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■準備の大切さ
大樹の根は見ることができない。地上からはね。だが地上の枝葉の最大円をそのまま地面に描けばよい。その円形に根は広がっている。
つまり、枝葉が伸びるにしたがって、その真下の地面にはしっかりと根が伸びているということである。
太極図はまことによくできている。白と黒の相対比が同じである。ここで仮に白を日向と見、黒を日陰と見るならば、さてどこに太陽は当たっているのでしょうか。
日向と日陰の面積バランスがちょうど同じ位置に太陽がある。
そこはどこか。
氷山の一角という言葉がある。諺でもある。
この場合は土と異なり、水を通して氷に対し水面上と水面下を切り分けるのである。だが、水面上に出ている氷の体積と水面下の氷の体積比は同じではない。
世相を土と見るか、水と見るかで、大きく準備の量が異なってくるのである。
土の場合は根が準備であり、水の場合は水面下の氷である。
太陽は樹木を生長させ、氷を解かす。
太陽は根を張り巡らさせ、氷を回転させるのである。
太陽は絶対であり、樹木や氷は相対である。
太陽の眼からすれば、準備のほどは上手い具合に透けて見通すことができるであろう。
使い分けることだ。
準備は大事であるが、太陽の眼は樹木の枝葉を伸ばさぬようにすることもできる。
準備は大事であるが、太陽の眼は氷をひっくり返すこともできることに注意せねばならない。
準備は大事であるが、太陽の眼をも人間が持っていると思うなかれ。それが過信だ。
だが、人間のできることは、人間のできる最大限のことを臨機応変に使い分けてせねばならないのである。それが宿命である。
太陽の位置はどこか。
それは誰もわからない。
それは誰にも見えないものである。
だからといって想像してはならぬ。
人間ができることは、
足しかない。
足を使って診るしかない。その都度その都度。それを毎回繰り返すことしかできないのである。
人間の想像ほど馬鹿げているものはない。
これを愚かという。
ここに書いた内容をまとめて理解しようとすると、必ず失敗する。
それは足を使っていないからである。
言い訳無用。
準備はとても大事。
だがそのとおりになるとは限らない。
太陽の眼は誰もわからないからである。
だが準備ができるのは人間だけである。
■絵本
絵本には対象ごとに3通りある。
①子ども(0歳、1歳、2歳〜4歳、5歳〜6歳)向け。
②大人(7歳以上)向け。
③年齢不問
①は知育レベルをしっかりと認識して年齢と理解力との関係に配慮すべし。
②は③に準じるが、①を除く。
で、問題は③である。
これらのなかで最も理解しにくいのが③であるからだ。
それからこれらのなかで最も楽しいのが③であるからだ。
大人も子どもも最も理解しにくく最も楽しいのが年齢不問の絵本である。
理解しにくいときは作者に尋ねることである。
絵本の姿勢は作者の姿勢による。姿勢というか性格だろう。
①が得意な作者、②が得意な作者、そして③が得意な作者。
実は順番にハイレベルになる。
ハイレベルとは作ることが難しくなるということである。
①はあんまり頭を使わずに作ることができる。その次が②だ。そして③が最も頭を使う。
年齢不問の作品をつくるとき、アプローチの方法に最も頭を使うのである。
たぶん作ったことがない人や興味がない人ならば、簡単な思いつきで言い出すのかもしれない。
その思いつきは、詩人ではないので確実に失敗する。
詩人だけが、③をつくることができるのである。
詩人は年齢不問の作品を誰に見せても理解を得ることができるからだ。
詩人ではないものは自ら考案した年齢不問の作品を自ら理解不能になり整理することができないが、詩人はそれを整理することができるのである。客観的に落とし込むことができるということである。
アルチュール・ランボーは絵本の物語を書いたことはないが、彼は詩人である。
ボードレールも同じ。自然主義者である。
日本人最後の詩人である谷川俊太郎も自然主義者だ。
谷川俊太郎が作った「もこもこもこ」の詩の内容を見ると、なぜこれが250刷を越す大ヒットになったのかがよくわかる。これも年齢不問である。大人が見ると、より深く考察することができるだろう。文は幼児語であるが、非常に洗練された文字を選んでいる。
おそらく詩だけ読むと、何書いているのだかさっぱりわからないであろう。
ここに元永氏の絵がついて、ちょっとわかるようになる。だから大ヒットした。
この詩のイメージを上手にすくいとって、それをビジュアル化することに成功するためには、芸術家のインスパイアが必要だ。共感だけでなく想像力である。なぜ元永氏が選ばれたのかというと、彼の作品が抽象芸術ばかりだからである。
垂らしの技法をすべてのページに渡り表現した。
あ、これ書いちゃいけなかったのかな。。
でもこの技法は元永氏の技法だ。
これが功を奏したのであろう。
ハイレベルの作品を作り、うまく成功すると、必ず大ヒットする。
低レベルの作品は、宣伝効果で一時的にヒットしているかのように見せかけることもできるだろうが、これは偽物である。偽物には真実がなく単なる妄想だ。大概は、②向けの絵本である。②向けの絵本はあざとくなりやすい。失敗しやすい点で、③よりもよほど注意して作らねばならない。決して強引にならないように。
①は教育者であれば可能だ。これも数多いが、パターンが既出のものが多すぎる。③は詩人しかできない。マニアではなくこれは万人が保証する作品となる。
そこで絵本作家には是非③にチャレンジしてほしいと思う。これが自分の願いである。
谷川氏の後塵はまだいない。彼はもう高齢だ。100歳超えたか。もうすぐ逝くだろう。彼は後輩を育てることがぜんぜんできないのかもしれないね。
あ、まだ80代だった。じゃ、まだまだできるね。
なお、詩人は生理を整理することが得意。詩人じゃない者はこれが下手。
■ついでに絵本の紹介
そういえばまえに京都の絵本専門店へ立ち寄ったとき、介護職を辞めた店主と3時間ほど話をした。そのあと、「良い絵本はありませんかね」と尋ねたところ、
こんな絵本を紹介してくれた。おススメということで買った。ここでもまた谷川氏が顔を出している。彼は翻訳も数多くしている。レオ・レオニの絵本シリーズが好きでひととおり読んだことがあるが、レオの翻訳はすべて谷川氏。この絵本の刷数は2012年時点で18。増刷では少ないほうではないと思う。上に書いた「もこもこもこ」の刷数が250を越しているのは例外である。化物のように売れた名作だ。元永氏はそれで5億ほどの印税を稼いだのだろう。ま、こういうネタはいい。ついでに猿面の五味太郎がランボルギーニ・カウンタックを所有している話をとある児童文学作家から聞いたことがある。彼の絵本はわざとらしいものが多いので好きになれないが、どうすれば売れるのかのコツをよく知っているのだろう。稼いでいる作家は少ないが、要は稼いだ金をどのように使うかである。谷川氏も稼いでいるのだろうが、使途不明。ともかくつまらないものにエゴを張るような使い方は作家の鏡にもならない。しょせん絵本も商売だから、稼いだ金をどう使おうと勝手なんだろう。
余計なことを書いた。
この絵本のユニークな点は、最後のページが「おしまい」という言葉で終わっている。読み聞かせの絵本である。対象年齢は2歳以降から5歳くらいまでか。寝るときに子どもに読み聞かせをするにはピッタリの絵本である。谷川氏はそれを意識して翻訳している。子どもの気持ちをよく理解している。また作者もそれを意識して作品化している。子どもはね、親から「おしまい」と言われると、「もう1回読んで」とせがむ。親はしかたなく最初のページに戻るのである。そういう良い絵本である。
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