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(ペンジュラムを使った天気予測) 発展は論理的でなければならないし、論理的であっても段階的でなければならない。
言い換えれば、論理的であっても、段階を踏まねばならないし、段階を踏んでも、それが発展性をもつものでなくてはならないということである。
キーワードは「論理」「段階」「発展」の3つである。これらは常に相互作用を及ぼし、これらから外れた思考を排除せねばならない。
では、論理とは何かである。
論理学を学習すると、ある程度理解できるだろう。
さまざまな例題をこなしてゆくうちに、論理の整合性について理解できることになる。
たとえば、一般的によく知られた法の三段論法がある。
「原則」「しかし」「そこで」という文脈の論理展開である。
論理学では、ひとつひとつ丁寧に検証してゆく必要がある。
原則の検証、しかしの検証、そこでの検証である。
法律の場合は常に時流の影響を受けるため、従前の法律では対処できない問題点が発生したときに新法ができたり改正されたりする。
世の中の人間には法律に詳しい(法律を正しく解釈ができる)人(たとえば自分)や疎い人がいる。これらとは関係なしに、世の中の人間は様々なことを考え行動を起こすため、その行動から問題が生じる場合もある。現行法の隙をついた行動や、現行法にない新たな行動に対する規制の必要性から法律は改正されたり新法の必要性が論じられ制定に至る。いわば法律は市民社会の警備員であり、積極的な行動を起こして暴走しないように、しっかりと憲法がさまざまな法律を縛っているのである。憲法が法律ではなくて最高規範と言われる意味はそこである。ただ、改正の可能性の余地を憲法自体に定められているが、実際にその条文を稼働させることは不可能に近い。憲法は憲法自体の条文が憲法を守っているのである。憲法を政府の意向だけで変更したりすることは絶対に不可能となっている。
原則に客観性を求めるならば、それは法律の条文を基盤とせねばならない。それ以外は、個々人の主観でしかないのである。何が原則であるかは、個々人が決めていく。それを憲法は守っている。わかりやすくいうと「表現の自由」である。ただ、表現の自由は各人の自由であって、そこに客観性があるかというと、・・・・・・ない。したがって、何を原則とするのかをよくよく調べて精査する必要がある。それはあくまで主観でしかないからである。
法の三段論法を深く理解していない人は、「法」とは何かをよく理解していない。
法の三段論法に客観性があるのは、「法律」である。それ以外は自然科学のみ。自然法は人間の個々人の法を縛っている。
人間の法は私的自治に基づいた個々人の「法」であり、すべて主観でしかない。客観性があるのは法律と自然科学のみと見なしてよいだろう。
だから、
「原則」というものを深く考えてゆかねばならないのである。
個々人の主義主張などは、屁の突っ張りにもならないのだから、それを原則としてはならない。
論理的とは何かということをここで示した。
課題の大前提たる「原則」が何かをよく調べなおす必要がある。
つぎに段階とは何かである。
この場合において法律は除外する。法律の場合において段階とは改正あるいは新法のみであり、一般の平和な市民社会に直接関与するものではないからである。
したがって自然科学に基づく論理から段階を検討してゆくことになる。
自然科学は人間が発見し解析しひとつづつ論理的に段階を踏まえて発展してゆくのである。
段階には更なる発見もあるだろう。そこに発明が生じるときもあるだろう。これが発展である。
つぎに発展とは何かであるがすでに示した。
それが発展だ。
それ以外に発展はない。
「論理的に段階的に発展してゆく」意味はそういうことである。
この意味以外はすべて主観の賜物でしかない。
これが個性というものだ。
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