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侍達の夜明 のべるわんでいのお部屋
地道にコツコツと 先天下之憂而憂、後天下之楽而楽

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哲学の日

■哲学の日

 〇〇の日なんてもんが縁起をかつぎやすい日本人の気持に合うのだろう。何にも考えなくても〇〇の日なんて言えば、「そうか」で笑って済ませる日本人の心意気がおもしろい。

 はっきりいうと哲学の日なんてもんはどうでもいい。〇〇の日なんてもんをまともに信じてしまう人は、マルチ商法に引っかかる人であろう。

 マルチに引っかかる人って、本当にどんだけ強欲なんだと呆れかえるのである。楽して儲けてやろうなんてことを考えている人であり、人が往々に思いつくことに飛びつく人であり、他人が考えないことは考えないような人である。しかも情報を事前に調査しない。

 だから引っかかるのである。馬鹿につける薬はないというのは、無知につける知恵はないということだ。これがお人よし。強欲でお人よしが引っかかるものである。

 哲学というのは哲学好きを集めて講座代をとるだけの学問にすぎない。

 

 


■雨と晴れ

 雨が降っても必ず晴れて風が吹くものである。というか、これが現実だ。それを見るのと見ないのとでは大きな違いがある。

 雨が降ってびしょぬれになっても、必ず晴れて風が吹き、服は乾く。

 気持がびしょぬれになった者でも、必ず晴れて風が吹き、気持は乾くものである。

 頭だけで考えているような人は、そこに気がつかないのであろうね。


■アイディア

 アイディアとは基本を熟知してから思いつくものである。そうでないと、頓珍漢な土台のない空想になるからだ。だが、空想からでも基本に立ち戻り理解することはいつでも可能となる。それから修正を加えればよい。





■新しいものでもなく古いものでもない


 新しいとか古いとか、そういった考え方はそれらを除外してみると、残ってくるものがある。

 その残ってくるものとは、いったいなんなんだろうか。

 温故知新を座右の銘にしている自分のテーマがこれである。

 おそらく、新しいとか古いとかいった考え方は、そこが新しいとかそこが古いとかといった指摘でしかないのではなかろうか。

 CGの時代は不気味の谷を苦労して乗り越えた先に、何が見えてくるのだろうか。CGはもう古いと言えるのではなかろうか。

 いかがわしい、言い換えれば疑問が生じたときに、それをどこに求めるかである。

 未来に求めるか。過去に求めるか。それとも現在に求めるか。

 新しいという考え方は古いという考え方を基準がある。

 古い考え方がなければ新しいという対比概念は決して生まれないからである。

 バランスというものがこれだ。

 人間の思考は中庸であるとき、思考は止まってしまうのである。

 やじろべえの中心に重心をもってきたとき、やじろべえは止まってしまう。これが思考停止の状態である。

 中庸というものが、おそらく「その残ってくるもの」であろう。


 つまり残ってくるものとは思考停止の考え方である。

 座禅とは、「その残ってくるもの」を直視することである。

 これが思考停止である。

 これじゃあ詰まらない。

 面白くもなんともないのである。

 人間はいろんな考え方を持っている。

 おもしろいと考えることを求める人と、思考停止の状態に向かうために舵取りをしている人とに大別できるであろう。

 実は、おもしろいとは、古いことと新しいことの両方にあるんだね。

 おもしろいを求める人は、いつも温故知新を心に溜めているのである。






■本統の美


 そういえば芥川龍之介の短編をここで思い出した。

 「地獄変」。

 改めて読み返すと、実に美学者が追い求めているものがけっきょくは青い鳥を求めているだけにすぎないことがよくわかるのである。芥川は古典を題材に世間、つまり人間の風刺を見事に描き出している。


 美というものを追い求めている限り、それは相対的な見方をするしかない。

 あまりに個人主義が自己認識のなかで自ら看板にしてしまうと、それが強調され、個々に是認しあう時代となった。時代の申し子を言い訳にしている連中らは、如何なる種の表現形態であろうとも、美を追求する限り、相対となる。

 美を追い求めている限り、本人が気がつかずに思い込みの美の奴隷となり、それは個々人の自意識の強さとして個々を縛ってしまうのである。

 そういう人々は、見えているようでまったく見ていない。きちんと見ていないのである。

 見ていない、言い換えれば個々人の志向性、これが醜いと言えるだろう。

 これが美だと自意識で考えてしまう人は、それが志向性である。

 そういう人は、自ら美の相対性の地獄にハマってしまっている人である。

 美を追求する限りそれは自らも騙している偽善者である。そのような偽善者が作り出すものが、世の中にはあふれかえっている。


 また美学者は歴史を研究し、人間が作り出してきた美の連綿たる志向性の陳列物を研究し、そこに通底する共通の美の探索を始めているが、いずれにしても共産主義の愚かな指向性にすぎない。

 共産主義を自分が嫌うのは、みんなのためを思う気持ちがけっきょくは個々人の利益のことしか考えていないことである。これが偽善である。これが共産主義の志向性である。資本主義を是認している自分の姿勢は、資本主義がとても簡単な原理でできているからである。このシンプルさが余計なくだらぬ思想を排除する。共産主義は死ぬまで青い鳥を求めている連中らであり、その痕跡を後世に受継させようとしているだけだ。



 ある世代の者たちが個性主義を強く教示しそれが人間の求める姿であるということを自ら自覚していた者たちがいる。

 自分は個々人の個性というものを完全に否定しなければ、相対から抜けることができないことに気がついたのである。

 美は個人主義にある限り、絶対に画定することはできない。個々人が誠実に謙虚にならなければ、見ているようでまったく見ていないところ、重視していないところ、軽視しているところが、すべて個々人の相対意識のなかから抜けることができないのである。

 こういう連中らを「変人」という。言い換えれば「偏人」のほうが正確か。

 確かに見た目10割という見方は世間に受けやすいものであろう。

 人間は見た目が大事である。

 人間は深く考えているようで、ほとんど考えていないし、直覚として美の認識を思い込んでいるからである。

 自らの姿態のことを棚にあげてだ。

 ススキは自分が美しいとは思わないし、子猫は自ら可愛いとは思っていない。自意識を持っているのは人間だけであり、それを美しいと思うのか、そうでないかは個々人の志向性を持つ限りにおいて、決して逃れることができない意識の宿命なのである。

 美を知っている者、こうした者は、目の前に存在しているものに美の基準を当てはめてしまい、序列化を図ってしまう。その序列化が始まった瞬間に人間の意識は自ら美の奴隷と化しているのである。


 本統の美とは偽善の美とは異なる。本統の美とは相対ではない。

 本統の美は素直に見ることから始まり誠実に考えるところから、やっと少しだけ見えてくるものである。

 子どもたちは馬鹿な指向性というもので美を追い求めている限り、まだまだ成長できる。未熟者は愚かであるが、愚かであることが判っている限り、本統に気がつき、美の追求の競争と青写真の空論から離れることができる。大丈夫だ。未熟であることを自覚している限り、成長できるし、この記事に書いたことに対して素直に認めることができるだろう。

 ね? 気がつけよ。おまえらが。子どもらは未熟だからこそ、相対化を是認し、彼らの変人ぶりを発揮しているのである。

 茶道を習得することで、本当の美は人間の内側にあることに気がつくであろう。美学者は茶道を知らず、その他の相対的な個々人の自我は、茶道を求めない。だからこそ、美の本質に気がつかぬのである。

 美は内側からしっかりと構築してゆかねば、いつまでたっても永久に美の奴隷と化してしまうのである。

 茶道は千利休が創始したわけではなく、それ以前から認識されるべく人間の自覚である。別に道というほどのことでもない。

 そもそも千利休は千利久ではない! 利を求める限りにおいて、千利休が開示しようとしていた本統の美の理解を得ることは決してできぬ。

 多くの者が未熟だからこそ相対化を是認し根底となしている。だからこそ気がつかせようとするのが彼である。

 人間は自ら未熟であることを盾にしてはならぬ。


 つまらぬ指向性や嗜好性や至高性や志向性といったものが、作法知らずの野蛮人を作り出しているのである。

 美学者はまだ自ら愚かであることを自覚しているからましだ。だから研究し共通する美という青い鳥を追い求めている。その愚かさを盾にとる者が個人主義の是認者である。

 こういう個人主義が世にはびこるかぎり、絶対に本統の美は見つからない。

 世のすべての奥義は作ったものではなくて、見つけたものである。

 自分は奥義を認めている。

 これが見つけることだ。美を追い求めている者、それをすべて不自然と見なしている。いつまでたっても相対の呪縛から離れることができない者たちである。

 それからついでに書いておく。

 新しいことは何が新しいのかをよく考えてみたまえ。

 自分は常に温故知新を座右の銘としている。

 離故逃新ではない。

 見つけるというものはそういうものではない。

 すでに示されている歴史を深く考えて今の時代に合う方向性を示すことだ。

 また、新しいものがいかがわしいものであると考えている人は、いかがわしいという見方しかできていない未熟者である。

 これもまた個人主義の呪縛から自ら抜け出ていない人だ。

 だがこれもまた商人の鏡である。

 商人はいかがわしいものが何かを知っている。




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