川音の記

猛威をふるった低気圧。それから一転秋晴れの日々。続いてくれるといいなあ。

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古い写真

先日、NHKで橋田壽賀子ドラマをやっていた。
連続ドラマだったが、全部見たわけではない。
しかもとぎれとぎれで見たので、
ストーリーをたどるのも覚束ない。
ただブラジル移民する一家が、
出発地の港でなにかの手違いで別れ別れになる。
一家のうちで女の子一人が日本に取り残され、
残りの家族はブラジルに渡る。
ブラジルでの一家の苦闘と、
取り残された女の子の苦難を描いたドラマだった。
ブラジルと日本に別れ別れになった姉妹は、
手紙のやりとりを約束するが、
その手紙が事情があって長い間お互いの手に届かない。
その姉妹が長い空白の時を経て、
東京で再会する話しだった。
この移民が実施されたのは戦前のことだが、
この時期政府は中南米への移民を奨励した。
昭和恐慌といわれる不況を経て、
それに冷害・凶作が追い打ちをかけて
北海道・東北の農村は窮乏を極めた。
そういう背景で奨励された移民だった。
だから昭和初年から昭和10年前後がピークだったと記憶する。
ところでこの間、古い写真を整理していたら、
何枚かの正体不明の写真が出てきた。
中の1枚に、10人家族の一家写真があった。
セピア色の古ぼけた画像の中央に、
父に似た女性が写っていた。
遠い記憶を呼び起こしてみると、
確か父は妹がブラジルに嫁いだ、といっていた気がする。
写真には小紙片がつけられており、1952年の日付と、
画像と対応した形で名前が書かれてある。
両親と思しき中年の男性と女性を囲むように、
4歳から21歳までの子供たち8人が写っている。
両親だけが日本名で、子供たちはエミリオ(21)、クララ(18)、
ラファエル(16)、フランシスカ(13)、マリア・ルルド(10)、
などと記されている。
父は妹は苦労したが、亭主がサンパウロでクリーニング屋を開業して成功した、
ともいっていたように思う。
その時ぼくは日本人の清潔好きが成功の元だったのだろうと勝手に納得した。
だが、橋田ドラマにあったように、現地での偏見や太平洋戦争の開戦で、
決して平坦な道ではなかったことは容易に想像がつく。
しかも、もともと最初はみな広大な土地を開墾して、
農業をする目的で、海を渡ったはずだった。
そこから転換する過程にどんなドラマが待ち受けていたかは、
当人たちにしかわからない。
ぼくは仕事で中南米には何度か行ったが、
ブラジルには縁がなかった。
足を伸ばせば行ける機会は何度かあった、
と今思ってももう後の祭り。
父はとうに亡くなり、その妹すなわち叔母も父の2歳下だから、
もうこの世の人ではない可能性のほうが断然高い。
話は変わるが、「石狩挽歌」という歌がある。
なかにし礼作詞、北原ミレイが歌う。
あの歌詞に「沖を通るは笠戸丸…」という一節があるが、
笠戸丸こそブラジル移民に使われた船。
あの歌は古平や増毛、あるいは留萌を舞台にしているから、
その沖を通るということは、
樺太航路に就航していたものか。
カラオケに行ったときはこの歌を歌ってみるか。
写真にある叔母の顔でも思い浮かべて、
感情を込めて歌ってみるか。

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眞神博
眞神博
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