八分、そして良く噛む) 少衣多浴(薄着にして、お風呂に入る) 少車多歩(車になるべく乗らず、歩くこと) 少煩多眠(気のあせりを少なく、良く眠る) 少怨多笑(腹を立てないで、良く笑う) 少言多行(言葉を少なく、こまめに動く) 少慾多施(欲張らないで、施しす心得を) 若い人にいたわられて生きる老人は幸福である。
老人をいたわる若い人はさらに幸福である。 |
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「できることと、やってはいけないことの区別がつくことを“倫理”という」 私の師匠のメーリングに最近述べられていました。 自然科学分野だけでなく、倫理科学の探求の立ち遅れを科学者、発明者が危惧してきました。 ノーベルの危惧がノーベル財団を作り上げたことは有名な話です。 倫理道徳としての、儒教、神道、仏教。 尊敬する李登輝元総裁は、これを武士道と言われましたが、「ならぬことはならぬ」「やむにやまれぬ」これらに集約されると思います。 「己の欲せざるところ、人に施す勿れ」 論語−衛霊公 「何事でも人々からしてほしいと望むことは、人々にもそのとおりにせよ」 マタイによる福音書・七 この辺りが、倫理科学の骨子ではないかと最近考えています。
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民衆の愚民化。 徳育、体育、知育と申しますが、特に徳育は最重要と考えております。 日本においては、儒教、神道、仏教を通じて、倫理道徳教育が行われてきました。 日本は無宗教なのではなく、宗教が、言葉と慣習の中に溶け込み、庶民ですら、 高い倫理道徳観をもって過ごしていたことは、黒舟に乗ってきた外国人エリートが 見て驚いたことは、皆さんが承知しているところです。 西洋では、エリートしか身についていなかった倫理道徳が庶民にも浸透していた日本。 源泉は、聖徳太子の功績にさかのぼれると思いますが、とにかく、このご先祖が残した 資産を全否定した輩と戦後教育が、社会のモラル低下、そのDiseaseは子供たちに感染しました。 倫理道徳が身についていない人間は、牙をむき出しにし、ルール無視、利己中心になることはTVを通じてごらんの通りです。 うちの子は小学校お受験ですが、大学のためでなく、倫理道徳の修養の場が公立小学校には皆無だからです。 真剣に考えれば考えるほど、既成の延長、つまり対処療法では無理なことは明白です。
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子供は大人の鏡と言いますが、モラルの低下は世界各地で見られるようです。 インドのパートナーのところでもエンジニアの回転が速く、一昨日は、 1週間のトレーニングの後、退職した新人がいました。 まず第一に自分。そして第二に金。倫理観は何処に。 お蔭様、お互い様を全く身に着けていない若い世代の増殖が感じ取れます。 心ここにあらず。目に見えるものに心を奪われ、見えないものを視る力がなくなっていることと、 時代のスピードに翻弄され、視る時間、余裕が無いのでしょう。 心眼を身に着け、生まれてきた目的を成就せねば、再度、 輪廻でこの世に戻り、同じ試練が待ち構えているというのに。。。 湧き出てくる時代なのでしょう。 視る力を備えた志士に、メクラの愚民。
こちらの方も、二極化が進んでいるようです。 |


