|
要領と手間は異なる。
たとえば、ミシン縫いと手縫いの違いが分かりやすいか。
ミシン縫いはフライのシャツのように要領と手間の双方にて最高峰の技術を誇ったものがあるけれども、一般的なミシン縫いの場合は手縫いよりも縫い付けが甘く、ほころぎやすい。やはり手縫いのほうが強度性が高い。イタリアの職人は徹底した技巧を追求しているが、手間を惜しんでいるわけではない。
要領というのは作法であり、技巧のひとつである。だから要領はとても大事だ。だが、それはあくまで要領は作品の導入部にあたるものであって、土台をなす基礎知識でしかない。要領を得たからといって、手間を惜しんでいては、作品の強度性は弱くなるだけである。
手間というのは要領を基盤とした努力の継続である。
こんな話がある。
字が汚いグラビアアイドル(それを自覚している)が、「永遠」という漢字を習字にて半紙1万枚書くと上手くなるかという実験。1か月ほどかけて書いた最後の「永遠」という字は初めの「永遠」に比べ各段に上手くなっている。それだけではなく、「永遠」の字はすべての漢字の要領が含まれているため、他の漢字だけでなく平仮名や片仮名やローマ字においても一定の有段者レベルに一気に到達してしまう。バカの一つ覚えというが、同じことを1万回繰り返せば、だれでも一定レベルの基準に到達することができる。だが要領を初めに仕入れてしまうと、1万枚書くという手間を惜しむようになる。その要領は、実は初歩的な要領であって、頭で考えた要領である。
身体に身についたものではない。考えずにできるようになったものでもない。手間を惜しむと初めの要領を自ら加工して変形を加えてそれに美観を生じさせたものだと自認してしまい、そこで努力の継続をやめてしまう。
これが、手間を惜しむという。
ミシン縫いは手縫いの手間を惜しむという具合に考えてしまうと、雑なつくりになる。ミシンの針の動きの構造をよく理解して、ひとつひとつの動きを手縫いのように自覚しながら、その過程に丹念に注目してゆくことが大事だ。こっからここまでミシンで縫えばいい、なんて軽い要領で考えてしまうと、さっさと仕上げてしまう。いずれそこが利用によりほつれる。
手間というのは要領が肉体化するための修練である。意識を無意識化することで、要領だけで捉えてきた肉眼の識別力とは異なる別の識別力が自然と身につく。「永遠」という習字の練習においても、その別の識別力が身につく。漢字ひとつひとつの旁や画の動作が「永遠」という字を離れてバラバラに分解し、それが他の漢字において応用される。これは手間を通じてしか得られない応用力である。
基本を繰り返すとは、無意識に基本を分解して、それぞれのパーツにおいて洗練されてゆくということだ。
産業機械のメンテナンスも、車のオーバーホールも、腕時計のオーバーホールもそれぞれの機構を部品ごとに分解して点検し磨いてゆく。研磨を通じ、さらに、交換する部品を交換する。そうすると、機構は長持ちする。
パーツを洗練させること、これが手間である。
手間を惜しんではならない。
|

>
- 芸術と人文
>
- 文学
>
- ノンフィクション、エッセイ




