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物事の本質は
ネガティブに捉えるかポジティブに捉えるかで大きく変わってくる。
ここに新見南吉の著作権切れの創作童話を紹介する。
この創作童話の題名は「でんでん虫の悲しみ」である。
この童話はネガティブに捉えているため、
これからポジティブに変更してみよう。
二次創作はとても簡単である。
言葉1つを変更するだけでいい。
「カナシミ」→「アイ」に変えてみる。
漢字で書くと「悲しみ」→「愛」である。
そうすると、テーマの本質が見えてくる。
なお、
現代の童話では外来語はカタカナ表記であり、
日本語はひらがな表記というルールがある。
新見南吉が創作した当時では、
出版物の文字の表記法が漢字と片仮名を基準としていたため、
童話にするときは、
子どもに読みやすい片仮名表記が通例であった。
そこで二次創作のため原文を改変するにあたり、
原文を尊重するため
「カナシミ」のところを片仮名表記の「アイ」と変更した。
原文では、
「アイ」の部分がすべて「カナシミ」となっている。
言葉を赤色にしている。
イツピキノ デンデンムシガ アリマシタ。
アル ヒ ソノ デンデンムシハ タイヘンナ コトニ キガ ツキマシタ。
「ワタシハ イママデ ウツカリシテ ヰタケレド、ワタシノ セナカノ カラノ ナカニハ アイガ イツパイ ツマツテ ヰルデハ ナイカ」
コノ アイハ ドウ シタラ ヨイデセウ。
デンデンムシハ オトモダチノ デンデンムシノ トコロニ
ヤツテ イキマシタ。
「ワタシハ モウ イキテ ヰラレマセン」
ト ソノ デンデンムシハ オトモダチニ イヒマシタ。
「ナンデスカ」
ト オトモダチノ デンデンムシハ キキマシタ。
「ワタシハ ナント イフ フシアハセナ モノデセウ。
ワタシノ セナカノ カラノ ナカニハ
アイガ イツパイ ツマツテ ヰルノデス」
ト ハジメノ デンデンムシガ ハナシマシタ。
スルト オトモダチノ デンデンムシハ イヒマシタ。
「アナタバカリデハ アリマセン。
ワタシノ セナカニモ アイハ イツパイデス。」
ソレヂヤ シカタナイト オモツテ、
ハジメノ デンデンムシハ、
ベツノ オトモダチノ トコロヘ イキマシタ。
スルト ソノ オトモダチモ イヒマシタ。
「アナタバカリヂヤ アリマセン。
ワタシノ セナカニモ アイハ イツパイデス」
ソコデ、ハジメノ デンデンムシハ
マタ ベツノ オトモダチノ トコロヘ イキマシタ。
カウシテ、オトモダチヲ ジユンジユンニ タヅネテ イキマシタガ、
ドノ トモダチモ オナジ コトヲ イフノデ アリマシタ。
トウトウ ハジメノ デンデンムシハ キガ ツキマシタ。
「アイハ ダレデモ モツテ ヰルノダ。
ワタシバカリデハ ナイノダ。
ワタシハ ワタシノ アイヲ コラヘテ イカナキヤ ナラナイ」
ソシテ、コノ デンデンムシハ
モウ、ナゲクノヲ ヤメタノデ アリマス。
こうすればポジティブな内容になる。
要は、愛は堪える必要はない。悲しみを堪える必要がないのと同様に。
どんどん愛を与えてゆきましょう。
背中にいつまでも背負っていても仕方のないこと。人間は誰でもたくさんの愛を生まれつき背中にしょっている。悲しみではない。
皇后美智子はそれを生涯努めた。市井から皇后になったバッシングへの悲しみを彼女自身がそう思い込んでいるだけである。そもそも人間の無理解は当たり前である。立場が決まった以上は、物の見方を変えるだけで、無理解が理解へと変わってゆくのである。
これは別に皇后だけではなく誰でもできることだ。これもまた決して悲しいことではない。
与えることの愛の先には喜びがあるのみ。与えるほうも、与えられるいずれにおいても。
これがポジティブな見方である。本質とは考える切り口により、本当の姿を見せてくれるのである。
新見南吉は29歳で結核で死んだ。
人間は今日に生きるか明日に生きるかである。
今日に生きる者には悲しみを
明日に生きる者には喜びを
もたらしてくれるのである。
もし、明日に生きる者に悲しみが待っているとするならば、
それは単に思い込みでしかない。
そこに気づくことである。
思い込みを捨てれば、もうひとつの見方が現れてくる。
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