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■ワールド
広い世界には広い世界のモノの見方があり、そこに自己都合はない。
だが、その世界がしだいに狭くなるにつれ、しょうもない自己の都合がニョキニョキと生えてくる。
自己の都合が増えるにしたがって、ワールドは狭くなってゆく。
「・・・・・・狭い世界ですから」
狭い世界など言う者は、個々人の自己都合をいかに押し通してゆけるかという自己の裁量の幅を広げるために、わざわざ狭い世界だと言うのである。
これをなんというかというと、
「わがまま」という。
言い逃れをするとき、自分の主観ではなくて、別の物差しを提示してしまう。
業界人というのは、実に愚かな存在である。
彼らは彼ら自身のワールドのなかで生きているのである。
ま、業界人だけではなかろうが。
■ジェフ・クーンズの「ラビット(Rabbit)」
とてもシンプルな鏡のウサギである。
彼は時代の投影を芸術作品に落とし込むことが上手なようだ。
このウサギをみると見た本人は自分の顔が映しだされる。
ウサギが自分であるかのように思わせるのである。
ウサギの意味を考えると、正確に彼が示したウサギの意味を判らない人は、他のウサギの意味を想像してしまうであろう。
いわば古い時代のウサギの意味なのである。
時代を投影させることの大きな長所はその時代の性格とその時代に生きた人々との関係づけることにより、その時代の大衆の存在意義を示すことが出来る点である。だが、大きな欠点は、その時代が通過し遠い過去のものとなったとき、その時代の性格を誰も知らないということになる。そうなると、その時代を投影した作品が普遍的な生物を模したものであった場合において、普遍性のみが時代を通過するため、遠い未来における人々の意識が普遍性の観点でしか捉えることができなくなるという点である。
ウサギならば、なんだろうか。普遍的な意味はなにか。
芸術作品が時代を懐かしむ物に堕したとき、時代に縛られる芸術作品となってしまったとき、それは後世において意味不明の陳列物にしかならない。
存在の意味を説明してもらわないと解らない遺跡と変わらなくなるのである。
この世にはさらに存在の意味すらわからない遺跡もある。
オーパーツという不思議な存在である。
何のために作られたのか、現代の調査においても明確な答えの出ていない遺跡である。
勝手な憶測は論外として、正確な意義を突き止めることが不可能に近いほど、歴史の根拠が不明確なものである。
オーパーツは常に歴史から紐解かれなければならないが、現存している歴史とは異なる文明の証明をしない限り、そこから紐解くことはできない。それができれば可能であるが、それもまた説にすぎないものとなろう。
まさかナスカの地上絵が遊び半分で作られたものだとは思われない。
彼のウサギが一万年後において、さてどのように評価されるのだろうか。
興味深いものである。
今のことしか考えられない者にはとうてい考えることができないだろうね。
笑。
政治、芸能、スポーツ、世界情勢。
これらはすべて多面的に理解できる材料だ。
時代の予測の立つことは多い。
■スーパーリアリズムにも意味はある。
意味のないものはこの世に何もないからである。
ただ価値はない。すでに創造されたものを映しているだけにすぎないからだ。
映す行為そのものにリアリズムの時代性を活写するのであれば、時代の投影性という観点であるため、事実を映し出す写真や映像で十分である。
おそらく意味を求めようとする人は、意味があるのかないのかという選択を考えているのであろう。
選択とは、すなわち意義ですわ。
意味のないものはこの世に何もないが、意義を求めるかそうでないかはいくらでも個々の自意識のなかで決定することができる。
このように考えると、スーパーリアリズムにある意味とは、事実を映した結果という意味である。
そこに意義を求めるならば、時代の投影を映し出したいという欲である。この志向性が意義だ。
ただ、自分が思うには、スーパーリアリズムにも意味はあるが、そこに生じるあらゆる意義については全否定している。
その理由は、意義をすでに決定づけているアーティストがいるからである。
その名が、ゲルハルト・リヒター。
彼がスーパーリアリズムに決定的な意義を創造したとき、他の創造は全否定される。
もう既に他の創造はリヒターのなかにあるからだ。
スーパーリアリズムに新たな創造を見出そうとしたとき、リヒターの道程とカテゴリーのなかで他のあらゆる創造は既に消化済みというわけである。
いわゆる他のスーパーリアリズムはすべてリヒターに帰結してしまうことになるからだ。
自分は自他ともに個性を否定している。
発見のために。
発見にとって個性は敵である。
リヒターのリアリズムはリヒターの個性ではない。
リヒターが発見した創造である。
創造には無限の価値を有するが、創造なきものには価値はない。創造にとって個性は敵である。
何事も意味はある。
意義を求めるかは個々人の勝手。多様性とはこれだ。
価値は創造にあり、創造なきものには価値はない。
ただそれだけのことだ。
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