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徳川三代将軍「家光」の時代(約370年前)
平戸藩藩士「森本右近太夫」と言う人物が「アンコールワット」を訪れ 壁面に「落書き」を残している。 残念ながら先の内戦で落書きの上から色を塗られ判読がし難くなっています。 今だったら世界遺産に落書きをすれば犯罪でしょうけど月日が経てば皮肉にも 歴史資料となります。その頃から日本人は遺跡に落書きをするのが好きだったのでしょうか? 右近太夫の父親は肥後藩加藤清正の重臣で熊本城の築城を手がけた人物です。 加藤清正が死去後加藤家では内紛が起こり、それに嫌気を起こし平戸藩に就職したそうです。 当時の平戸には外国船も度々入港していたらしく外国に渡るのに便利だったのでしょう。 平家物語に出てくる「祇園精舎」だと信じて父の菩提を弔いに仏像を持ってやってきたのである。 落書きの文は現代風に訳せば以下の通りだそうです。 寛永九年正月初めてここに来る 生国は日本。肥州の住人藤原朝臣森本右近太夫一房 御堂を志し数千里の海上を渡り 一念を念じ世々娑婆浮世の思いを清めるために ここに仏四体を奉るものなり右近太夫は無事日本へ帰国するが、直後に始まる鎖国政策と海外渡航の禁止、 さらに海外にいる日本人の帰国禁止に伴ない、その後の消息は不明だそうです。 彼がアンコールワットに行った時は既にクメール王朝も崩壊し廃墟になっていたそうですが、 アンコールワットがヒンドゥー寺院とは知らなかったのでしょう。 |
アンコールワット・ベトナムの旅
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一日目:福岡空港から関西空港へ 関西空港11時15分発 ベトナム航空 VN941便 ホーチミン14時50分着(以下現地時間) ホーチミン17時30分発 シェムリアップ 18時45分着 着後クメール料理の夕食後宿泊 *日本からカンボジアに直接入る便は有りません。 カンボジア国内に国際空港が 二つ有りますが、二つ共ジェット機が着陸出来ません。故にベトナムかタイより 70名乗りのプロペラ機(フレンドシップ?)で入国します。 二日目:一日中アンコールワット及びその周辺遺跡見学、但し昼食後ホテルに帰り昼寝 15時より残りの遺跡を見学後市内レストランで民族舞踊を見ながらの夕食 三日目:午前中シェムリアップ市近郊の所に広がる東南アジア最大の「トレンサップ湖」 観光午後アンコールトム及び周辺遺跡見学。夕刻市内オールドマーケット見学。 シェムリアップ19時15分発でホーチミンへ、着後市内レストランでベトナム料理 四日目:午前中ホーチミン市内見学 飲茶の昼食、午後ベンタイン市場・雑貨店巡り後 自由行動 夕食は民族舞踊を見ながらベトナム料理 五日目:終日メコン川デルタ観光。昼食はエレファントフィツシュ料理 ホーチミン帰着後夕食はベトナム海鮮料理 六日目:午前一時ホーチミン発ベトナム航空 VN938便韓国、仁川へ 仁川8時10分着 仁川11時30分発 アシアナ航空OZ−132便で福岡帰着 台風の影響で福岡空港上空を一時間半着陸待ち旋回のおまけ付き 感じた事・・・シェムリアップ、アンコールワット、トレンサップ他 カンボジアは約十年前までクメール民族同士が内戦を起こしていた国。当時1400万の人口の内 200万人が惨殺された。アンコールワットの遺跡にも当時の銃弾跡が数多く見られる。 街中には地雷で失ったのか片足の人も数多く見られた。 観光地は大体安全らしいが、少し離れると今だ地雷が撤去されていないらしい。 微笑みの民族クメール人同士がどうしてあんな殺し合いをしたのか信じられない。 庶民の生活も終戦後の日本の姿を思い起こされる。 外貨稼ぎの筆頭は観光で、それもアンコールワットがただ一つの資源との事。お土産品も目玉が無い シェムリアップ市内には10年前までホテルが一軒だけだったのが、現在は53軒 今も建設中が数軒あり、日本人を筆頭に米国・欧州からの観光客が多い。 トレンサップ湖の水上生活も見学したが、環境の悪さが目を引いた。 残念だったのは、シーズンが雨季で有名なカンボジアの夕日が見られなかった。 星空も期待していたが全然見られず残念!観光シーズンは11月〜1月がベストらしい。 機会があれば今一度シーズンに行って見たい。 |

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