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爽やかな秋空の下、全国各地で、
豊作を願う秋祭りが盛んだが、
これらの祭りはいずれも210日前後が多い。
収穫を前にしての恒例の祭り、
祭り囃子が鎮守の森にこだますると、
何となくむずむずする。
というわけで比較的近い登戸稲荷社の祭りに行ってきた。
東京都内から来て多摩川水道橋を渡り、
世田谷通りが津久井道と名前を変える川崎側の、
橋の際にあるのが登戸稲荷社だ。
はじめこの神社は登戸新町付近に屋敷神として祀られていたが、
天正年間(16世紀)に多摩川の洪水で流失、
寛政年間(1789〜1802)に現在地に建立された、と伝えられる。
社殿側面白壁のコテ画、拝殿をぐるりと取り囲む透かし彫りのような彫刻、
それに社殿の上部に描かれた美しい天井画は一見の価値がある。
といって大きな社ではなく、普段は無人の静かな神社だ。
こんもりと茂った森の中にあって、いかにも鎮守稲荷の風情がある。
登戸宿は同じ川崎でも小杉や溝の口よりも往時は賑わっていたそうだ。
旅籠も多く、いまもその面影をとどめている。
祭り見物の帰り、登戸の商店街を練り歩く町内神輿に出会った。
各町内から複数の神輿が繰り出し、
それぞれ町内を練り歩き決まった時刻に社に集合するのは、
どの地方の祭りも同じだ。
ちょうど東本町の神輿が日本料理「柏屋」の前にさしかかった。
柏屋は江戸時代旅籠だったが、
明治に入って、割烹料理屋に変わったという老舗だ。
和服姿の女将を先頭に、仲居や板場の職人などが総出で、
神輿を迎える風情が何ともいえず懐かしい。
社殿の脇に神楽殿があり、
その舞台では神楽や神楽芝居が演じられていたが、
祭りを通しての主役は露店だ。
参道ばかりか境内を囲むように二重に露店が櫛比し、
境内の中にもぎっしりと所狭しと露店が並ぶ。
出店しているのは例外なく露天商(テキ屋)。
近年、露天商を排し、近所の商店などが出店する祭りが目立つが、
あれはつまらない。
昼はともかく夜はそのいかがわしさ、怪しさに、
子供だったぼくたちは惹きつけられたものだ。
子供の頃ぼくはよく夜店を手伝わせて貰って、
ラムネを1本貰って飲んだ。
そのおいしかったこと。
もう20年にもなるが、
息子が小学生の頃、近くの神社でのお祭りで、
露店の射的屋を手伝い、景品の一つを貰ったと、
息せき切って帰ってきて、
「明日の晩も手伝うと約束してきた」
と弾むような声で話したのを思い出す。
そう、テキ屋のおじさん、おばさんの威勢がいい祭りは盛り上がるのだ。
その昔、筑波学園都市で研究者の自殺が相次いだとき、
あの人工的な都市で何が足りないのか議論されたことがある。
その結論は、「界隈」というものが足りないというものだった。
乱暴にいってしまえば、人が生きるためには猥雑な界隈が必要なのだ。
それと同様に子供が全うに育つには、
無菌で何も見せない、触れさせないではすまない。
猥雑で怪しげなもの、そういうものに偏見なしに、
触れさせなければならないのだろう。
土曜日は昼間、日曜日は夕方と、
2日間連続で祭りに通ってしまった。
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お祭り良いですよね。ほっとしますよ。何時までも続いて欲しいですね。出店のメニューは時代と共に結構変ってますけどね。
2006/9/5(火) 午後 1:26