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ロンゴバルド・フューチャーのパヴィア散歩、その9 パヴィアに来たら、絶対に訪ねるべき教会は、前回までに記事にしたサン・ミケーレBasilica di San Micheleに加えて、もう一つ。 サン・ピエトロ・イン・チエルドーロ教会Basilica di San Pietro in Ciel d'oroです。 黄金の空に浮かぶサンピエトロ教会、という、とても詩的で美しい名前を持つ教会です。 ここもまた、起源の古い教会で、この教会にあった装飾的な彫り物の多くが、今は、市営博物館に保管されています。もちろん、ファサードの彫り物など、外せないものは、ちゃんと現場に残されています。 ファサードは、レンガを使っている点を別にすれば、構造的には、サン・ミケーレと同じスタイルとなっています。だまし回廊と、たくさん開けられた開口部、そして、三身廊を反映しない、連続山型など。 扉周りの彫り物満載状態も、サン・ミケーレと同じ傾向です。そして、同じようなモチーフが見られます。 同じ町にある同時代の教会では、同じモチーフが使われているケースが、結構あるように思います。 でも、モチーフは似ていても、やはり手は違うように思われますので、石工さんは違う人と考えられますね。時代がずれている可能性もあります。真似なのか、同じ町だから、同じように、という統一感を優先したのか。 発注者は、それぞれ違うと思いますので、発注者の感覚としては、やはり他と同じ彫り物は避けたいと思うのですが、どうなんでしょうか。 なんとなくですが、サン・ミケーレよりは、時代が下るのではないか、というゴシック臭を感じるので、もしかすると、製作年に相当の差があるのかも。とすると、単純に懐古的な感じで、トレースしたのかな。 ここも、側柱の浮彫は、かなり行っちゃってます。 溶けてるっていうのが、ピッタリですね。組紐モチーフが、溶けて土台との段差もわずかで、穴がぽつぽつ、みたいな。でも、モチーフが古いので、やはりロンゴバルド起源の彫り物のようです。 ここでうれしいのは、アーキボルトの彫り物が、よく残っていること。 石が違うのでしょうか、蔓の中の動物たちも、生き生きと元気です。 動物フィギュアの連続ガジガジは、大好きなモチーフです。ガジガジしてますよ〜。 そして、実に様々なフィギュアが、取り込まれていて、宝探しの楽しみがありますね。もしかするとサムソンかもしれないけど、金太郎的な子とか、どう見てもETだろう、という子とか。 柱頭の彫り物より、ここの部分の方が、石工さんの遊び心満載という感じで、楽しいです。 内部に入ると、全体の雰囲気は、かなり新しくすっきり、明るくて、ちょっとロマネスク臭が薄いです(実際は、もうちょっと薄暗いですが、撮影すると、変わりますね)。 サン・ミケーレに比べると、天上も低く、小ぶりです。 でも、柱頭の面白さは、こちらもなかなかです。 ケンタウロスがいて、グリフォンが他の動物をガジガジしています。 こちらは悪魔くんかな。それにしても、ほんのわずかな余白も無駄にしないこの石工さんの表現力と技術、なかなかです。 こちらも、ガジガジ系。 まるでバラのような植物モチーフの連続技も、なんだかすごいです。かなり粘着質な石工さんかも。 いろんなモチーフ全体が、あとの時代のものになってしまっている内陣部分ですが、こんなもんもありました。 ほんの小さなサイズのモザイクですが、これがあるということは、この教会でも、かつてはサン・ミケーレ同様、内陣部分はモザイクで覆われていたのではないでしょうか。 右後陣に、その証拠ともいえるモザイクがあります。 保存状態はよくない上、かなり小さなサイズしか残っていないのですが、ロマネスク時代のモザイクです。いかにものヘタウマが、いかにもロマネスク時代ですねぇ。サン・ミケーレの、完成されたモチーフ、技術からは、かなり見劣りしますけれど、テッセラはかなり細かくて、頑張ったな、というのは、感じられます、笑。 なにより、間抜けな表情の動物たちが、かわいい。 カタルーニャのジローナにあるタペストリーの動物たちを髣髴とさせるフィギュアたちですね。 というわけで、若干駆け足になってしまいましたが、久しぶりにパヴィア、堪能しました。展覧会のおかげです。 実は先日、別目的でブレーシャを、これまた久しぶりに訪ねたのですが、考えたら、あそこもロンゴバルドの町で、一部、ロンゴバルドに再会してきました。そちらも、主目的が期限付きの件なので、紹介していきたいと思います。 ではどうぞ、チャンスがあったら、パヴィア、訪ねてみてくださいね。 |
ロンバルディア・ロマネスク
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ロンゴバルド・フューチャーのパヴィア散歩、その8 サン・ミケーレ聖堂Basilica di San Michele、続きとなります。 ファサードをはじめとする外観装飾も、改めておさらいです。 本当に、たくさんの彫り物があるのですが、残念ながら、多くが摩耗してしまっています。オリジナルそのままに残っていたら、ごてごて感があるくらいに、すごいファサードだったかもしれません。建築スタイルも、装飾性が高いので、今、崩れてしまって、なんとなくしかわからなくなっている彫り物、それはそれで、味になっているかも。 実は、100年ほど前までは、もっとずっとたくさんのものが、残っていたようなんです。崩落や、盗難などで、どんどんすっきりしちゃったものと思われます。 それにしても、このファサード、通常のロマネスクスタイルとは、ちょっと違っていますよね。山型のトップが一つで、とても平面的な。普通は、三つの扉の両脇の部分は、ちょっと下げて作るもんですね。 そのスタイルよりも、回廊装飾の継続性を好んだのでしょうかね。 中央部に、開口部をたくさん置くのも、変わっています。これがあるから、平面性が和らぐ感じもありますね。 相当いろいろとなくなってはいますが、装飾性は健在です。中央扉の周りは、込み入った植物文様初め、びっしり彫り物。 教会が捧げられているサン・ミケーレさんも、翼にみっちりと装飾的な彫りこみがあります。若干再建臭いですが。 個人的には、その足元にあるアーキボルト装飾の摩耗ぶりが残念です。動物モチーフで、かなり楽しい彫り物だということは想像できますが、傷みが激しい。 柱頭の方は、まぁまぁです。ここも、再建は混じっているようですが、でも、オリジナルをうまく再現しているものと思います。 サムソンらしきフィギュア、ここでもかっこいいですね。 右側の扉周りも同様に、びっしりです。でも、側柱の彫りこみが、摩耗しているのが、遠目にもわかります。扉上部の壁につけられた彫り物も、100年前の写真だと、かなりはっきりとした様子なのに、今では、溶けちゃってますよね。酸性雨とか、そういった公害の影響もあるのだと想像します。 パヴィアは、ロマネスクを回りだした超初期に訪ねた土地の一つです。当時は、どこで何を見たらよいのかすら、よくわからずに、なんとなく探し当てた場所を頼りに、芋づる式で情報を得て、次に向かう、といったような回り方をしていたので、系統だった知識も何もなく、立ち向かっていました。 何をどう見るか、ということも、背景にある歴史、特に、最初に来た頃は、ロンゴバルドについての知識など、ほとんどなかったと思います。 そういう中で見た、この柱頭たちの印象は、強烈で、その後、何度も来て、何度も見ているせいもありますが、決して忘れることはありません。 一つ一つ、オリジナリティが高く、かわいらしくはないのですが、インパクトがありますね。 南側に回ります。今回発見したフレスコ画のある翼廊の方です。 こちらにも、昔は開いていたであろう扉があります。 ここはまた、ファサード側よりさらに傷みが激しいようですが、装飾性は同様です。 アーキトレーブ(ラント―/リンテル、というのですね。最近覚えました)に、アーモンドの中のキリストに寄り添うパオロとピエトロがいました。 私はここにいます!的な駆け寄り図像が、愛らしいです。 南翼廊の、このつけ柱の迫力! 以前にも記していますが、私、つけ柱好きなんで、こういうのは、ぐっと来ます。また、朽ちた半円柱というのも、よいですわ〜。 つけ柱フェチだと、この後陣も絶対に外せません。 ただし、後陣にアクセスするには、南側ではなく、北側に回る必要があります。南は、ここまでは柵越しに見ることができますが、この先は家並みに遮られてしまうのです。 また、ファサードを横切って、北側に行くと、なんと、こちらにも、扉があるんですよ。 こっち側は、翼廊のところに扉がある構造となっています。 前の広場にはカフェが出ていて、ここからだと、これがファサードであってもおかしくない立派さですよね。いかに、大きくて立派な、費用も掛かったに違いない建造物かということがわかります。 この扉を通り過ぎると、左側の建物の中庭に入れるようになっていて、そこから、後陣にアクセスできますよ。本当は、個人の家で、侵入禁止なのかもしれませんが、いつも入ってしまいます。 やっぱりヒトの家っぽい。猫が二匹、まったりとしていました。 帰り際に、北翼廊の扉もチェックして。 ここもまた装飾過多的な扉ですが、他とちょっと違うのは、大胆な大きさの、きっぱりとした動物フィギュアが、ドン、と柱に置かれていることでしょうか。 こういうタイプは、割と目にするものですが、ここでは、他の装飾から完全に浮いている様子があるので、目につきます。 というわけで、ちょっと駆け足ですが、サン・ミケーレ再訪でした。まだ行かれていない方には、是非一度は行っていただいて、損のない教会です。 |
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ロンゴバルド・フューチャーのパヴィア散歩、その7 ベネチア・ビエンナーレの報告が、予想外に長くなってしまいましたが、まずは、継続中だったパヴィアに戻ることにします。 サン・ミケーレ聖堂Basilica di San Michele、続きとなります。 この教会では、いつでもボランティア・ガイドさんが待機していて、質問すると、大変丁寧にいろいろと教えてくれます。こういったことも、教会の魅力を高める一助ですよね。 写真がちょっと小さいけれど、内陣部分が、かなり高くなっているのが、わかるでしょうか。 下に、大き目なクリプタがあるのは、前回記事にした通りですが、この、上部にも、大変なお宝があります。そこにアクセスする階段の扉は、一応カギがかかっているのですが、ボランティアさんが、いつでも開けてくれます。 そして、ボランティアさんにいざなわれて、よっこらしょ、と内陣に足を踏み入れると。 素晴らしい床モザイクです。 今では、一部しか残っていないのですが、一部と言っても、結構大きなスペースなので、迫力があります。 オリジナルは、こんな。 残っているのは、上部、薄くグレーになっている部分だけなんです、残念なことに。なぜ、失われた部分がわかるかというと、どの部分についても、おそらくちょっとした名残があったり、失われる前に描かれた絵などが残されているからだと思います。 これだけあったとすると、内陣全体の、祭壇前の床全部を占めていたことになりますから、かなり大きなモザイクで、いかにお金をかけて、教会を飾り立てたか、というこれも一つの証拠ですね。 時代は、12世紀前半です。 上部に並んでいるのは、月を表すモザイク。 真ん中には、「年」が、玉座にいる王様の形で表されています。その両脇に、一月から12月まで、各月を、中世の図像学に従って、人のフィギュアであらわしたものです。これは、イタリア中部でよくみられる図像と思います。 ちょっと笑っちゃうのが、各月が、順番じゃなく、入り乱れちゃっているところがあり、それは、単純なミスらしい、と解説にあることです。ロマネスク時代って、そういう、今となっては、千年残ってしまったという壮大なミスが、結構あるのが、また愛らしいんですよねぇ。 これは、二月と三月。 二月は、まだ寒いから、家の中で、農機具を研いでいるようです。三月は、なんだろう?お茶目なポーズをとっているようにしか、見えないですが、強風の中、角笛を吹いている姿だそうです。いわゆる春一番のような風が、三月のシンボルだったのですね。髪の毛が逆立っているのが、可愛い。 四月は、王様の左隣ですが、花束を誇らしげに見せている図像です。五月は、王様の右隣で、草刈りをしていますね。 上の写真の左側が六月で、果物を見せている図像だそうです。6月を言えば、サクランボくらいしかないよなぁ、と思いましたが、あまり、そうは見えませんよね。でも、やっぱりサクランボだそうです。七月は、麦の収穫。今でも、第一弾の収穫は、そのころかもしれません。 モザイク全体の台部分を占めるのは、迷路です。その四隅に、いかにも中世の図像学にのっとった図像が置かれています。 狼に騎乗するヤギさん。ヤギの方が、圧倒的に肉食系の顔つきなのが、寓話的です。 何度見ても、楽しくて好きなモザイクです。大部分が失われてしまったのが、本当に残念ですね。 さて、内陣の階段を降り、今回気付いたものがありました。 内陣を降りて左側、つまり、南側翼廊の突き当り部分に、ある装飾なんですが、さて、これまで気付いたことがあったかどうか。少なくとも昨年訪ねた時は、撮影していません。 過去のものまでは遡っていないのですが、もしかすると、比較的最近になって、修復が終わった部分の可能性もあります。 天井部分と、そして奥に、聖母の眠りのフレスコ画が、美しくあるのでした。12世紀のものとありましたから、気付いていたら、やはり写真には撮っているはず。 ヴォルトを支えている柱頭の彫も、装飾的ですごいです。 モザイク同様に、フレスコ画も多くの部分が失われてしまったようで、大変残念ですね。残っている部分も、全体にうっすらしている状態なので、表情などはほとんどわかりません。修復の賜物で、一見美しいですが、寂しいものでもあります。 あまりの宝物の多さに、何度訪ねてもびっくりするし、こういった発見もあり、やはり、ここはすごい教会です。 キリがないので、もう帰ろうと思い、柱頭を眺めながら出口に向かう途中で、また、目が留まるものがありました。 この教会がすごいのは、長年に渡り、常に現役で愛され、実際の用にも活用され続けてきたために、ひっきりなしに装飾の改変追加があったにも関わらず、ちゃんと、創建当時の数々を残し、追加されたハデハデ装飾と共存していることです。 この写真を見ると、よくわかると思います。 が、私が注目したのは、束ね柱のわきにひっそりとした感じである小さな扉です。 なぜ気になったかというと、この、リュネッタ部分の地味な装飾。 縄モチーフって、スペインはアストゥリアスで訪ねたプレロマネスク、西ゴートの遺構を髣髴とさせるものじゃないですか。それも、かなりオリジナル臭い。 早速、ボランティアさんに尋ねると、あれは、古いよ、と。でも、装飾的な意図や時代については、ご存じありませんでした。ただ、扉そのものが古いものなので、装飾も、同時代のものであろうということでした。 この扉、実は、今では使われていないマトロネア、そして、ファサードにしつらえられただまし回廊にアクセスするための扉だったんです。 一般には開放されていませんが、階段は現役だそうです。マトロネアにオルガンがあり、それを演奏する際などに、使われると。きっと、この夏訪ねたコンクの、上階に上る階段のようなやつなんだろうな、と想像つきました。 階段を通じて、多分、最初は、この二階部分にアクセスできて、さらに登ると、この、右側にあるファサードの、これら開口部よりも、もっと高い位置にある回廊にアクセスできるのだと思います。 回廊の、トップから、右側に三番目のところに、その出口があるように思います。うわー、これはアクセスしてみたいもんですねぇ。 |
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ロンゴバルド・フューチャーのパヴィア散歩、その6 特別公開を楽しむついでに、勿論、おなじみさんにもご挨拶です。 サン・ミケーレ聖堂Basilica di San Michele。 訪ねる度に、この立派なファサードとたたずまいに、うっとりしてしまいます。 ローマ時代に創建された教会ですが、ロンゴバルドの時代に、今ある姿の基礎ができたとされています。とにかく長い歴史がある教会で、パヴィアの町の栄枯盛衰をずっと見てきたわけで、それだけで、ちょっとしみじみしてしまいます。 実は、このパヴィア記事を書きだしてから、先に言及した、ロンゴバルド人パオロ・ディアコノが記した「ロンゴバルドの歴史」を読み出しました。買ったきり、ぱらぱらと斜め読みしただけだったので、おお!という感じで…。 ビザンチンとは関係ないなんて、いい加減なことを先の記事で書いてしまったと思いますが、とんでもない大ウソで、しっかり関係があります。そういや、同時代に並行してるんだし、関係ないわけもないんですよね。 そして、読んでいて、カロリングとの関係性とかも、かすかに記憶によみがえってきましたよ。確か、ロンゴバルドの王女様が、人身御供みたいな形で、カール大帝に嫁いだのではなかったか。 で、数年前に、確かパリで購入した、地図付き中世年表などを引っ張り出して、あやふやな歴史を確認したりして、こうなると、もうダメ。 それにしても、まぁ、試験があるわけでもないから、必死に覚えようとかそういう気持ちがないってことなんでしょうが、自分の記憶力のひどさには、毎度あきれてしまいます。好きなことなのに、さっぱり記憶できないんです。 特に、欧州の歴史というのは、今とは比べ物にならないくらい多くの国や民族が入り乱れて、それぞれが絡み合ったり同時に存在したりして進むので、記憶力が悪い私には、どうしようもないんですよねぇ。日本の歴史だと、勿論いろいろ都市国家的な歴史というのはあるのだけど、なんせ国土が限定的な上に、民族の数も限定的で、それほどもつれ合ってないから、私の貧しいシナプスでも、何とか許容できるんですけれど…。 それで、いつだって、ビザンチンとかロンゴバルトや西ゴートなどの、いわゆる「蛮族」達の歴史、神聖ローマとかカール大帝のカロリング朝とかの横並びの歴史を理解するのが、本当に大変。でも、面白いですけどね〜。 春に訪ねた時に、比較的最近(2015年)出版された、薄いけれど、内容が濃いサン・ミケーレ読本のような冊子、ぱらぱら見ていると、かなり面白いので、これは、「ロマネスクのおと」で、すでに陳腐化しまくっているパヴィア編、更新しなければ、とすごく思っています。 実際はパヴィアどころか、この二年ほど、まったく手を付けられないでいますので、いつになることやら、というところではありますが。 いずれにしても、何もイベントがなくても、このサン・ミケーレ教会を訪ねるだけでも、パヴィアに行く価値はある、ということを、今回、改めて感じました。 このファサードだけでも、見どころ満載ですが、まずは、内部から。 レンガと石が、程よく混ざった内装は、とってもイタリア的な気がします。特に、ロンバルディアやピエモンテでは、レンガが多く使われますね。そして、それを、石板で覆ったりせずに、鮮やかな色を活用することが多いです。 結構壮大な作りなのですが、その割には、比較的低い位置にある柱頭の愛らしさで、壮大さが軽減される印象です。 ダニエルさんにも見えますが、動物が、ライオンというよりも、キメラやグリフォン的な柱頭。 今は、一般のアクセス不可となっているマトロネオ、つまり二階部分の柵部分に置かれた二股人魚は、魚部分が異常に立派で、遠目にも、何か気になるオーラを発散しています。 この、グリフォン的なお花しっぽのキメラも、同様。 激しくかわいいです。きもかわってやつかな。 しっかりとした彫りの植物モチーフ柱頭。多くの再建ものが混じっていると思われますが、全体の雰囲気がよくて、違和感がありません。 愛するサムソンも、千年の間ずっと、ライオンの口をこじ開けています。 ちょっとアップにしちゃおうかな。 細かい繊細な彫りをする石工さんですよね。すっごく考えて彫っている感じがします。 アップで見ると、どうやら彩色があったようだという様子も見えます。 それにしても、サムソンはいいですねぇ。長髪が何ともいいです。 立派なグリフォン。 地面をしっかりとつかんでいる爪足が、好きです。 天上高さを考えると、比較的には低い場所にあるとはいっても、やはり高いし、それに、暗いので、撮影は結構至難です。残念ながら、有料の灯りサービスもないんですよね。 でも、クリプタに降りると、本当に近くで、柱頭を楽しめます。 若干修復しすぎじゃないの、というようにも感じないでもないですが、でも、素敵な柱頭だから、許せます。それにクリプタは、本堂と違って、明るさふんだんなのも、柱頭を楽しむには、ありがたいことです。雰囲気は損なわれるかもしれないんですけれど。 色々なモチーフがありますが、こういうのが結構お気に入り。 本体は、普通のつる草モチーフですが、副柱頭的な位置に、細かくドラゴンペアが彫られているのが、なんか石工さんの遊び心を感じるっていうか。こういうの、好きですね〜。 こういう正当タイプも、やはりいいです。これが、目の高さのちょっと上くらいで、肉眼で細部まで見られちゃうんですから、嬉しいです。葉っぱのしっぽ、すっごくかわいくて、どれを見ても、趣味の消しゴムハンコモチーフに転用したくなります。 これなんかは、物語的。寓意的な意味が入っているのかな。三角帽子の人物フィギュアは、誰を何を表しているのかしらん。耳ではなく、肩をかまれていますね、ドラゴンに。 ここは、いつまでいても、楽しくて、離れがたい空間です。 祭壇側に、ずらりとランプのようなものが並んでいて、よく見たら、聖遺物入れのようでした。何かいろいろ保有しているらしいですね。 続きます。 |
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ロンゴバルド・フューチャーのパヴィア散歩、その5 前回訪ねたサン・ジョバンニ・ドムナルムから、今度はかなり近い場所にある大学施設に向かいました。パヴィアの大学は、古い歴史を誇っており、一部専門課程のレベルはかなり高いようで、ミラノで働くこの大学出身者も多いのです。 何があるかというと、この入り口がそうなんですが、なんと、今、勉強室となっている場所に、ロンゴバルドのクリプタが隠されているのです。 といっても、上の写真でもわかるように、もともと修道院だったところが、大学に転用されているので、イタリアのように歴史が集積している土地では、さほど驚くべきことでもないんですけどね。 修道院の施設というのは、使いやすいんでしょうかね。そういえば、ミラノ大学も、修道院の建物を活用していますね。 そう考えると、石の文化というのは、ある意味効率が良かったりもするのかな。数百年前の建物を、現代に転用できちゃうんだから。でも、当然、老朽化していますから、不具合も多いとは思いますけれども、でも、無駄がないよね。 もちろん、地震が少ないから可能なことではありますが。 でも、入場してびっくり。 サン・フェリーチェ教会跡Chiesa di San Felice。 そのまんま、学習室。自分がどういうものを見に来ているのか、わかっていないので、この眺めには、戸惑いました。 そして、いきなり、目の前に穴が開いているので、びっくりしました。 ちょうど、一階分地下、というレベルに、このようにぼこぼこと、ロンゴバルド時代の石棺がむき出しに展示してあります。 ここは、「女王の修道院」と呼ばれる8世紀に創建された修道院があった場所だそうです。ロンゴバルド最後の王デジデリオの妻、つまり女王アンサによる修道院。 その後、ロマネスクに当たる時代に、栄えたようなのですが、名残は、トップの写真にある、もともと教会の南壁だった部分のみ。そこさえ、勿論後代の修復がしっかりと施されているため、古び感は、まったくありませんけれど。 あ、一つ見つけました。 内部の壁の一部に、この柱だけ、ポツンと。 この高さは何だろう。この低さから、ヴォルトが出ていたのかしら。とすると、まるでクリプタのように背が低い建物になりますね。 さて、最初に目についた、石棺の観察に戻ります。 パッと見、とっても地味で、え、これだけ?とがっかりしたのですが、よく見ると、何とも興味深い絵が、石棺の中に見えるのです。 右の石棺の奥、わかりますでしょうか。素敵にロンゴバルド的な装飾的十字架。 アップにしてみます。 オリジナルは、きっとかなり鮮やかな色だったのではないでしょうか。 女王が創建しただけあって、ここは、女子修道院だったようなのですが、その修道院長であったアリペルガという女性の墓だそうです。アリペルガ、またまた名前萌えしちゃいそうな響。 なんと発見されたのは、1996年と、かなり最近なんですね。それまでは、学生さんたちの机の下で、ずっと千年以上、閉ざされていたんですね。ふぅ。 石棺ですから、勿論埋葬されていた骨も見つかっています。この十字架は、足元の方で東向きだそうです朝日に足を向けているのか。ふーん。 頭の方には、オークルの縁取りで背景がエジプト・ブルーの円の中に、手が描かれています。これは、祝福する神の手。 そして脇には、何とも不思議な、まるで落書きのようなごちゃごちゃした絵があります。 福音書や福音書家の名前の碑文が描かれています。 細かいところはわからないのですが、マルコとかマッテオとかは、私でもわかりました。 色がすごくきれいで、モチーフも面白いんですが、いかんせん見にくい! 上から見下ろしているのですが、石棺のフォルムが、上部がちょっと狭まっているので、逆斜めって感じで、相当ひしゃげた感じでしか見えないし、一部は見えないし、比較的最近、見学用に作るなら、もうちょっと何とかできなかったかね?と、若干逆切れの気分になりました。少しでも視線を下げて、石棺を覗き込むように見たり、撮影するために、ほぼ、腹ばい状態にはいつくばってしまいましたよ。 あちこちに散らばって描かれている花の絵が、この春にプーリアの洞窟教会で見た、花の絵と、雰囲気が似ていて、あれ?と思いました。あっちはビザンチン起源なので、直接的な文化的共通項はないはずですが、そこここに、素朴な赤い花が咲き乱れていた風景は共通するのかもね〜。 さて、この教会には、もう一つ見るべきものが。 といって、全然わかっていなかったのですが、クリプタとうたっているからには、石棺を上から眺めるだけ、ということはなかろう、とは思っていたのです。そしたら、隅っこの方に、下に降りる階段、ありました。 こちらこそ、クリプタですね。何があるんだろう、とワクワクでおりました。 まさかの石棺!それも、超立派な巨大棺、三個並べ! 説明を読んだら、石棺ではなく、聖遺物入れだと。なるほど。現場では、石棺と思い込んでいたものの、どうも、構造が不思議で、悩みながら、細部を確認していたんです。 この扉が、どうにも不思議で。だって、棺を中に入れるにしては、小さすぎだし、のぞくと、内部にも、箱が組み込まれている様子が見えるんですよ。だから、そもそも、この扉の意味は、分からないな。中のものが、出し入れできるような、秘密のからくりでもない限りは。 それにしても、立派。これは、カロリング時代のもので、大理石製なんだそうです。表面に、いろいろな形が逆エンボスになっているんだけど、ここには、色エナメルや、金銀宝石が、はめ込まれて、燦然と光り輝くものだったようです。そうだと思ったよ〜! このクリプタ、この、聖遺物入れにピッタリな大きさになっているので、こちらが先にありき、という場所のように思われます。誰の聖遺物が入っていたのかね。これだけの大きさに、髪の毛だけとか、指一本とかは許されない気がするので、なんか、すごいもんが納められいたんだろうね。 いやはや、面白かった。 ここで学習する学生さんたちは、たまには、ほぉ、とか思ったりするのかな。クリプタは、いつも開いているとは思えないから、まったく知らない人もいるんだろうな。 なんかすごいことですよね。千年以上前の墓の上で、ITの勉強とかしちゃってたりするっていうのは、なんかすごい。 |







