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――わはははは、自動販売機の下に10円が落ちてました。ラ、ラッキーだぁぁぁ!! ――ハンバーガーにピクルスが2枚も入っていましたぞ! 我が人生に悔いなし!! ――雨の日は最高です! なぜなら、水たまりに反射して女子高生のスカートの中がのぞけるかもしれないからです!! しかしなかなか暗くてその暗部に光がともされることはありません。しかし雨上がりの虹とともに日の光が差してくれれば、そのプリズムは水たまりを反射して純白の貞潔を浮かび上がらせるでしょう!! 雨のち晴れ! 私の心もまた、この自然の循環に喜びを隠しきれません!! さあ若人よ、あなたたちも隠すことなどないんです!! 今こそは恥じらいの衣を脱ぎ去って自然の偉大さを! その純白を私に余すところなく見せつけてみなさい! いやお願いします本当に!!
俺の意識の中に、銅八先生の意識が流れてくる。 いや、もはやそれは自分の意識なのか、銅八先生の意識なのか。
その境界などは全て取り払われてしまっている。
それにしても……。
何とすがすがしい……アホなのだろう。
こいつの頭の中には全く後ろ向きな感情はないのだ。
いや、大部分はもっと後ろ向きでしかるべき感情なので褒められたものではないのだが……。
けれど、そうか。
生きるということは、
こんなにも楽しい感情をあふれさせられる可能性を秘めているということなんだ。
それは他人にとっては取るに足らない些細なことかもしれない。
自分だって意識しなければそれが楽しいと思えることもないかもしれない。
けれど、
辛いこと、悲しいことだけじゃない。
それを俺は知っている。
だから――。
俺は生きる。
そして俺の物語を幸せで飾るんだ!!
そして、ばらばらになっていた俺の意識のかけらが渦を描くように一つになり。
ささやかな光とともに、再び俺は意識体としての自分を取り戻した。 「おかえりのー」
俺のそばにはリノが笑顔で待っていてくれた。
そして自分も自然と笑顔になっていることに気がついた。 銅八先生のおかげ……なのかは分からないが、とにかく俺は自分が生きていくことの意味を見出したのだ。 「そういえば銅八っつぁんは?」
「そこでちゃっかり復活してるのー」
リノが指さす方向に、ぼんやりと光る銅八先生の意識体がいた。
もはや神々しさはかけらも残っていないけれど。
「もう、お二人とも酷いですよ〜、私を置いて行ってしまうなんて。
おかげで私は一人であらゆる漢字パワーを使って何とかこの時代までたどり着いたのですよ! そして紆余曲折を経て、ヌーヌーさんに超高速で突っ込んでしまうという結果に至ったのです」 「どんな紆余曲折だよ、ってか空気を読めよ! さっきまで俺らはかなりのシリアスシーンで……そ、そうだ! 母さんは? お、俺はどうなった!?」
そこでリノは笑顔のまま指を差す。
その静かなマンションのベランダを。 そこでは、 俺の母親が穏やかな顔でこちらを見上げていた。
ベランダの手すりの内側で、俺を抱えながら。 まさか中空に浮かぶ俺たちが見えているのだろうか?
「それはないのー、キミのお母さんにはやっぱりあたし達は見えてないのー」
それでも母と目が合ってしまう。
けれど母は俺の意識体を通して何か遠くのものを見ているのだ。
俺の後ろにあるもの……。
それは煌々と輝く満月だった。
そう、母は静寂の中、ただ満月を見上げているのだ。
そこには先ほどの悲痛な面持ちも。
はたまた死を覚悟した時のような絶望的な感情も表れてはいなかった。 ただ満月の夜がもたらす平穏な静寂に耳をすませるかのように……。
そして、俺はふっと気付く、
それは母親も同じだったようで、急に我に返ったように自分の抱えているものを覗き込む。
赤ん坊の俺は母の腕の中ですやすやと寝息を立てていた。
「寝ていれば本当に可愛いんだよな、俺」
「ふふっ、自分で自分のこと可愛いだなんて、恥ずかしいのー!」
「馬鹿、赤ん坊の時の俺のことだよ」
「私は今でも可愛いですぞ〜。ほーれこのぷりちぃな唇がもう赤ちゃんのような柔はだぁえrじゃおうぇいdんふぉ!!!」
銅八先生のぼけにリノの激烈な突っ込みが入ったところで、俺は再び母親に向き直った。
母親も俺の寝顔を見て、かすかな微笑みが浮かんでいる。 さっき見た光景は何だったのだろう。
確かに俺は母が赤ん坊の俺を抱えてベランダから飛び降りる瞬間を目撃している。
けれど、今は何事もなかったかのように穏やかな時間が流れていた。
もともとそんなことは起きなかったのだろうか。
それとも銅八先生が闖入してきたことで、時間の流れが変わったのだろうか。 もしくは観測者としての役割しか持たない俺たちが、この世界の何かを動かしたのだろうか。 本当のところは何もわからない。
けれど、今目の前に映る穏やかな母の表情と、その腕に抱かれて安心したように眠る幼い俺の様子からは、もはや絶望や不幸といった類の言葉は連想できない。
もちろんこれからの長い人生、いくらでも躓くことや辛いことは待ち受けているのだが、
少なくとも、それらを経験することのない、もっとも早すぎるバッドエンドだけは完全に回避できたのだ。 そして、幸せを手に入れる可能性も残された――。
母はしばらく腕に抱いた俺の寝顔をながめた後、
部屋の中へと入っていったが、 ベランダのガラス戸に手をかける直前に、もう一度意識体である俺の方を見上げた。 いや、正確には月を見上げただけなんだろうが、でもその時ふっと微笑んだ気がしたのだ。 ――大丈夫だよ。
とでも言いたげなその表情に、俺はちょっと居心地が悪いような、
でも安心できるような、そんな複雑な感情を抱いた。 「ねー、これからどうするのー? もうちょっと赤ちゃん時代を見ていくのー?」
リノが聞いてきた。確かにこの時代、俺の自我が生まれていなかっただけに、もっと知りたいという気持ちも強いのだが。
「いや、もう十分だよリノ。次の時代に行こう」
「うん、いつまでも赤ちゃんじゃいられないのー。
それに、キミの物語は始まったばかりなのー。巻きで行かないと作者が死んじゃうかもしれないのー」 「ははっ、俺の物語なんだから、俺が死なないと完結できない。でも死んだら書く人がいない。最初から完成させる気のない物語だけどな」
「はい、ネガティブなことはもう言わないのー。さあ前向きに未来へ進んで行くのー!」
「よーし、じゃあリノ、またタイムリープ頼むな!」
「まかせてなのー」
と、ここからお約束で銅八先生です。
「ちょ、ちょっと待ってください!! まさかまた私を置いて行くつもりですか!!
リノさん私も乗せてくださいよ。らいど・おん・みー・ぷりーず!!」 「絶対英語違うのー」
「私は国語をこよなく愛しているのです。英語などもはやどうでもいいのです!
もう私は英語など一切しゃべりませんよ!! もしこれから私が英語をしゃべるようなことがあれば、あなたのタイ……もとい時間遡行に同行させていただかなくても結構です。 それだけ私の決意は固いのです。日本語への愛にあふれているのです!! 愛、愛、愛、愛、I Love You !!!」 「タイムリープ!!!」
リノと俺は問答無用で銅八先生を置いて、未来へと旅立つのであった。
第1章 黎明期 ――完――
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Q2
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――あ……。
「うわああああああぁぁぁぁっぁぁぁぁ!!!」 俺は、吠えた。 あまりにあっけない結末に。 くだらなく理不尽な物語に。 不幸しか生み出せない呪われた自分の感情に。 母親と、自分自身すらも殺してしまった最悪の罪に。 「畜生……畜生畜生畜生!!! 何なんだよこれは!?
こんな物語ありかよ、始まる前に終っちまったじゃねえか!! ふざけるなよ、これが本当に俺が望んだことだったってか。 こんな残酷な結末を起こすために過去にまでやってきたってのか? そうじゃねえよ、俺は死にたくなんてないんだよ。 今までだって何度も死にたいなんて口に出したりしてたけどよ、 本当はこれっぽっちもそんなこと心から思ってなかったんだよ。 そ、そうだよ。 こんなこと、こんなこと絶対言いたくなかったけどな、 俺が、 俺が物語を作るのは、 こんな下らない人生を物語にしようと思ったのは…… ……俺が、生きていたいからなんだよおおおぉぉぉぉ!!!!!」
―――瞬間。
世界は光に包まれた。
闇を死の象徴とするなら、
光は生の象徴。 闇に包まれた夜において、
太陽の代わりにその光を担う存在――月。 その満月から白い光の放射が燦々と降り注いでいる。
俺は先ほどぶちまけた感情など全て忘れて、 神秘的な光を茫然と眺めていた。 そして光は輝きを一点に収縮し始め、
やがてその光の中に一つの影を宿した。 その影は徐々に大きくなり、それがこちらへ近づいているのだとわかった。
ぼんやりとその影が人型をしていることに気がつくと、 俺は光背をたずさえたキリストのような神秘性を感じ取っていた。 きっとこれは最後の審判なのだ。
そして俺は親殺しと自分殺しの罪により地獄へ送られるのだと悟った。
しかしそこには悲しみや悔しさなど微塵もない、
これほどまでに美しい光によって焼かれるのなら、何も後悔などありはしなかった。 そう、もう最後の時が訪れるのを誰にも止めることはできない――。
「だ、誰か止めてください〜〜〜〜〜!!!!」 おお、神よ。 誰もあなたを止めることはできないのですよ。 「いやいやいや、ぶつかってしまいますぞ〜〜〜〜〜!!!!」
そうです、あなたの手にかかって俺はこの身を浄化するのです。
そして永遠の時をかけて我が罪を償い――。 「ヌーヌーどの!! 何を達観したような!! 早く何とか――」
なんと、我が神に名前を呼んでいただけるとは、誠に恐悦至極。
さすれば最期にもう一つだけわがままをお許しください。 そのご尊顔を是非ともこの目に――。 そして俺は顔(意識)を神の方に向けた。
神と目があった。
邪神かと思った。
後退した前髪、たなびく脂ぎった後ろ髪。
開いてるのかどうかわからない目。 鼻毛がはみ出してるテカテカの鼻。 その下には青く茂った剃り残しゾーンがあり 唇は不健康な色でグロテスクな海洋生物を思わせる。 そんな描写をするのに刹那ほどの時間もかかっていないだろう。
なぜなら、それはアイツの外見的特徴をコピー&ペーストしただけなのだから。
俺が顔をあげた瞬間、目の前にいたのは――。
「3年N組〜〜〜〜どうはぶおりあえらどhjfw9!!!!!」
「ぐがやあああlrぁlslれあsじょいあw」 自己紹介など許す間もなく激しくぶつかった。
感動の再会など似合うはずもない人物だしな。
先ほど満月から放射されるシルエットが徐々に大きくなっていたので、それがこちらに近づいているのは分かっていたが、 まさか音速に近い速さで俺に向ってきているとは思いもしなかった。
そして俺と、俺が神と勘違いした神とは程遠い存在――銅八先生の意識体は、 超高速で衝突しあい、中空で爆ぜた。 俺と銅八先生の意識がばらばらになって混ざり合い、
1984年の埼玉の空に降り注ぐ……。 ……もう、どうにでもなれ。
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「ふざけんじゃねえぞおおおおぉぉぉぉ!!!」
俺は気付けば怒声を放っていた、今まさに俺を抱えて飛び降りようとしているその女に向って。
「てめえと一緒に心中することが俺の本望なわけねえだろうが!
俺はあんたの思う通りになることが、いっちばん嫌だったんだよ! それなのに、俺はあんたの顔色ばっかり窺って育ってきちまった、本当にどんだけ恨んだか測り知れねえよ!!
だけど、俺は結局あんたみたいな人間になっちまったんだ、人として生きている価値がないようなくそったれな人間にな!!
だからあんたも俺も死んじまったほうが世の中のためになる人間なんだよ!!
だから早く飛び降りて死ねよ! 俺ともども地獄に行っちまえよ!! ……でもなあ、出来ねえだろ?
出来ねえんだよ、それが。俺たちが最低な理由はなあ、自分たちが最低だと自覚してても、生きる価値なんかないとわかっていても、それでも自分で死ぬ勇気なんかこれっぽっちもないってことなんだよ!!
最低だよな、最悪だよな?
てめえのケツも自分で拭けないくそ野郎どもなんだぜ!
それでいてお為ごかしの連続で自分の正しさを主張し続ける。ずうずうしくも生き続ける。そんな最低連中が集まった家族なんだよ!! 特に俺とあんたは、親父や妹と違ってそれが顕著だよな!
同類も同類、同族嫌悪、家族嫌悪も甚だしいぜ!! でもよぉ、だからなおのこと許せねえよ。
勝手にここで俺の物語を終わらせようなんて真似はよ! 本物のあんたは俺を抱えて飛び降りる勇気なんて結局最後までできなかったんだ。何年経っても同じ。逃げるだけの勇気すらなかったチキン野郎なんだよ!
だからよぉ、その柵にかけてる手を早く外せよ、結局今日も死ねなかったって自分の意気地のなさを呪えよ!
また明日も俺の悪魔の泣き声に耐える仕事に取り掛かれよ! おい、何さらに身を乗り出してんだよ?
ここは3階とは言え打ちどころが悪かったら死んじまうんだぞ、
俺のじいさん、あんたの父親だって大したことない接触事故で頭打って死んじまっただろ? って今のあんたは知るわけもないか。 くそっ、何だよ完璧無視かよ! あんたの息子がこれだけ罵詈雑言を浴びせてるんだぞ!何とか言えやこらぁ!!
ってかそこの『俺』!!! いつまでも泣きわめいてないで何とか言ったらどうだぁ! てめえの人生だろうがあぁぁぁ!!!!」 俺はもはや理性を完全に失っていた。
実体を持たない俺の声は、赤ん坊の俺を抱えた過去の母親には決して届かない。
先ほど、今死んでしまうのが正解だ。などと言った発言はまるで耳に入っていたかのように、母の決断を後押ししたかに思えたのだが、今はいくら大声で叫んでも母の決意が揺らぐ様子はなかった。
それでももちろん、手すりから身を乗り出した状態で、しばらく思いを巡らせていたのだが。
唐突に――そんな身軽な動作が母親にできたことが信じられなかったが、
左手に俺を抱えたまま、右手と両足のバネを使って、ひょいとベランダの柵の上に飛び乗った。
そしてついていた右手を離し、ゆっくりと柵の上に立ち上がる。
赤ん坊の俺を両手で抱えなおし、まるでしっかりとした地面に立っているかのように、危なげなく柵の上で直立した。 そして夜空に浮かぶ俺……いや、その背後にある月を一瞬だけ見上げて、
そのまま倒れこむように、
……落ちた。
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「そうだよ、それでいいんだよ……」
俺はつぶやいていた。
「俺はこれからあんたを自分勝手な物語に巻き込んで、不幸な目に合わせちまうんだ。だからあんたは今自分の意志であんた自身の物語を終わらせるべきなんだ。
辛かっただろ、泣きわめいてばかりで可愛げのない息子なんて欲しくなかっただろ。
あんたも辛い子供時代を過ごしてきて、家族の愛情なんて感じられない家庭で育って、 それでも早く家を出たい一心で働いて、若くて結婚して新しい家庭を持って……。 でも幸せなんてなかっただろ、初めての子供はただひたすら扱いづらいだけで、亭主関白な旦那は子供の面倒なんて見ない。実家からも離れて、例え嫌いだったとしても、今じゃ相談することもできない。
一人で何でも抱え込んじまってただろ、あんたも完璧主義だからな。俺と同じでさ、
さすが親子だぜ、結局色んなところ似ちまうんだよな、特にダメなところがさ……。 そうして死にたくても死ねなかった、死ぬ勇気もなかったところなんかもそうだな。
だけど、それも終わりだぜ、あんたは決断した。やっぱすげえよ、あんたさすが俺の母親だよ。 これで終わっちまうのが何だか悲しいくらいだけどな……。 れ、あれ? なんで悲しいんだろうな、さっきまで死んじまった方が幸せだとか思ってたのにな。
ああ、それは俺の物語が終わっちまうからか……。つくづく俺も自分勝手だよな、人の心配じゃなくて自分の心配なんだよ、ここで。ホント最低人間もここに極まれりだよ、早く終わらせてくれ、俺だって母親のあんたと心中して終わらせられるなら本望だしな。
……本望だしな」
――凛。
(私は最低な母親だよ、本当に生きてる価値なんてないよ、死んだら楽になれるかなっていつも考えてるよ。生きがいなんて一つもないし、本当にお兄ちゃんのこと言えた立場じゃない引きこもりだしさ。本当に生きてる意味なんてないよ。
でも、子供のあんたたちが自立していくのを見届けるまでは死ねないよ、やっぱり。どんなに嫌われていようが、どんなにうざったがられようが、私にとってはやっぱりあんたたちは子供なんだよ。他は何にも要らない、あんたたちに何か恩返しをしてもらいたいとも思ってないよ。
でも、やっぱりどんなに辛くても、あんたたちが一人で生きていけるのを見届けないうちは死ねないよ。そんな風に一人だけ逃げられないもの。私のせいで子供たちがこんなに苦しんでるのに、私一人だけ逃げようったって、そんなこと、できないよ)
……何だよ、
何なんだよ、この記憶はよぉ。
こんな下らねえ母親の独白なんて今出てくるところじゃねえだろ!!
明らかに時系列おかしいじゃねえか!!
こんなこっぱずかしいものが何で今沸いてくるんだよ!
「リノ! お前なんかしたんだろ!!」
そもそも俺を意識だけの存在に仕立て上げたのはほかでもないリノの力だ、
当然、おれの意識を操るくらいの仕掛けを持っていてもおかしくない。 でもリノは軽く微笑んで、
「それは、キミが呼び起こした記憶なの。おそらくキミとお母さんが初めて本音でぶつかり合った時の記憶。キミの家庭が本当に絶望のどん底だった時の、一番辛い時の記憶。
子が親を殺した。あるいは親が子を殺した。なんて今ではニュースでありふれてしまっているけど、この世で最も悲しい事件がキミの家でも起ころうとしていた時の記憶。
そしてその時キミは本当の悪になれなかったことを悔やんだ。
最悪の結末が怖かった。
それを引き起こす勇気がなかった。そしてそんな勇気がなくて正解だと後で知ることになった。そんな時の記憶なの。
キミにもお母さんにも、死を選ぶ勇気がなかったこと。それに酷く安心してしまった時の記憶。
もちろん積極的に生きる気力がなかったかもしれないけれど、それでも生きていこうと決めた。そんな日々の、きっとキミにとって大切な記憶。 ――どうして、今、キミはその記憶を思い出したの?
キミは今目の前の光景が受け入れられないんじゃないの?
……だって、そこには、大きな間違いがあるから」
リノは俺の一番さらけ出したくない家族との過去をえぐってくれやがった。
家族の絆なんて、聞いただけで鳥肌ものだ。 それくらい、俺にとって家族とは異形なもので、歪んだ存在だった。 それはもちろん俺自身が異形で、歪んだ存在なのだから仕方のないことだ。
傍目には普通の家族に見えて、全然普通ではなかった。
家族のふりをした何かだった。
けど、やっぱり家族だと実感せざるを得なかったのも事実だ。
俺と母親は、あまりにも似すぎていた。 こんな人間になりたくはないと思いつつ、結局同じような存在になってしまうんだ。 それがどうしようもなく、家族を証明していた。
例えいびつでも、気持ち悪くても、どんなに断ち切ろうとしても。
決してそこには逃れられない何かがあって、
一生付きまとわれるほどの影響を及ぼしあっていたのだ。 だからこそ分かる。
俺を抱えて心中しようとするような奴は、
所詮俺の母親を語る偽物だと――。
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さっきの言葉はちょっとしたスパイスのつもりだった。
どうせこれから物語は先があるんだから、最初はちょっと憎まれ口を叩くくらいの方がいいと思って軽いノリで言っただけなのだ。 ……いや、あれはやっぱり本心だったのではないか。
思えば、俺を抱えて飛び降りようとしたこともある、なんて話を聞かされてから、
何度もその時にあんたが飛び降りる勇気さえ持っていたら、俺はこんなに不幸にならずに済んだのに、
などと自分勝手きわまりない考えを繰り返していた。
今になってしまえば、そこまで斜に構えた考えはなくなっていたと思っていたが、
やっぱりまだ心の底では、その判断ができなかった母に対しての恨みが残っていたのかもしれない。
だから、何の気もなしに、申し訳ない気持ちも、不謹慎にもあんな言葉が軽く出てきてしまったんだろう。
本当に、
最低な人間なんだ、俺って。
「あっはははははははははは!!」
俺は声をあげて笑ってしまった。滑稽すぎるじゃないか、こんなの。
「――い、いったいどうしたのー?」
リノは驚きと戸惑いの表情を浮かべている。ああ、そんな表情も俺みたいな最低の人間にとっては最高に楽しめるものじゃないか!
「はははっ、だって可笑しすぎるだろ。俺は少なくとも今の自分を肯定して少しでも未来に希望を抱いて進んでいけるように、過去を断ち切る目的でこんなことを始めたんだぜ。過去を断ち切るってのは別にバッサリなかったことにするわけじゃない。
こんな俺でも生きている価値があるんだ、過去に積み上げてきたものは決して無駄じゃなくて、きっと一つの物語として成立するくらいの価値があると思って始めたプロジェクトなんだよ。
もちろんフィクション云々とかは素面ですっぱり自分の過去を語るなんて恥ずかしいから、より恥ずかしい中二設定で挑めば少しは緩和されるかなぁ、なんてことでしかなくて。結局はただ自分可愛さをひけらかしたかっただけなんだ。
けどよ、やっぱり今の俺はどうしようもない最低人間だったんだな。
今の俺がこんな母親すら死んでしまえと思うような最低人間なんだから、過去を振り返ったところで夢も希望もねえよ、
その通りだ、そんな人間は自我を獲得する前に殺しちまうのが一番なんだよ!
俺の人生なんてくそくらえだ。とっとと終わらせてくれーーはっはっはぁぁ!!」 ――パシィン と、頬に鋭い痛みを感じた。 いや、今の俺に肉体などはないから、それは錯覚にすぎないのだろうけど、
その間隔をもたらした存在はわかる。 つまり、
リノが俺の頬を平手打ちしたのだ。
その妖精は本来なら20cmほどの大きさなので、平手打ちなど、ひよこに突っつかれた程度のものしかないはずだが、実体のない今は大きさなど問題ではない。
今は意識が感じたものがすべてだ。リノは今にも泣きそうな顔で震えているようだった。 「き、キミはその自分を振り切るために、過去にやってきたんじゃないの? 辛い過去も、楽しい過去も受け入れて、それを糧にして今の人生を前向きに歩んで行こうと決めたんじゃないの? だからあたしも協力してあげようって気になって、ここまでついてきたの。
でも、でもそれなのに、こんな最初の最初で終わっちゃうの? 自分の存在を全て否定して、なかったことにして……。
もちろん、この過去はフィクションなの。
例えここで赤ちゃんのキミが死んでも、それはパラレルワールドの世界になって、現実のあなたには何の関係もなくなるの。
だから旅はここでおしまい。キミは元の現実に戻って普通に過ごすことになるだけ、何か大きな問題があるわけじゃないの」
「だったら――」
「でも、キミの未来はもっと酷くなるの!
例えフィクションの世界だとしても、そこで起きてしまったことを観測した時点で、キミの心には大きな影響を与えてしまう。 それは小説や映画に心を大きく動かされるのと同じ! しかも、それが自分に大きく関わりのある物語なら、その影響はとてつもなく大きなものになるの! ましてや、キミは自分の母親と自分自身を、間接的であっても殺してしまったという大きな罪を背負っていくことになる。
誰にも裁かることのない罪を抱えて生きていくの。 だからキミはきっと自分をもっと責めることになるの。さっきみたいに、俺は母親を、自分自身さえも殺してしまうような最低な人間だって言ってね。 あたしは……そんなの耐えられないのー!!」
リノの悲痛な叫び。
けれど、俺みたいな最低な人間の心はそんなことで動くわけじゃないんだ。
どんなに説得されても、母親への憎しみが消えるわけじゃない。 俺をこんな人間になるように育てた母親にを許せるわけがない。
それに、今だって自分の息子を抱えて飛び降りようとしている母親なんだぜ、
最低じゃないか。
最低の人間からは、最低の人間しか生まれないんだ。
だから、ここで終わらせるのが、誰も不幸にならず、誰も苦しまなくて済む一番の解決策なんだ!
そして母の目に光が宿ったように見えた。
無表情ながらも、それは決意の証のように思えた。
まだぐずっている赤ん坊の俺を左手だけで抱えるように抱き、右手を手すりに添えて更に柵から乗り出そうとする。 そうだ、母は決めてしまったんだ。
この物語を終わらせることを。
いや……、物語を始めること自体を放棄したのだ。
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