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毎日毎日、頭痛に悩まされています。 夕方の緊張型頭痛、就寝直後の群発頭痛。 緊張型だと痛みは少し楽だが、薬はあるのだが群発頭痛の薬との相性が解らないので、ガマンしなければならないのがしんどい。 せっせと肩に肩こり薬を塗って対応している。 群発のほうは、寝ている時(寝入った直後)に来て痛みで目が覚めるので、前兆で薬が飲めないのがしんどい。 とりあえず、薬が比較的効くので、こちらも以前よりは楽になってきた。 そんな中、日中は比較的頭痛発作がなくなってきたので、小田原城の現地説明会に行くことにした。 ミクシーでは、茅ヶ崎城でオフ会が開催されていたのだが、小田原城の遺構は埋め戻されてしまうため、当日しか見ることができないので、断ってしまった。 馬屋曲輪から見た、銅門。 櫓台隅石。 一番下の石の角がキレイになっているところまでが、当時(江戸時代)の地表面か… 櫓台東側階段。 凸凹で急な階段になっている。当時のものか? 櫓台西側階段。 こちらは新しいように思われる。御用邸があったころのものか。 櫓台上部の様子。 彼岸花が咲いていました♪♪ ざっと一時間ほどの説明でしたが、暑くてあまり頭に入りませんでした(汗)
この馬屋曲輪の隅櫓の石垣、数々の地震でも崩れることなく残った、現存石垣だそうです。 大手筋を守る石垣として、頑丈に作ったのでしょうね。 |
現説&セミナー
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続きまして、本曲輪北堀です。 小田原高校のプールがあった場所のようです。 こちらの堀は、前に書いたとおり埴輪が出てきたところです。 プール跡の周辺を、ちょっとずつ調査した、といった感じでしょうか。 この堀の幅は、27メートルくらいあったようです。 27メートルといいますと、当時の鉄砲の射程距離が30メートルくらいだったようなので、ちょうど城内から敵に向かって鉄砲を撃って、やっつけることができる距離なのでしょう。 他には、 戦国期のものと思われる、石組み遺構です。 排水かなにかでしょうね。 ちょうど堀に向かって石組みが伸びていました。 こちらは大正時代のものと考えられている、石組み遺構です。 パッと見て、組み方が違いますね。こちらも堀に向かって伸びていたので、排水溝でしょうね。 どうも小田原高校は、歴史が古く、明治時代からあるようです。 最初は、現在の小田原駅あたりで、駅を作るために移転したのが、現在の城山だそうです。 この写真の遺構を見ると、大正時代には、北堀があって、排水を流す施設として使われていた、と推測できるようです。 プール跡なので、足場はしっかりしているので、一般人でも調査現場のすぐ近くまで行かせてもらいました。 私の知らない小田原城のお話を聞くことができました。 内容は主に歴史のことなのですがね。 備忘録ですので、簡単にまとめてみます。 八幡山古郭と呼ばれているあたりは、後北条氏が来る前は大森氏の居城とされています。 しかしながら、大森時代の遺構や遺物は何一つ発掘されていないようです。 このことから、「大森氏は小田原城には居なかった?」という説まであるとかないとか。 そして、今回の発掘調査現場である八幡山古郭の中でも、もっとも堅固な西曲輪は氏政時代と推測されるようです。
ということは、長尾景虎(上杉謙信)や武田信玄が小田原を攻めた時は、何処だったかというと現在の城址公園の本丸あたりが主郭だったとのことです。 私は、八幡山古郭が主郭だと思っていたので、「守りきれた」と思っていたのですが、城址公園の本丸となると「むむ???」な気分でした。 |
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昨日、今日、小田原城八幡山古郭にて発掘調査現地説明会が開かれました。 昨日は、雨の予定だったので、買い物したり美容院に行ったり、自治会の組長のお仕事をしたりして過ごしました。 おかげさまで、今日は比較的時間にゆとりができて、現説に行きました。 小田原駅の新幹線のほうの出口(西口?)を出て、線路沿いを左へ歩くと こんな標柱があります。 その標柱から急な坂道を「小田原高校方面」向かいます。 こんな階段もありますが、頑張って登ります。 登りきると、右側にテニスコートがあり、左側は小田原高校です。 こんな標柱があります。 この標柱の向かいの小田原高校の敷地内が今回の発掘調査場所です。 入り口には、こんな案内板があります。 発掘調査の目的は、三味線堀の確認と、本曲輪北堀(以後、北堀と書きます)の確認、だそうです。 が!! 北堀から埴輪が出たそうです。 これは、重大な発見だそうで、北堀の南側の『櫓台跡』と言われているところが、古墳である可能性が高くなったようです。以前から、「古墳ではないか…」という推測もあったようですが。 写真の埴輪が出たことで、4世紀頃の古墳の可能性があるらしい。神奈川県西部地方では珍しいそうな。 遺構のほうは、 三味線堀は幅が10〜11メートルほどあるとか。 三味線堀を簡単に説明すると、西曲輪の北側の虎口には外枡形のような感じの郭があり、その東西両側に馬出しのような郭があります。 馬出し〜郭〜馬出しと並んでいて、それぞれを区切る堀がちょうど3本あるので「三味線堀」と呼ばれているようです。 こんな感じで標識があり、解りやすいです。 ちょっと解りにくいですが、赤い線の内側が土橋です。枡形のような郭から馬出しに入るところです。 続く…
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来月、1日・2日の二日間にわたって、中世城郭研究会の毎年恒例のセミナーが行われます。 |
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