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2016.08.オーヴェルニュの旅 その88 ブルゴーニュ散歩が続きます。前回に続き、今回も、二度目の訪問となる土地です。 イグランドIguerandeのサン・アンドレ教会Eglise Saint-Andreです。 二度目なので、本ブログのブルゴーニュ・ロマネスクの項に、以前のときの記事がありますので、そちらもご参照くださいね。 それにしても、昔は、ずいぶん簡単な記事を書いていたんだな、とびっくりです。当時はまだ、ホームページをメインに考えていて、 ブログは当面の記憶のつなぎとめ、という役割だったんで、写真もあまり多くアップしていなかったんですよね。 しかし書いておくものです。多くのことを忘れていて、今回、上記のように、後陣からのアクセスとなって、あ、以前は正面からアクセスしたよな、と思ったんですが、記事を読んで、以前もやはりこういうアクセスだったとわかりました。自分のしたことなのに、人の記事を読んでいるみたいで、面白いもんです。 いずれにしても、ここは、こういう形でしかアクセスできないロケーションなのでしょう。 町を見下ろす高台にあり、景色が美しいですよ。 この教会、ロケーションはよいものの、建物そのものには、あまり面白みはありません。例によって、外も中も、かなりこぎれいにされてしまっていて、趣がないというのか。ここで楽しむべきは、おそらく彫り物だと思います。 いきなりですが、そして、以前も一番気に入った柱頭として紹介していますが、やはりこれです。 この一つ目君のインパクトはすごいです。なんという独創性、そしてなんというかわゆさ。 よく見ると、笛のようなものを持っているのですね。こういう笛もち系って、カベスタニーで有名な、ラングドックの方の教会に、何かあった気がしますけれど。これ、これです。 イメージあったのが、リュー・ミネルヴォアの柱頭でした。こっちは、かなり長めの笛で、こういうのは春、3月あたりの図像を髣髴としますが、いきなり春の図像なんて、ありですかね。 一つ目君は、どうか。おそらく笛吹き系というジャンルが、竪琴系みたいにあると思います。勉強不足の私が知らないだけで…。 お隣の角っこの、やはり変な子、気付いてなかったけど、この子は、まさに竪琴系では? かと思うと、葉っぱの隙間から、おちゃめぶった顔をのぞかせるおじさん妖精みたいなフィギュア。 かなりかわい子ぶっていますが、どう見てもおじさんですよね? 動物系フィギュアも、スタイルは普通だと思うのですが、このベロンとして舌が、何とも独創的。それも、なんか彩色があったくさいですよ。赤い舌が暗闇にも目立ったんじゃないですかね。でも、この顔じゃ怖くもないし、なんだろうねぇ、この間抜け面は。 おそらくライオンだとは思うのですが、フェレットとか?ぬるり感があって、妖怪的。 入れなかったら、大いにがっかりしてください、と言うほど、入れないなら行く意味がないくらいの柱頭オンパレードです。 外は、建築的には面白みがないわけですが、持ち送りに、楽しいやつらはいますよ。 地味ですが、そしてぱっと見、なんだかよくわからなかったりしますが、これはインパクトあります。大口開き。一見かわいいイルカが豹変した、そういうイメージです、笑。 こっちは、半魚人的なフィギュアで、相当やばい感じですよ〜。 こっちも、相当変な奴。 妖怪系好きな人におすすめな教会かもしれません。 |
ブルゴーニュ・ロマネスク
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2016.08.オーヴェルニュの旅 その87 さて、ロマネスクの素晴らしい浮彫を眺めながらの至福のランチの後は、ちょっと州を超えて、ブルゴーニュに入ります。 前回のシャスナールを20分ほど、南下するドライブですが、これが美しい道でした。 アリエ川に沿った道を走ったと思うのですが、川の周辺に、運河が多くあるようです。 運河の雰囲気って、前にも書いたかもしれないですが、なんだかとっても好きなのですよね。人工物なんですが、その水のひたひた感がたまらないっていうか。変な好きさですけれど、笑。 で、ちょっとだけ停まっていただいて、ひたひた感を味わいました。 Luneauという村に近い辺りだったようです。 フランスは、運河が多いですね。結構あちこちで出会います。そして出会う度に、なんだかうっとりしてしまいます。小ぶりな様子も、いいんですよね。 イタリアは、国土が小さいし、川が多いので、全国的にはさほどの数はないと思いますが、ミラノや、ベネトのパドバのあたりで出会えますね。 ミラノは、大都市には珍しく、川がない町なのですよ。ただ、町の東西の郊外には、大きな川が流れています。それで、主に物資輸送のために、川と町を結ぶ運河が作られました。一部は、あのレオナルド大先生の仕事だとも言われていますね。 ミラノを代表するドゥオモの石材も、そのほとんどは運河を利用して運ばれたのだったと記憶しています。ただし、旧市街部分の部分は、今では蓋をされてしまって、お目にかかることができませんが、旧市街を外れた北と南では、今でもちゃんと存在しております。今は、周辺も整備されていて、格好の散歩コースとなっています。以前は、北の運河の近くに住んでいたので、いつも運河沿いをジョギングしておりました。 おっと、脱線です。修正! そんな素敵な運河の道をドライブして、たどり着いたのは、懐かしい教会です。 アンジー・ル・ドュックAnzy-le-Ducの、教会Eglise Anzy-le-Ducです。 ここは、初めてブルゴーニュを訪ねた2012年の短い旅で、すでに訪ねているのですが、当時は勉強不足で、全部見切れていなかったのを、今回、同行の士の案内で、その見落としをしっかりと見ることができました。どうぞ、前回の記事と合わせて見ていただけると、トータルで堪能していただけるかもしれません。 今回の記事では、前回見落としているものを、アップしたいと思います。 それが、この扉です。 前回は、教会本体の扉を含むファサードや、内部の柱頭、そして、クリプタを紹介していますが、この、本来修道院の方にあった扉については、まったくノーチェックでした。この場所に、アクセスできたのかどうかも、定かではありませんが、まぁ、今の様子を見ても、特に閉ざされていた可能性はなさそうでした。単に知らないから存在しなかった、ということだと思います。 ちょっと傷みはあるんですが、図像はわかる状態です。 石の様子も色も違うので、にわかにはわかりにくいかもしれませんが、これ、ヌイイ・アン・ドンジョンのタンパント、同じような様子で彫られているのが、わかるでしょうか。マギが左にいますよね。そして、右にはアダムとイブの原罪です。 アップにしてみます。 でも、スタイルはあまり似ていませんよね。こっちの方が、ヌイイよりもずっと普通の表現っていうか。ヌイイでの解説では、ここもドンジョンの工房策というようなことだったと思いますが、スタイル的にはどうですかね?確かにポーズは全く同じで、真似してる感、というか、レプリカ的な様子ですけれど、いや、違うでしょう? せっかくですから、改めて、ヌイイのマギを下に。 アーキトレーブには、左に天の国エルサレム、そして、右に地獄の絵図、ということですが、残念ながら、かなり傷んで、多くの彫り物が欠落しています。 それでも地獄方面のおどろおどろしさは、ちょっと残っていますかね。 いずれにしても、たいそう立派な扉で、これを見落としていてなおかつ、見落としたことに気付いていない、というのが、我ながらあきれますねぇ。やはり昔のように、きちんとホームページにまとめるなどすれば、少なくともその時には気付くのでしょうけれど。 それにしても、今猛烈に腹が立っています。確かこちらで、本をゲットしたものと記憶しているのですが、見当たりません。本棚とその周辺を探したのですが、夜は部屋が暗いし、よく見えないし…。この旅でゲットした本や紙ものは、人ところに積んであるのですが、そこにもない…。どうして、こうやってきちんと整理できないのか。 毎度いろんな目標を作ってしまいますが、本棚の整理も、確かにすでに目標と決めた一つなんです。「ロマネスク関係の本と資料」の整理をスペシャル項目として、付け加えたいと思います。 本堂の南側の側壁の方。ここも、前回は見ていないようです なんだかおもしろい軒持ち送りがずらり。 どれも、かなりオリジナリティの高いモチーフです。 こういうのって、どういうところから思いつくんでしょうねぇ。 勿論、本堂も拝観してきました。ここは、柱頭もとっても楽しい彫り物が満載です。 せっかくなので、おそらく昔の記事には載せなかったであろうものを。 何とも愛嬌のあるライオン君が、真面目な植物モチーフの上にちょこんとあるのが、何ともお茶目です。 お向かいにも。狛犬状態ですね、笑。どっちもかわいい。そして、本来のライオンの役目を忘れているような、愛想たっぷりの笑顔がたまりません。 みんながみんな、憂い顔のこれも、なんだか珍しいような。端っこにいるのは、猿らしいですが、彼らも辛そうですね。 これまた不思議な。角っこの老人は何ですかねぇ。安っぽい遊園地の安っぽいお化け屋敷的な施設に描かれた、思いっきり安っぽい下手な絵、見たいにも見えてしまいます、笑。 キリがないので、そろそろ閉めますが、最後はりりしいサムソンで。 りりしいけど、ここのサムソンも、なんとなく半端な馬乗りかもね。でも、ほっそりした手が好きかな。あとは、ライオンの前足とたてがみ。 とりとめのない記事になってしまいました。すべては本が見つからないイライラのため、笑。早めに整理整頓を実施したいと思います。 |
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最後に訪ねた場所が、ここ、シャペイズChapaizeにあるサン・マルタン教会Saint-Martinです。 ここはもう、なんというか、村のたたずまいが全体としてとても魅力的で、美しいのです。その小さな村の中で、この教会の存在感はかなりのものがあるのですが、だからといって威圧的な空気もなくて、見事に全体の中にはまってなじんでいるというのか。 中がまたよいのです。 無装飾といってよい石だけの空間。それにしてもこの太くてずんぐりとした円柱はすごいです。ドカーン!という感じで並んでいるんですが、それが不思議に重くなくて、まさにこうあるべきだよね、というような雰囲気全開。 どうですか。この質感。 何も装飾がないけれど、なんだか音楽が聞こえてくるような、そういう感じ、しませんでしょうか。 このくらい太くしないと、支えきれない感じで、作っちゃったんでしょうかねぇ。 というわけで、ブルゴーニュの旅、とりあえずの最終回です。 本当はこの後、近所のランシャールとか、ブランシオンとかも立ち寄るつもりでいたのですが、実際、帰りの飛行機までまだちょっと時間もあったのですが、なんだかもう限界、という状態だったので、ここで打ち切って、リヨンに向かうことにしました。 ある意味、宿題を残した方が、また訪ねる機会を得やすいというのもありますしね。 あちこちの教会で、こういう地図も撮影したし。 修行の終わりは、まったく見えないですね。 次回行くとしたら、そのときはよりマニアックな選択になりそうです。 その際は、やはりフランス語を何とかできるレベルにしとかないといけないなぁ。 アルプスを越えて、イタリアに向かいます。 いやはや、辛い修行だった!でも充実! 夏休みを越えて、長らくお付き合いありがとうございました。 次回からは、南チロルの続きになります。 |
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次に訪ねたのは、これまたすぐ近くにあるMalayのNotre-Dame-de-la-Nativite'教会です。 カーナビの指示にしたがって、たどり着いたのは、何の変哲もない小さな村。 というより、どうもロマネスクの教会などありそうもないような雰囲気だったのですが、村を通り抜けていくと。 村はずれに小さな墓地があり、その真ん中に堂々とすっきりと建っておりました。 墓地の入り口に向いているのが後陣というのは、何か不思議な気がして、もともとは反対側に入り口があったのかも、と思い、そちら側に回りこんでみました。 おお! なんともつまらないファサード。その上入り口すらありません。閉ざされた感じもないですが、全体新しいので、この部分は、完全に再建と思われます。 側壁なんかも多分同様。 中に入ったら、やっぱり。 もうぺかぺかに漆喰塗りで、こりゃあかん、という状態でした。フレスコ画が若干残っていましたが、それも、ロマネスクよりずいぶん後の時代のものです。 ここは、後陣のたたずまいを楽しむ教会かな。 多くが再建かもしれませんが、スタイルはそのままという感じなので。何より、村からアクセスしたとき、目に飛び込んでくる姿が、本当に美しいのです。 こういうタイプで翼廊の飛び出していないスタイルは、ブルゴーニュの他の場所でも、また、この夏シャランテでもいくつか目にした気がします。翼廊が出ている分、ちょっとずんぐりしてますが、実際に見ると、かなりすっきり優美ですよ。 終わり、近いです。 |
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夏休み報告で中断していたブルゴーニュに戻ります。 ところで、前回のTaizeという村は、テゼと発音するんだそうです。ロマネスク仲間の方が教えてくれたのですが、テゼ共同体という修道会があり、毎年十万人もの信徒の若者たちが集まって信仰を深める活動などをしているんだそうです。 毎年十万人!特に夏は多く集まるでしょうから、あの混雑も納得です。そして、なぜこんなに多くの人がいるの?というわたしの質問に、びっくりしたように、「だってテゼだから」と答えた若者にも納得です。 このあたりは、街道沿いの村々に、必ずといっていいほどにロマネスクの教会が建っているようです。このテゼの少し先にあるAmeugny。これまた発音が皆目わかりませんが、アメニーとかいうのでしょうかねぇ。Notre-Dame-de-l'Assumption教会です。 9世紀、バイキングの侵攻やペスト、ミレニアムを前にした社会不安に、この地域も荒れたそうですが、その後クリュニーの修道士の影響もあり、落ち着きを取り戻し、地域一帯に、無数の教会が再建、新築されます。そのひとつがこの教会で、クリュニー大修道院に先立つこと30年、1050年に建設が開始されたようです。 クリュニー、本当に近いですから、影響を受けないわけがないですね。 町の小さな墓地の中にある教会です。墓地も小さいけれど、教会も本当に小さくてかわいらしい。ファサードはこの通り、ほとんど無装飾にも見えるシンプルさ。 入り口扉の上に、クリスモンがありますが、それもシンプル。アーキトレーブには、文が刻まれています。 近所の村Malayの、石工の名前が彫り込まれているようなんですよ。そういうのってブルゴーニュでもここだけとか。 全体にやけにシャープで、ロマネスクの時代というよりも、もっと後の時代のもののような気もするのですが、どうなんでしょうね。 この教会、わたしが気に入ったのは、後陣側のたたずまいです。 全体に苔むしていて、石の色とのバランスがとっても美しい。塔は背が低いのにサイズは大きくて、教会を押しつぶしているような重量感があり、面白いのです。 反対側を見ると、鐘楼に登る素朴な階段があり、思わず登ってみたくなります。 なんか、絵本に出てくるお家みたいなたたずまいなんです。 ただし、中はつまらなくなっていますよ。一応載せますけど。 さほど古くはなさそうなフレスコ画(といっても、ゴシック後期とか?)とか、オリジナルの石っぽいものが、壁の漆喰の間に、チョコチョコは残されていましたけれど、実につまらないですよ、こういう修復は。 こういう場所は、逆にクローズしていた方が夢が広がって、よいのかもしれません。 ブルゴーニュ、もうちょっとだけ続きます。 |





