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ベネチア・ビエンナーレ・アルテ2017 その17(最終回) ホテルで荷物をピックアップして、鉄道駅に向かう道すがら、何かあれば見ていこうと思いながら歩き出した途端、あっという間に、「なにか」に遭遇。 Republic of Azerbaijan Pavilion Under One Sun – The Art of Living Together by Hypnotica, Elvin Nabizade なんと、ホテル至近の広場に面した、ベネチア風の素敵な建物が、アゼルバイジャンのパヴィリオンとなっていました。 建物に入ると、すぐ、ビデオ中心のスペース。 こういうのは、かつての流行りっていうか、近未来SF映画的なっていうか、今はもう、ちょっと終わっているコンテンツのような気もしますが、決して嫌いではないのです。 建物は、上階部分も使っていて、二階に上ってびっくり。 楽しいうつわ、楽器がずらり〜! 一階とのあまりの違いに、なんで〜?という印象でした。 マンドリン風の楽器ですが、おそらくアゼルバイジャン固有の楽器なのでは、と思われます。展示の仕方が独特で、建物の雰囲気、窓の外の借景も含めて、素晴らしい美しさでした。 そして、その先にも。 私の写真では、決して伝わらないと思いますが、これは美しい作品でした。それぞれの楽器の美しさ、そして、全体の調和。音のないオーケストラとでも言ったような響きが聞こえるような視覚作品です。優れたコンテンポラリー・ダンスを見て、音を聞くような、そういう感じっていうのか。 すべて、伝統的な楽器と思うのですが、とにかくフォルムと言い、色彩や装飾的な部分すべてが宝石のような美しさです。職人さんの粋がつまっていますね。それを現代アーティストが、別の美しい作品に仕上げる。幸せなコラボです。 いや、楽器の本性は、音を奏でることなんだから、本当は方向性が違うのでしょうけれど、奏でられなくても音を感じるように思えるなら、それはそれで、本性が生かされていますよね。 その奥にしつらえていたのは、アゼルバイジャンのお家インスタレーションでしょうか。 ますます、音が聞こえますね。 すっかり満足して、パヴィリオンを出たら、同じ広場の片隅で、今度は音の聞こえるパフォーマンスに出会いました。 グラスの淵をこすって音を奏でるグラスなんとかってやつですね。これは、ビエンナーレ協賛ではないでしょうけれど、グラスの数が半端なく、素晴らしい演奏でした。 広場を出きらないうちに、また、「なにか」あり。 Imago Mundi - Luciano Benetton Collection Great and North – 759 Artists from Eastern and Western Canada, the Inuit and Indigenous artists of North America ベネトン総裁のルチャーノ・ベネトンのコレクション展示が、サテライト企画として展示されていました。 はがき大くらいの作品が、ずらりと並んでいて、これは、なかなか面白い展覧会でした。あまり時間がないので、ゆっくりとみていることはできなかったのですが、ちょっと面白い。 ベネトン、洋服屋さんとしては、すっかり影が薄くなって、今何を商売にしているのかよくわからないのですが、健在なんですねぇ。 やっと広場を抜けようというところで、また「なにか」。 Objection The Pavilion of Humanity by Michal Cole, Ekin Onat こういうサテライト企画は、その出どころとかよくわからないですけれど、建物が素敵だし、立ち寄りたい誘惑に勝てず。 いきなりあるのは、黒いテーブル。 とても普通に住宅、という展示会場で、ダイニングに置かれたテーブル。でもそれが、真っ黒で、現実的じゃない。シュールなんです、全体に。 その奥には、また別のシュールな部屋が。 これは、すっごいきれいでした。全部、シルクのネクタイなんですよね、どうやら。シルクのつやつや感が美しくて、そして、これだけ色が氾濫しているのに、全体の調和があって、なんというのか、貴族的な、高級感?面白いです。 確か、靴をビニールで覆うなどすれば、部屋に足を踏み入れることができるようになっていたと思うのですが、時間がないので断念。ソファに座って、部屋に沈み込んでみたかったな。入り口からのぞき込むのとは、違う眺めだと想像します。 二階にも上れました。 さらに、普通の住宅感満載で、等身大の人のフィギュアまで。乱れたベッドが、とても現実的かつシュールな空間でした。 借景が、普通の住宅からの窓の風景だけに、何とも不思議ですよね。建物全体が面白いものになっていて、感じるものはありました。感銘は受けないけどね。 ということで、今回のビエンナーレの旅、やっと終了です。 全体として、私には、低調ではありましたが、常に身近に見ることができるわけじゃない現代アートを、二日にわたってどっぷり味わえるのは、いつだって特別で楽しいひと時です。そういう意味では、今回も、いつも同様、楽しめました。友人とのランデブーでもあったので、その楽しみもありましたしね。 この週末は、毎年恒例のショート・トリップ。またまた寄り道です。 でも、来週以降、ロマネスクも再開しますので、またよろしくお願いしますね〜! |
ヴェネチア・ビエンナーレ
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ベネチア・ビエンナーレ・アルテ2017 その16 アルセナーレ会場Arsenaleの見学、続きです。 本会場脇にある別館、思いの外、充実したスペースとなっています。 Turkey Pavilion Cin by Cevdet Erek でも、大規模だから面白いか、というと、そういうことはないんですよね。これは、バスケットボールのコートのような感じで、町角にこういう施設がありそうな雰囲気なんだけど、なんか周囲を歩くんです。 奥にある階段の先に並んでいるのは、フラットな形のスピーカーで、耳を近づけると、かすかに、いろんな音、雑音的な音が聞こえてきます。でも、だからなに?の典型かもね。 そんなものより、こんな小品の方が、ずっと楽しかったりします。 Peru Pavilion Land of Tomorrow by Juan Javier Salazar ここは、大変地味な作品ばかりでしたが、でも、好みでした。 今更、絵画作品って、陳腐で面白みがないって、特にビエンナーレの会場では、いつも思ってしまうのですが、時として、あ、絵もいいよな、と思うときがあります。この人の絵は、そういう絵でした。 これが欲しいか、家に飾りたいか、というと、違うんですけれど、何か感じさせるものがあるというのか、目が引き寄せられるものがあるっていうのか、そういう感じ。 こちらは、ちょっと面白かった作品。 Republic of Macedonia Pavilion Red Carnival by Tome Adzievski パヴィリオンと言っても、スペースのほんの一角を使った小さなものです。その上、マケドニア共和国なんて言っても、日本人にはピンとこないかもしれませんね。 イタリアに住みだした頃、お隣のバルカン半島では大騒ぎがあり、結果としてユーゴスラヴィアが崩壊し、もともとばらばらの国が、ばらばらに戻ったわけですが、その一つがマケドニア。 ミラノに来る前に、イタリア語を学んでいたペルージャでは、スロベニアの人も、クロアチアの人も、マケドニアの人もセルビアの人もいたのですが、ここにいれば、いがみ合うこともないけれど、でも、国に帰れば、どうしてもなじめない、理解しあえない気持ちになると言っていたクロアチア人の友人がいました。無理やり、ユーゴという国に統一されたものの、結局、文化も教育も統合され交わることもなく、人々はばらばらのまま、生活していたということなんでしょうね。 昨今、スペインでカタルーニャが大騒ぎしていますが、ことほど左様に、ヨーロッパの民族問題とは、難しく複雑で、島国の日本では、いろいろな意味で分かりにくいものだと、改めて思いました。 あ、話それましたが、これは、そういうこととは、関係なくて。いや、関係ないのかどうか、わかりませんが、この車は、ジェームス・ボンドのボンド・カーです。 ね。 脇に立っている見学者の視線の先には、ビデオ作品があります。 車の周りに若者が押し寄せて、みんなしてポスターをべたべた貼っていく、というパフォーマンスをするビデオ。その結果が、この車、という作品です。 べたべた貼られているポスターが、映画のものだったり、政治的スローガンみたいなものだったりするところに、意図が隠されているというとこでしょうか。 Mexico Pavilion The Life in the Folds by Carlos Amorales これは、最初、この、テーブルにずらずら並べられた不規則な形の物体が何だかわからなくて、???だったんですが、コンセプトが面白かったです。 多分、この形一つ一つが伝達手段となっていて、音符にもなれば、文字にもなるっていうようなことなのではないか、と思います。 流れているビデオのキャプションも、これで書かれているし、新聞状の冊子が積まれていたのでもらってきましたが、文も絵も、すべてこの記号的なもので、表されていて、面白いんです。私の好きな、かなり壮大な無駄な作品に近いですね。 ただ、展示が地味なのと、訴えるインパクトが小さくて、評価はいまひとつかな。 さて、やっとここまで来ました。 この他に、いくつか、見学したものの、記事からは省いた展示もあります。それにしても、宿泊しただけあって、いつもの日帰りからは想像もつかないくらいにゆっくりじっくり見ることができ、満足です。 実は、二日目は、アルセナーレだけでは、絶対に時間が余るので、久しぶりに、グッゲンハイムや、プンタ・デッラ・ドガーナに立ち寄ってもいいな、と考えていたのですが、結局アルセナーレの見学は、10時過ぎから、20分強ランチ時間を割いた以外は、ずっと見学し続けて、終了は、15時ちょっと前。驚きました。 帰りに汽車の時間の関係で、16時過ぎには、ホテルに荷物を取りに戻りたかったので、他の美術館に立ち寄る時間は無くなりました。 ぶらぶらと歩きながら、ホテルに向かう途中で、気付いた展示会場。 Fondazione Lous Vuitton – Espace Louis Vuitton Venezia Pierre Huyghe この道は、何度か行き来したものの、この手前の赤い看板しか見えていませんでした。よく見ると、その後ろに、地味な白い看板が出ていたんですね。なんと、ルイ・ヴィトンの展示スペースも、ビエンナーレに協賛していました。 いつもは、駅とジャルディーニを結ぶコースを歩くだけなので、いつから、ルイ・ヴィトンが参加しているのか、まったく知らないのですが、考えたら、彼らは、パリに財団経営の、素晴らしい現代美術館を持っていますね。フランク・ゲイリー設計の美術館は、いつか絶対訪ねてみたい場所です。そんなブランドが、参加してないわけもないですよね。 イタリアのブランドで、最も美術にお金を使っているのは、プラダだと思っていますが(ミラノ市内に美術館を二つ、ベネチアにも一つ持っています)、ルイ・ヴィトンはそのフランス版になるのかな。逆か。 というわけで、立ち寄ってみることに。 展示スペースは、勿論店舗のあるビル。看板の建てられた角から裏道に入ります。華やかなショーウィンドウのある表通りから、一歩入っただけですが、こんな小路で、あまりの落差にびっくりしますよね。これがベネチアの不思議なところ。 鉄道駅から、リアルト橋やサン・マルコ広場へ向かう道は、人一人歩くのがやっと、というような小路も含めて常に大混雑で、歩くのも大変なのに、そういう幹線から一歩外れると、人っ子一人いない小路や広場に出会うことができるんです。どんな時でも。 だから、いつか、ベネチアに滞在して、時間に追われずに、さまよってみたいと、いつも思っています。 おっと、すぐ話がそれます。 展示会場は、この小路にある、ヴィトンの会社ビルの最上階にありました。受付もいない入り口を勝手に入り、エレベーターで会場まで。 広いオープンスペースで、ビデオを流しているだけの作品でした。南極だか北極だかのペンギン風景。ペンがいるのは南極ですかね。 椅子も何もないスペースで、数人が床に座り込んで、ぼーっと見ていました。疲れていたら、ちょうどいいよね。場所も超繁華街で、お休みどころ。笑。 もう一つも、同じような作品だったと思います。ほとんど通り過ぎただけで、出てしまいました。私の苦手とするビデオだったし、面白さも見いだせず、また、ゆっくり過ごす時間もなかったことですし。 会場を出るには、自動的に店の方の階段を降りることになり、めったに入ることのない、というより、ベネチアでこんなお店、入ったことも入ろうと思ったこともない高級仕様かつ現代アート仕様の内装に、目を奪われました。 ビエンナーレ組と、本来のヴィトンのお客様と、客層が、あまりにも分かれているのが、結構面白かったです。お店が偉いと思ったのは、ビエンナーレ組に対しても、大変丁寧で、にっこり笑顔の店員さんばかりだったことです。勘違いする店員さんもいっぱいいますからね。 ちなみに、フライヤーも、とても素敵でした。 もうちょっとだけ、続きます。 |
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ベネチア・ビエンナーレ・アルテ2017 その15 アルセナーレ会場Arsenaleの見学、続きです。 やっと、イタリア館。 Italia Pavilion Giorgio Andreotta Calo', Roberto Cuoghi, Adelita Husni-Bey ドッグのすぐ脇なのですが、ノルド会場を優先したため、遅い見学となりました。かなりの混雑です。 今回は、大型の作品が、どーん!という展示でした。 Senza Titolo (Fine del Mondo) by Giorgio Andreotta Calo'(ベネチア、1979年生) ベネチア生まれ、ベネチア育ちの作家さんの、無題(世界の終わり)というタイトル。かなり暗くて、全体像はぼんやり。暗闇が苦手な私には、辛い作品です。でも、真っ暗闇ではないので、他の見学者同様、行けるところは行かねば、と恐る恐る階段を登ります。一応、係員の人が、監視していますので、ちょっと安心感があります。 やっと上に上ったものの、暗闇過ぎて、全体を把握するのはほぼ無理。 説明を読むと、横にも縦にも区切りをつけることで、世界の分断やら同時性や並行性、対局やら何やらを表現している云々、とありましたけれど、ここまで暗くしちゃったら、見えないやないか〜!と、なぜか関西弁で悪態をつきたくなる作品でした。もっと、正々堂々と、白日の下で主張しろ〜! もひとつは、結構衝撃的な作品で、ニュースでも見ていて、気になっていたやつ。 Imitazione di Cristo by Roberto Cuoghi(モデナ―ミラノ、1973年生) 「キリストの変容」というタイトルで、実際に、キリスト像というのか、人の身体が変容、というより、死後の姿を具象化しちゃっている作品で、腐臭まで漂う衝撃が、ニュースになっていたんですよね。 ちょっとグロテスクな絵が続きますので、注意してくださいね。 中世的なキリストの変容をテーマにしつつ、現代科学や文化を混ぜ合わせて、なんたらかんたらを表現してるってやつですが、とにかく、作品は壮大で、ばかばかしいですね。 映画ETで、ETを「捕獲」するために作った臨時のビニールハウス的な構造物とか、フランケンシュタインの、得体のしれない機械類とか、そういうイメージの、巨大構造物、そして、その中に、様々に変容した人型が置かれています。 私が見学したときは、腐臭のようなものは感じられませんでした。悪評でやめたんかな。それともプロジェクト段階でやめたのかな。 無宗教な私にとっては、スタートが陳腐なテーマだと思うし、気持ち悪いし。でも、この大規模スケールのばかばかしさは、かなり好みでした。 好き嫌いがわかれそうですが、それも含めて、久しぶりにインパクトのあるイタリア館だったと思います。 さて、会場を入り口に向かって遡りながら、本館脇で、これまた年々スペースが拡張している別館へ。ここ、今回は、かなり見ごたえありました。というか、展示が増えて、いったいどういう構造になっているのかわかりにくく、行ったり来たり、登ったり下りたり、疲れました。 まずは、インパクト大のこちら。 Argentina Pavilion Horse Problem by Claudia Fontes レオナルドの馬もかくや、の巨大馬。タイトルが、なんかいいよ、馬の問題って!確かに問題だわ、この馬の激しさは〜! アルゼンチンの建国においては、馬なしではありえない、という歴史をベースにした作品だとか。でもそれがどうしようもない、ウマくいってないっちゅーようなことなんですかね。 下着姿のような女性が、ドウドウしてるのも、たぶんシンボリックなのでしょうね。 この、粉々のものが吊り下げられているのも、同じ展示場所。写っている影がポイントなんだと思うんだけど。 ロンドンのビクトリア・アンド・アルバート美術館協賛スペースもありました。 Display – between art and arts and craft ビクトリア・アンド・アルバート美術館って、インテリアとかクラフトとか系だったんだっけね。でも、意図するところは、全然わからなかったです〜、てへ。 これは、中国人の作家さんの作品で、いろんな家らしい建造物が、いろんなロケーションに建てられているっていうのか、そういう計画模型的な作品がずらり。 ちょっとさ、これも建築とかサローネ的な作品だよね。どうなっちゃってるんだろう。 Rodan Kane Hart(南アフリカ、1988年生) 壁にずらりと銀色フォイル的な素材の仮面。アルミホイルがくしゃくしゃなっているとしか見えないんだよねぇ。 これは好きだった! Singapore Pavilion Dapunta Hyang:Transmission of Knowledge by Zai Kuning 7世紀ごろから、今の東南アジア一帯を統一したSrivijayan帝国というのがあって、時の王様が、巡礼(仏教)のために、2万人もの兵士が操る船を作ったとか、そういうお話がもとになった作品のようです。 土地の木材を使い、蜜蝋でつなぎ合わせて、作った巨大な船形。 蜜蝋が、展示中に、ぽたぽたと滴り落ちて、鍾乳石のようになっています。 背景にストーリーがあることで、さらに壮大な夢を感じさせる作品になっているような気がしました。そもそも、東南アジア一帯の中世史って、何も知らないなぁ、と思ったのも、ある意味ショックでした。本当に、何も知らない。ご近所のはずなのに。 |
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ベネチア・ビエンナーレ・アルテ2017 その14 アルセナーレ会場Arsenaleの見学、続きです。 ノルドから、本島に戻り、見学を続けます。アルセナーレの、最も奥の地域で、数年前から、展示スペースとしての使用が始まった場所。公園の中をさまようように歩くのが、結構楽しいものです。 片隅に遺された倉庫のような建物は、扉ごとに展示会場となっています。もとは、掃除用具とか、消防用具とか、そんなものの置き場になっていたようで、実にそっけないスペース。 Printing my steps by Fiete Stolte(ドイツ―ベルリン、1979年生) 足跡に光があたっているだけの、こんなそっけない展示が、意外とマッチします。 こんなシンプルな作品も、場所のイメージにピッタリなインスタレーションとして、評価します。いや、私に評価されても、嬉しくもなんともないだろうけれど、笑。 Doorway by Vadim Fiskin(ロシア―リュビヤナ、1965年生) 奥の壁に、開いたり閉まったりするドアの映像が映し出されているだけの作品です。結構パタパタと短時間で閉まったり開いたり。開いた時のあふれんばかりの光が、ぐっと来ます。 先にある別の建物は、このような内装にされていました。 どう見ても、ナチのユダヤ人収容所。作品は、この奥の方に展示されていた不思議な時計だったのですが、この構造の方が気になってしまい、怖くて、すぐに出てきてしまいました。 その先には、壮大な無駄、的な作品が堂々と展示されています。 Shipyard by Michael Beutler(ドイツ―ベルリン、1976年生) アルセナーレがもともと造船所であったことに対するオマージュとして作られた作品ということです。 建物の中には、四つの大きな水槽が置かれ、そこに浮かんでいるような構造物があります。 水槽の水の微妙な揺れで、天井とつながっている構造物も、微妙に揺れているようです。動くかと思って押してみると、相当の重みですが、動いたようでした。 このような木の構造物は、日本の技術などを使っているような気もします。外壁部分、面白いです。 木なのに、互い違いに組み合わされて。これは日本またはアジアの木の家の人たちの技術ですよね。 それにしても、これは、どちらかというと建築ビエンナーレでの展示の方が、しっくりくるような作品でした。 緑の小道を行くと、どこからともなく、いろいろと混ざり合った音が聞こえてきます。 Composition for a Publice Park by Hassan Khan(英国―カイロ、1975年生) 自然の音ではありえないけれど、最初、どこからどう聞こえてくるのか、わかりませんでした。よく見ると、道端に、黒いスピーカーがありますね。 先の、開けた場所に、ずらりとスピーカーが並んでいて、スピーカーの小道となっていました。間を歩くと、歩くにつれ、様々なサウンドが聞こえてくる仕掛け。 でもね、つまんない。 この辺りは、すでに相当疲れていますから、よほどのものじゃないと、興奮もせず、面白さも見いだせないテンションです。 そうは言いながら、ちまちましたこういう、割と正当な現代美術然、とした作品は、食いついてしまいますねぇ。 この一角、同じ作家さんの一連の作品が並べられていましたが、ギャラリーの展示的な、ちょっと買っちゃおうかな、と思わせる、そういう規模でテイストの、至極普通の作品たち。 Pet Cemetary by Erika Verzutti(ブラジル、1971年生) でも、テーマはペットのお墓だったんですね。 Foret de Balais by Michel Blazy ディズニーのファンタジーを髣髴とするホウキの集団。タイトルはまんま、「ホウキの林」ですが、ちょっとひねってもよかろうよ、と思いました。 A Circle for a Venezian Garden by Takesada Matsutani(日本―パリ、1937年生) 具体のメンバーだった人みたいですが、なぜ、いまこのような作品を選ぶのかは、私には全く不明です。何か、感じるところ、ありますかね。 本会場の方に戻りつつ、行に見ていない展示を拾いながら歩きます。まずは、以前とは内装が大いに変わってしまった中国パヴィリオン。以前は、元から置かれていたボイラーのような機械類がそのまま残されたスペースで、それを利用する面白さがある場所でしたが、今は、それらが取り払われた、大きなスペースになっています。 China Pavilion Continuum – Generation by Generation(不息) Tang Nannan, Wu Jian'an, Wang Tienawen, Yao Huifen 映像や、工芸品的なものが、雑多に並べられていて、今一つ、統一感がなく、訴えるものがわかりませんでした。ところどころ、面白いものはあるんだけど。 この後、いよいよイタリア館。 いよいよ、ということもないけれど、一応主催国であるだけに、力は入っているので。 |
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ベネチア・ビエンナーレ・アルテ2017 その13 アルセナーレ会場Arsenaleの見学、続きです。 会場の北端で、渡し船に乗船です。 ほんの2分ほどの乗船で、アルセナーレ・ノルドに初上陸! この会場図では、下が北となっていて、今のアルセナーレ・ノルドの図は、下側で、上部が本当のアルセナーレ会場となっています。 ノルドは、この数年、少しずつ使えるスペースを増やしてきているものと思います。これまで、時間の関係で、渡る余裕がなかったのですが、過去にも、展示があったのは知っています。 本島の会場を眺めると、左側に、Kishio Sugaさんの作品が展示されていたドッグが見えます。 まずは取るものもとりあえず、手近にあった会場へ。 Lebanese Republic Pavilion Samas by Zad Moultaka と言っても、ここの写真は、入り口しかないんです。というのも、入ると真っ暗。 私の直前に入ったイタリア人三人組と一緒に、暗闇で説明を受けます。懐中電灯を持った係員が誘導するので、それについて歩いてほしい、ということでした。 三人組は、若い娘たちで、物おじすることなく、どんどん歩き出しますが、私は、暗闇がかなり本気で苦手。懐中電灯の誘導は、あっという間に視界から消えて、ちょっと遅れて歩いている娘の一人の後をついていくのがやっとという状況です。 おそらく、部屋を横切った向かいの壁のところに、ぼんやりと灯りがあてられた作品らしきものが見えるのですが、それ以外は闇なので、もう怖くて怖くて、作品鑑賞どころではありません。指針となる娘さんの姿を見失わないように、ただそれだけに必死になって、何とか出口にたどり着きました。 もう、コンセプトも何もわからないし、どうでもよし。転びもせず、出られただけで良し!と、変な達成感はありましたが、どっと疲れました。 ぼんやりと見えた作品は、すごくつまらなかったし。 今、入り口を見ると、Soleil Noir Soleilとありますね。太陽、黒い太陽?夜の太陽?なんか、作品はキラキラとゴールドだったし、あれはもしかすると暗闇に見える太陽だったのか。日食? なんだかもう、すごく陳腐な発想しかできんわ。 お隣は、またもや中国。 Memory and contemporaneity – China Art Today これは中国パヴィリオンではなく、あくまで中国の現代アート、というサテライト展です。かなり大きなスペースを使っていました。 中国臭の強い、工芸作品的なものは、元来興味の対象外でしたが、最初に引き込まれてしまったのが、巨大スクリーンに映された、これは紫禁城なのかしらん。 遥か外側の入り口から、どんどん奥にカメラが進んでいくのですが、十畳、いやもっと大きいのか、壁全体がスクリーンになっている上に、ドローン的な視線で、カメラがすごい勢いで進んでいくので、自分が高速歩く歩道になってその場を飛んでいるような感覚に襲われます。どこまで進んでも、どこまでもさらに奥があるというのもすごい。CGで作っているとも思うのですが、実際を知らないし、中国四千年の歴史は侮れないと思っているので、現実的にみてしまいましたね〜。 床部分も映像なので、こうやって、実際に現場に佇んでいる状態になります。 新味はないけれど、こういう巨大さやスピードっていうのは、なかなかお目にかかれる規模ではないので、やはりワクワクする要素ではあります。 広いスペースを使っただけあって、巨大作品が他にも並べられていて、もひとつよかったのが、これ。 Different Dreams on the bed by Song Dong 四角の建物で、どの壁も、様々な窓枠や扉で囲まれています。こちら側と反対側に、のぞき込めるように扉があけ放されています。 のぞき込むと、アンティークっぽい、ベッドというよりも寝台、と言った方が似つかわしい家具が、所せましと並べられ、積み重ねられていて、それだけでも、いいなぁ、と思ってしまったのですが、上を見て、さらにびっくり。 絶句!予想外の美しさに出会って、絶句でしたよ。 数知れないランプが下がっていて、ここで初めて、鏡面の遊びに気付くのです。 壁も天井も床も、全部鏡面になっているのですね。だから、すべてが無限。 そして、すべてがアンティーク。たぶん、本当のアンティークなんじゃないのかなぁ。 私は古いものが好きで、家を買った時も、アンティーク屋さん巡りは結構したのです。家を買った当時は、普通以上に貧乏になっているのに、でも、普段ありえない金額を使っていることで、すでに金銭感覚狂ってますから、机と、ランプシェードは、本気で探したんです。 でも、幸いにも、大きさやデザインで、これというものが見つからないうちに時間切れとなり、普通の家具やでかなり普通のものを購入することになったのです。金銭感覚が戻ってから、つくづく、幸いだった、と安堵したものです、笑。 それにしても、この人のセンス、いいわぁ。 この、外壁の作りだって、相当好き。 上の方の、家の作品の左側に映りこんでいるのも、巨大な作品。 United nation's man & space by Gu Wenda 地味な色彩で、各国の国旗が作られていて、発想は結構斬新。思わず、日本はどこだ?と探しちゃうのが、やはり一般人だなぁ、オレ。 地味な場所に、地味な感じで置かれておりましたが、デザインが単純な分、目立ちますね、やはり。 これ、素材は何だろう、と思うでしょ。こうやって遠目に眺めていると、わかりにくいんですが、近づいて、思わず引けました。 もしや、髪の毛では…? タイトルからして、もしかすると各国出身者から髪の毛を集めたとか? これはちょっと、物理的に嫌だったな。展示する人も、触るの嫌だったんじゃないか、とか勝手に同情。 で、逃げるように次の展示へ。 Hyper Pavilion ここは、まったくよくわからなかったんです。 とにかく人が少ない。だだっ広い。薄暗い。怖い。 異空間に紛れ込んでしまったことを楽しめばよいのかもしれないんですが、のめりこめるほど面白い展示もなく、ただ、唐突な段差とかで転ばないようにしないと、とか、余計な保身ばかり考えながら、歩いていました。 見事に人がいない。やはり渡し船に乗ってまで来る人は、少ないんです。本当の混雑が嘘みたい。 ただ、作品もねぇ。ハイパーというからには、デジタルとか現代的な要素をメインにした作品館、というようなコンセプトだったようなのですが、デジタル映像を、巨大スクリーンに流しているだけのものが、ハイパーかと言われれば、?、とも思うし。 「蟲氏」を髣髴としてしまった映像。 いや、過去と現代ハイパーという意味でも、面白さ、美しさでも、蟲氏が勝つわ。笑。 あっという間に見学終了。 ノルデまで足を延ばして、とりあえず、初上陸はよかったし、もう一つよかったのは、見学者が少ないけれど、バールはちゃんとオープンしていて、のんびりとランチをいただけたことです。本島ではどこのバールも、異常に混雑していて、ついお昼時を逃していたので、ちょうどよかったし、これはまさに穴場。 穴場ですよ、皆さん。ノルドのバール! |





