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侍達の夜明 のべるわんでいのお部屋
地道にコツコツと 先天下之憂而憂、後天下之楽而楽

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愛とは洒脱なもの

■物事の軽重


 個性が軽く扱ってきたところを重く扱い、重く扱ってきたところを軽くあしらう。


 物事の軽重はかように処するべし。


 個性はみな偏見である。




■ミケランジェロ・プロジェクト


 とある絵本を読んだとき、とんでもないことを作者は意図しているな、この作者はアホかと思ったものである。その絵本は原爆で失われた草原が見事に復活するまでの過程を人間の親子がしみじみと眺めている内容だったと思う。


 思うに人間は草ではない。しかし絵本ではあたかも人間を草のように扱っている。世に雑草の如くしぶとく生きよなんてくだらぬボケ事を抜かす輩もいるが、人間は草ではない。また血液でもない。作者も恐らく自らを草だと思い込んでいるのであろう。要は彼女の自虐である。絵本作家は弱い人々を先導するハーメルンの笛吹きである。どこに連れてゆこうとするのか。


 一方、映画ミケランジェロプロジェクトでは「戦争で人間が何万何十万人と失われようとも、雑草のごとくもとに戻る。だが、人間が作った文化や芸術は一度失われたら、二度と現れない」と特命を帯びた美術の専門家が語る。ミケランジェロプロジェクトは実話を元にした映画であり、美術鑑定の専門家集団が第二次世界大戦の真っ最中にドイツへ侵入し、画家になれなかったヒトラーが奪った古今の名画美術品を奪い返し、元の美術館に戻す内容である。彼らがヒトラーから奪い返した名画美術品はギリシャ彫刻から印象派・ポスト印象派と総数50万点に及ぶ。彼らはソ連に先を越されないように、隠された美術品の居所を突き止め、先んじて奪い返す特命を帯びていた。通常の従軍装備ではないため、彼らは銃を携帯していない。看護兵でもない。無防備の状態で銃弾の雨をかいくぐり目的を達成する。


 上記にあげた2つの事例であるが、人間の扱いを草とみるか草とみないかという観点に大いに議論が生じるのかもしれない。


 だが、文化や芸術は人間がつくりあげたものであって、それが失われると二度と戻ってこないことは真理である。


 この点を最も重視すべきであろう。


 文化や芸術に携わらぬ者たちは、いざ戦争になれば銃を持たねばならぬ。マスコミ報道とともに勇んで戦地で戦うことになろう。


 だが、それに携わる人間たちを巻き込んではならぬ。


 人間が草であるか、そうでないかは個々の意見を待ちたいものだ。おそらく自尊と自虐のアリジゴクと化した人々は、そこに多くの人をひきずりこもうとする連中らであって、戦争になれば仕方なく銃を持ってゆかざるを得ないものたちである。それをマスコミは応援する。


 伝統芸能は人間たちが継承しなければ途絶する。だが人間がいる限り復活することも可能だ。


 一方、美術品は失われると二度と戻ってこない。再生出来ぬものだからである。


 再生できるものは美術品ではない。



 こうしてみると人間が守らなければならないのは何かがようやく解るであろう。


 失われると二度と戻ってこないものである。


 そして人間は草ではない。同じ人間は二度とでてこないのだから。


 同じ自分も二度とでてこない。






■孫氏の兵法

 兵法はヘイヘイホー♪(北島三郎の名曲「与作」の1フレーズ)のように広く多くの人々に伝わるものであろう。いわゆる反射の原理。 だから後世に長く伝えられるのである。兵法は現代のビジネス戦略においても十分に通用するから温故知新のわが座右の銘になる。


 兵法を活用できる分野は数多いが、スポーツの世界で最も如実に現れるものである。


 
 たとえばテニスの世界。どのスポーツでも同じであるが、テニスにおいてもメンタル面の弱い人は自滅する。


 相手を自分のペースにいかに持ち込むか、これはさまざまな戦略のなかにおいて、メンタル面で圧迫を与えることも重要な勝利の条件である。


 やりずらい相手というものは居る。これは対戦型において、相手のペースにはまってしまい、自分の長所を発揮できないか、あるいは、自分の短所を相手から突かれるかして、負けてしまうのである。やりずらい相手というのは自分の長所を相手がすべて持っているのである。そういう者を相手にするのは、実に扱いにくい。


 相手を翻弄したり怒らせたりすると相手は勝手に自滅してしまう。


 相手をはぐらかせたりけむに巻いたりすることも勝利するためのひとつの条件である。


 また、自分の弱点を克服し全体のパフォーマンスを高めることも、相手が自滅するパターンのひとつである。


 いずれにしても、主導権を自分が常に維持できるように、さまざまな戦略を講じることが常勝への道だ。

 
 錦織圭はフェデラーとナダルに勝つことができない。いつも負けてしまう。


 フェデラーはオールランドプレーヤーであり、弱点がない。 しかし錦織は違う。


 ナダルは気迫だ。エネルギー値が非常に高く、タフである。集中力の持続力が違い、エネルギー値が高い人は、怪我してもすぐ復帰し常勝将軍になる。だが錦織は違う。


 それから大坂なおみ。大の男をひねり殺すほどの怪力の持主なのに、その心は揺れ動く華憐な少女そのものである。幼稚であり、クレバーさが足りない。冷静さを失いやすい。相手を怒らせることが勝利の条件なのに、それができない。自分のペースに持ち込めないから、怪力を発揮してもすべってしまうのである。名コーチのおかげでトップに立つことができたのに、そのコーチを首にしたのは彼女自身がまだバカだからである。もっと賢くなれば、彼女の長所はコートのなかで思う存分発揮できるだろう。成長過程のさなかであり、これからも温かく見守ってやらねばならない。


  個性で勝てるスポーツは存在しない。ドカベンの漫画を見ると判るだろう。明訓高校はバランスのとれた主役であるが、対戦相手の高校はどれも個性的である。だから、最後に明訓が勝つ。

 個性で勝てるスポーツは最初だけ。上位にあがるほどに、なぜいつも上位にいるのかをよく研究し、出来ればコピーすることが上位陣に勝つ手段である。


 そもそも個性という自惚れが実力の向上を阻害している。


 これはテニスだけの話ではない。


 勝つためには、相手をいかに自分のペースに引き込むかがとても大事なのである。個性は最初だけ。竜頭蛇尾である。ペースは最後に巻き込めばよい。


 実力を発揮できない人は、実力を発揮できない状態を自ら作り出している。


 そこに気づいてフォローするのがコーチの役目である。


 選手が気がつかないところをどのようにフォローしリカバリーしてゆくか。


 それから戦場に思いやりは不要だ。相手の心情を労わる必要はない。


 だが、それ以外のところで必要なのが思いやりである。それがない者は、環境的に不遇の者である。可哀そうな人だ。こうなるとこうした者は自らアリジゴクと化してゆくから、自ら這いあがるように応援してやらねばなるまい。思いやりを理解するには我が身のことのように相手を考えることである。相手の苦しみを労わることは、すなわち自分を労わることにもなることを教え諭してあげることだ。しかし相手を理解することが思いやりにつながるのであるから、これもまた戦場において勝利のための+の指向性になるのであろう。「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」知るということの母性的な観点が思いやりである。父性的な観点が戦略である。



 孫氏は戦争に関することのみ後世にさまざまな手法を示し勝利の方程式を与えてくれているが、思いやりに関しては、余技であったのであろう。だが、いくら余技であったからといって、思いやりを失ってはならない。


 これが人間のバランスというものである。


 勝つときは思いやりは不要。勝敗に関係ないときは、必要である。





■愛とは洒脱なもの

 愛情は特に俗気を祓うことである。愛とは洒落たものであり、ここで思い起こす浮世絵師の東洲斎写楽の写楽は洒楽と置き換えても過言でないほどに、彼の作品は描かれる人物への洒落が効いている。当時から垢ぬけた作品を描いていたのだから、なかなか理解されないのは当然だったと思われる。何せ浮世は本当の愛の複雑さに気がつきにくいものであるから。


 変幻自在の愛と書けば語弊を生じるかもしれないが、臨機応変なる愛情の施しという意味に限定することで、偏愛というものを除去できる。「偏」は蒙昧であり個性につながるものであるから、それを切除しなければ本当の「愛」を知ることはできまい。


 本当の愛には二種あり、無条件に認める愛と、条件付きの愛がある。ここに偏愛はない。偏愛は過分であり、そこが恐らく問題視されるところである。たとえば「酒」を偏愛する者とかね。「酒」を偏愛する者は個性的であるが、人間のバランスが崩れている。思い込みがなせる行為である。洒と酒は異なる。酒は自らを傾けさせるが洒は酒のみならず偏った考えも消去し、いわゆる俗の気風をも平伏させてしまう力がある。愛とは洒脱なものである。


 真の愛は双方ともに自在に使い分けることが人間としての人格につながってくる。が、いずれも不十分である場合には、問題が生じることもあるだろう。


 前者は優しい愛であり、後者は厳しい愛である。前者が思いやりであり仏の目である。後者が躾であり鬼の目である。


 思いやりを持つことはとても大切なことであり、それは往々にして経験論に基づくものであるが、その経験のない者は果たして存在しているのであろうか。思いやりは身近に存在する。それが解る者と解らない者の区別は経験の有無から理解力へつながるかどうかである。理解力のない者は如何に経験しようとも、思いやりを持つことはできない。理解力というのは幼少の頃の両親の指導による。その者を見れば、その両親を知ることができるというのはこの意味である。


 鬼を疎む輩は多いのかもしれないのであるが、そう嫌うものではない。鬼を嫌わない限り魔が差すこともなく洒を楽しむことができるのである。ここの理解は難しいのかもしれないが。

 
 鬼には善と悪があり、善行につながる躾をする者が善鬼、悪行につながる躾をする者が悪鬼である。


 本来、人間は悪を求める存在ではない。何らかの要因が悪を知ることになるのであるが、世に多くの悪が喧伝されるようになると、それを安易に手本とする者が存在していることは、世に悪が無くならない根源となるのである。悪の喧伝を意図的に表現する者は後を絶たない。それが自己満足につながるからである。本人の自己満足につながることこそ、これが「悪」であることに本人が気がついていないまんま、自らの所業をなしている。それに感化される者がゾンビの如く増え続けるのであろう。


 何が悪か善かの区別を知らない者が世に哲学として教える者もいる。善悪の区別をつけない教義は、決して許すべきものではなく、世から根絶させるべきものである。善意に根拠はないが、悪意には必ず根拠がある。その根拠とは言い訳である。言い訳がましい者はその手本がどこかに存在しているのであろう。何も考えずに言い訳する者はその手本通りに突き進んでいることになる。
この言い訳が悪である。躾というものはその躾をする者が言い訳をしないことである。それが手本となる。


 世に多くの言い訳の根拠を求める者たちは、それまでの人生において良い手本に出会えなかったと言えるのである。


 可哀そうだが学習能力のない者たちは、本当の愛を知らないままである。


 なお、言い訳と説明は異なる。こう考えるとわかりやすいだろう。


 心中に留めている考えが言い訳であり、外に現れているモノが説明である。


 説明は必要だが、言い訳は無用。


 この躾の出来ていない者はそれを教える者がいなかったか、学んで来なかったかである。


 変幻自在の愛というのは、本当の愛を自在に使いこなせる力量を持った人が語れる言葉だ。


 正邪・善悪は青竹の節の如く、監察出来るかどうかである。


 人をなめる者は正邪・善悪の区別を学習していない者である。


 モノの計量ができていない人である。

 
 今川義元は子を甘やかしたために、自ら滅びた。その子が自ら飲む味噌汁の注ぐ計量を自ら見損ねているというのを見ただけで、子の将来を危うんだのである。たかが味噌汁と侮るなかれ。器と注ぐ量の裁断の出来ぬ者は、自らの器のことを知らぬ者である。侮る者は自らを理解しないのであるから、他をも理解していない。


 ただ、人間は生長し器は機動的に変化してゆく。そこまで予見できていたかは、義元の器量である。失敗を許すときは学習を求め期待することであって、失敗を慨嘆することではない。



 生長は自然也。


 タンポポも居ればススキも居れば竹も大樹もいる。


 これが自然の見切りである。だが、人間は植物ではない。


 何事も即断即決出来る者はいない。


 そこに未来があるのである。


 人生は必ず何人も未完のまま終わる。


 もう十分だと思っている者は、自分への見切りがまだできていない。


 見切りが出来ており、まだまだやらねばと思う者は、可能を増やし出来るだけすることである。ただいずれも未完のままに終わることが定め。この定めを踏まえることが真の諦念というものだ。諦念はこれしか非ず。


 父性の器量はとても難しいところに挑戦していることに父親は自覚せねばならない。


 それこそが父親としての資格である。

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