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こんにちは。
世界に一つだけの記事(のつもり)を
作っております。よろしくお願いします。
檄!帝国華撃団
新宮寺さくらの声を担当する
横山智佐
&帝国華撃団
1996年
1分04秒〜の部分に
蘇州夜曲のメロディが入っています。
君がみ胸に〜♪のメロディです。
新宿住友ビル48階に平和祈念展示資料館があります。
ここは一般者は撮影禁止です。
HPにも内部の画像はありません。
私が特別に撮影した写真です。
☆一般者は撮影禁止です☆
私は容認された状態での写真ですが、
普通の人が許可を求めても
認められないでしょう。
管理者に無理なお願いを
しないでください。
軍に入隊する兵士が
列車で出発する様子を再現しています。
もっと撮影したのですが、
公開はこの程度にしておきます。
入場者に配布されるキーホルダーです。
水木しげるのゲゲゲの鬼太郎です。
私がここに行ったのは1年前です。
現在もこれを配布しているかどうかわかりません。
終戦についての一般向きのデータの第2回です。
国家間の開戦と終戦の手続きについて、前回の記事に書いてあります。
お時間がありましたらご覧になってください。
第二次世界大戦末期、連合国が日本に降伏を要求した「ポツダム宣言」を、日本が受諾しました。
受諾を公表した1945年8月15日が終戦の日と言われています。
以下の新聞は、私が持っている縮刷版コピーです。
1945年8月15日付 朝日新聞1面→
同日2面↓
ここに書かれている
8月9日〜8月14日の政府首脳の会議のうち
13日と14日は以下の通りです。
13日
午前8時50分
鈴木首相は首相官邸に東郷外相、阿南陸相、米内海相、梅津参謀総長、長田軍令部総長を招き、
6人だけの会談を開き意見を交換した、この会談は両幕僚長参内のため9時10分から10時半まで、 中断されたが、午後3時まで、前後約5時間にわたって行われている、
その結果大体の方向は先方の回答を受諾する方向に大体きまった。
(繰り返しの表現がありますが原文のままです) さらに午後4時から午後7時まで臨時閣議が開かれ、この日午前当到着した公文書を基礎として 種々意見が出されたが、ここでも大体の方向はほぼ決せられた形であった、
また両幕僚長はさらに午後8時半首相官邸を訪問、鈴木首相、東郷外相との間に協議が重ねられた
14日 午前8時鈴木首相は宮中に参内、同8時55分退出、さらに9時40拝謁仰せつけられ、午前10時御前を退下した。
一方午前10時より宮中に元帥会議が開かれた、そして、思召によって聖断を仰ぐべき御前会議は 午前10時45分に宮中に開かれ、鈴木首相以下全閣僚、大本営両幕僚長、平沼枢府議長は
お召しにより参内した。そしてここに聖断は下され、歴史的御前会議は正午閉じられた。
さらに午後1時より首相官邸に閣議が開催され、同3時20分一旦休憩、午後7時20分より再開、
同8時30分再び休憩となり、鈴木首相は直ちに参内し、退出後同10時15分閣議を再開、同11時30分散開した。
この閣議において内閣告諭その他が決定されたのである。 マンガ「内閣総理大臣伝」の
鈴木貫太郎より
1944年7月19日付
サイパン島で玉砕
1944年11月1日付
神風特別攻撃隊開始
1945年3月11日付
東京大空襲
1945年6月26日付
沖縄戦終結
1945年8月8日付
広島に新型爆弾
1945年8月10日付
ソビエトが参戦
戦争を体験した人はどんどん少なくなり、
戦争を現実のものとしてとらえられない世代がほとんどになりました。
もちろん私も戦争をまったく知りません。
ただ、資料好きの私はあらゆる時代の雰囲気を想像の上では一応感触を得られると思っています。
兵士の勇戦も、市民の悲惨な被害も、一応はわかるつもりです。
蘇州夜曲
霧島昇 渡辺はま子 1940年
しあわせについて
さだまさし 1982年
映画 ひめゆりの塔(1982年版) テーマ曲
現代の人にはとても耐えられないような
過酷なあの戦争。
苦しみの中で精いっぱい誠実に生きた人は
きっと神様が最高に評価してくれるでしょう。
そう信じています。
以前にも貼り付けた
テレビドラマ版 火垂るの墓 2005年
TEARS X JAPAN 1993年
みなさまありがとうございます。
私はコメントがゼロでもまったく気にしません。
どうかお気づかいなく。
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8月15日と平和
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坂本龍一の
戦場のメリークリスマス
に歌詞をつけた曲
Forbidden coloursです。
イギリス英語なのでcolourなのだと思います。
映像は映画・火垂るの墓
遠い昔、こんな悲しい時代がありました。
追記 8月19日にいただいたコメントです。
戦争は嫌です
じいじいは 戦争で弾丸の破片を手足に受けたまま取り出す事も出来ず 戦後は 家族のため働きづめ そして晩年は残っている破片のため 手足がいたみ あるくのも不自由そうでした。 腎臓の手術をしたとき麻酔が朦朧としているとき 『陛下のため戦うのに必要な馬を 連れて俺を迎えにきている』 『それ そこに馬がいる』。。。。。と幻影をみていた なんと 悲しい言葉なのかと胸が 締め付けられました その後 あるお方が 亡くなった年に後をおうように 亡くなりました。そして平成の世となったわけです。 じいじいの人生はなんだったのでしょうね 子供のため働き マゴの顔が見られたことで幸せだったのだろうと 私は思っています。そうでないとやりきれないですよね。 もう戦争は嫌です。平和な世がいつまでもと願っています。 2011/8/19(金) 午後 10:09 sakaりこ
今日の午後4時ごろから記事を作り始めました。 終戦記念日の今日のうちに投稿しようと思ったのですがとても間に合いません。 投稿後も間違った部分の修正と内容追加をしています。
つらい長い戦争が終わって66年たちました。
平和の大切さを思い返す日です。 こんばんは。
日本では8月15日が終戦の日です。 終戦とはどういうことしょうか?考えてみましょう。 戦争開始
第二次大戦の頃までは、戦争をするためには、戦う前にまず宣戦布告するのが常識でした。
宣戦布告と同時に、国交は断絶するらしいのです。
また、「あなたの国と戦争する」という宣言でなくても、国交断絶通告や外交交渉打ち切り通告も 宣戦布告に該当すると考えられているようです。 このような国際的な常識は慣習法として定着し、「国際法」と呼ばれています。 さらに、1907年に「開戦に関する条約」が成立、世界のおもな国が次々と批准しました。
それまでは慣習だった宣戦布告が、条約によって明文化されました。
戦争を終わらせる時にも手続きが必要でした。
日本に対し無条件降伏を求めるポツダム宣言を、日本は1945年8月14日に受諾しました。
ポツダム宣言受諾を伝えた方法と、説明の疑問点
wikipediaの記述
日本政府は宣言の受諾を駐スイス及びスウェーデンの日本公使館経由
加瀬俊一スイス公使を通じて、
連合国軍への連絡は午前6時45分から中立国であるスイス及びスウェーデンの日本公使を通して
行われている。
スイスルートは、駐スイス加瀬俊一公使よりスイス外務次官へ手交、 スウェーデンルートは駐スウェーデン岡本季正公使より、スウェーデン外務大臣へ手交された。 とういことです。米英中ソに対し、念のため2つの国を通じて伝えたのでしょうか?
この点があいまいで、子供のころから細かい性格だった私はインターネットを始める前から
疑問に思って調べていました。 ほとんどすべての資料に「スイス・スウェーデンを通じて」と書かれているんです。 正確には、 スイス政府経由 アメリカ イギリス スウェーデン政府経由 中国 ソビエト このように分けたようです。分けた理由はわかりません。 戦争を正式に終わらせるには 休戦条約(または休戦協定)を結んで戦闘を終わらせる。
次に、平和条約(別名・講和条約)を結んで法的にも戦争をおわらせ正規の国交を回復する。
これが第二次大戦の頃までの常識でした。 日本は1951年にサンフランシスコ講和条約を結び(1952年発効)
第二次大戦で戦ったほとんどの国との戦争を正式に終わらせました。
ロシアとの戦争は今も続いている??
1945年8月8日 ソビエトが日本に宣戦布告しました。
ソビエトはサンフランシスコ講和条約に調印していません。 でも、1956年に日ソ共同宣言を発表し、この宣言の中で両国は戦争を終わらせると
明記しています。 ソビエト消滅後、ロシアはソビエトと日本の外交関係を引き継ぐことを明言しています。
これで、1956年の時点で正式の国交は回復し、法的にも戦争は終わっていると思われますが
日本とロシアはまだ平和条約を締結していないので、 日本とロシアの間で法的には戦争はまだ続いているという見方をする人もいます。
中国との戦争の終わり方
中国はサンフランシスコ講和会議に招かれませんでした。
当然、サンフランシスコ講和条約に調印していません。
1949年に中華人民共和国が成立しました。
1952年に日本は、台湾だけを支配する中華民国と日華平和条約を結びました。
1972年に日中共同声明で、日本は中華人民共和国を中国の政府と認めて外交関係を樹立。
同時に、台湾の中華民国とは正規の外交関係は断絶しました。
さらに、1978年に中華人民共和国と日中平和友好条約を締結しました。
日本以外の枢軸国の平和条約
イタリア・フィンランド・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア
1947年に連合国とパリ平和条約を締結しました
。この5カ国はそれぞれ個別に連合国と条約を
結んでいて、
それを総称して「パリ平和条約」と呼ばれます。
ドイツは東西に分かれたために
連合国との条約締結がすすまないままでした。
ドイツ統一が確実になった1990年になって
「ドイツ最終規定条約」に
東西ドイツと米英仏ソが調印、
その後、統一したドイツが批准しました。
オーストリアは1955年に米英仏ソと ドラマ版 『火垂るの墓-ほたるのはか-』 2005年
オーストリア国家条約を締結しました。 曲 X JAPAN TEARS
この条約についてはネット上にもほとんど資料が無く、 「講和条約である…」という簡単な説明がある程度です。
オーストリアは1939年にドイツに併合されました。
第二次大戦末期にドイツの勢力範囲が縮小し、旧オーストリア地域はソビエト軍の勢力下に入り
その後、旧オーストリア地域は米英仏ソに分割統治されていました。
そして1955年のオーストリア国家条約で主権を回復し永世中立国になりました。
現代の開戦と終戦
現在の世界では宣戦布告はまったく行われなくなりました。
なにか理由をつけて、宣戦布告なしで戦争・戦闘・実力行使を行っています。 おもなものは
1 国際連合の安全保障理事会の決議を実行する 2 自衛権の発動 湾岸戦争・イラク戦争は安全保障理事会の決議を実行するという名目です。
アメリカを中心とする連合軍がアフガニスタンのタリバンを攻撃したのは
集団的自衛権の発動です。 キューバ危機でアメリカが
「公海上の海上封鎖及びソ連船への臨検を行うことでソ連船の入港を阻止しようとした」 (wikipediaより) のですが、どういう権利があってアメリカがソビエトの船にそんなことができるのか
疑問に思っていたんです。 調べてもわからなくて、キューバ危機を描いた「13デイズ」という映画の原作の小説を 読んだら、どうやら米州機構の決議にもとづく集団的自衛権を発動したらしいんです。 というわけで、現在は宣戦布告がないので、休戦条約や平和条約が結ばれることもなくなりました。 ただし、条約は結ばなくても 休戦協定や停戦合意や和平合意はあります。
どうもすみません。 わたしは完全にシロウトでして、
ひとりで調べた結果です。
正確な知識がある方がみると、幼稚園児が書いたような文だとおもいますが 一般向けの普通の説明がどこを探しても無いので自分で書いてみました。 「正しい戦争」は存在するか
私は、人が自分の人生を自分で決められる自由はとても重要なことだと思います。
自由を守るため独裁体制と戦うのは正しい、という考えに傾きそうですが
そんな安易に考えてはいけません。
自分が戦いに参加することと、国民を戦争に巻き込むことは全然違うことです。
戦争の実行を決める権限を持つ政治家なら、戦争は最後まで避けて
戦争をしないで済む道を探すべきです。
行動の善悪は人の動機によって決まるものでしょう。
ある行動が「正しい」ことだったとしても、正しいとか当然だとか主張するのは間違いです。
もし、仮に、東京大空襲を実行したのは正しいことだったとしても、
あれは正しいことだとか当然だったなどと平然と主張するのは完全に誤ったことです。
「やむを得ないことだったと思うが、それにしても空襲を受けた人たちは気の毒だった。。。
もうあんなことは二度と起きないでほしい。。。」
そういう謙虚な姿勢でいるべきです。
よく、
○□は正しいことか?
という問いかけがありますね。これは、当事者の動機の問題を忘れた表面的な問いです。
アメリカがイラクを先制攻撃したのは正しいことか?
という問いに正確に答えるならば、
それは当事者の心境によって違いがあり、謙虚な心境の兵士ならなにも罪はない。
というのが私の結論です。
東京大空襲は正しかったのか?
と問われても、東京大空襲にはさまざまな要因があって起きたことであり、さまざまな影響があったのですから
一概に正しいとか誤りとか、2つにひとつを選んで答えられる問題ではありません。
でも、空襲の作戦にかかわった人が、
「命令に従って行ったことだが、自己正当化はしない。あんな悲劇はもう起きないでほしい
と思う。」
こういう謙虚な姿勢でいるのならその人は本当に正しいでしょう。
…後で自分で読んでみると、偉そうな説を延々と書いてますね。恥ずかしいです。
すみません。今日はこの辺で終わります。
人が自由に生きていける社会は、守るべき価値があります。
自由を守るために戦うことは基本的には正しいと思うのですが
本当に自由を守るための闘いなのかどうか見極める必要があるでしょう。
また、仮に、戦争の目的が正しいとしても
自分が前線で戦うことと市民を戦場に送ることは別のことですから
市民を戦場に送り多くの犠牲者を出したことについて
政治家は何らかの責任を取らなければならないでしょう。
罪とは、人が自分の心の中で作り上げたものです。
何かを実行するときに、悪い動機によって実行してしまったら
罪を作ってしまったことになり、なんらかのかたちで罪を償う時が来ると思います。
8月23日まで追記中
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