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 暑中お見舞い申し上げます。

 熱中症にご注意を。→熱中症対策

 その記事は金曜日に書いた。



 日曜日、畑の水やり並びに掃除と、それからトロロアオイの芽かき作業をしてきた。

 畑でトロロアオイを作ることになった理由は、竹筆づくりから竹紙作りに至り、手作り和紙作りを学習しているときに、トロロアオイの存在を知ったためである。トロロアオイは紙料(楮・三叉・雁皮など。自分は竹)を漉き槽に水とともに入れて、漉き枠で漉く際に必須の材料である。必須の理由は、水中で攪拌された紙料は一定の密度で均等に分散していることが条件となり、デコボコの無い滑らかな紙をつくることができる。その分散に役立つのがトロロアオイである。和紙作りの漉き方には2通りの方法があり、溜め漉きの場合は原則としてトロロアオイは必要はない。そのばあいは厚みのあるデコボコした紙ができる。これが味わいである。だが、流し漉きのばあいは非常に薄く、かつ滑らかな紙を作る必要があるため、トロロアオイは必須である。


 トロロアオイは花オクラの種から育ててつくる。

 紙漉き用に。ただ、現在、漉き枠をどこぞの団体に貸し出してしまって紙漉きはできない。紙漉きはトロロアオイが腐りにくいは冬場に実行する。

 最近知った情報であるが、トロロアオイの生産が2020年で大幅に無くなるようだ。

 こりゃエライこっちゃ。その記事がこちら↓


 この記事の内容によれば、

 茨城県小美玉市にて5軒の農家さんたちが、全国のトロロアオイの90%以上を生産していたが、2020年から高齢を理由に出荷を停止するとのこと。

 ・・・・・・これでは、全国の手作り和紙に関わる人たちが、悲鳴をあげるのではなかろうか。


 トロロアオイの生産が激減し、記事によれば「16年度は全収穫量17・4トン(日本特産農産物協会調べ)のうち、9割以上の17トンをこの5戸で担っていた。洗浄や箱詰めなどの調製作業も生産者で行っている。この10年間は、JA新ひたち野が生産者を引き止めながら出荷作業を行ってきた。しかし今年は、翌々年の出荷は厳しい旨の通達文を付けた上で出荷した。」とあった。

 たった5軒で全国のほぼ100%に近いトロロアオイの需要を賄っていたというのは驚きであった。そもそもトロロアオイの需要は和紙作りには欠かせないものであるが、それを生産している方々がたった5軒しかないことに驚いたのである。たしかに、需要といっても、全国で和紙作りをしている人々は、割と特殊な部類の仕事に入り、さらにその和紙作りの生産者も年々減っているのではなかろうか。和紙の重要性についてことさら現代において深い意味を見出す人が少なくなったのであろう。和紙は和紙でしか表現できない味わいがあり、それを使った製品は数多い。ちなみに日本画や水墨画は和紙が基本である。上質紙などは安価であるが、和紙が高価な理由は手作りだから。機械化生産ができない理由は、本や新聞・雑誌などの紙の行く先になるトイレットペーパーを含めたパルプ製品だからである。木材パルプも楮類もリサイクルできるが、なかなかそこまでシステム化しようという気にならないのは、和紙への偏見ではなかろうか。

 なかには和紙がなかなか手に入らず、化学合成された強化疑似和紙を和紙代わりに使っている製品もあるだろう。それとも経費節減か。丈夫でコスパに優れた製品が優位性を持つようになると、どうしても経費負担をさげるしわ寄せが原料に向かってしまう。

 そのような現代において、手漉き和紙の業界は年々縮小傾向にある。そこにパンチを浴びせるのが5軒のトロロアオイ生産農家が生産を中止することである。彼らが年間の生産総量の9割以上を作っていたため、20年度以降から手漉き和紙作りの業界に入ってこなくなる。

 トロロアオイのことを手漉き和紙の専門用語で「ネリ」という。その「ネリ」にも「疑似ネリ」というものがあるようだ。まるで釣り用語の疑似餌のような響きをもつ。自分は疑似ネリについても調べてみたが、メーカーダイヤニトリックスの「アクリパーズ」という化学ネリがあるということを知った。他にも化学粘材を作っているメーカーがいくつかあるが、「アクリパーズ」は抄紙用粘剤として一般的に定着しているようだ。

 疑問点は、天然のトロロアオイではなく、化学製品を使用した場合において、その後処理がある。

 化学製品は漉き槽に溜まりこびりつくという話もあり、それを除去するのに手間がかかるという。

 自家栽培の天然のトロロアオイしか自分は使用したことがないため、化学製品を使用した場合の紙料の影響に関してはわからない。ただ。漉かれた紙に化学物質が付着していることは間違いはない。天然のトロロアオイを使用した純天然の紙ということで、それが漉く者の両手や腕への影響、皮膚への影響が懸念されるが、一般化しているということはそれがないのであろうと思われる。もしかすると素手ではなくゴム手袋をして漉いているのかな?

 とまあ、いろいろこうした前提知識をもとに、自分は非常に少ない量(5本程度)であるけれども、畑にてトロロアオイを作っている。実験として作っているといったほうがいいだろう。


 トロロアオイは花オクラから作られる。

 これまで花オクラは2年ほどつくってきたが、花を食すために作ってきた。その残りとして根っこ(トロロアオイ)を利用してきたのである。

 ただ、本当のトロロアオイを作ってきたわけではないので、今回はじめて本格的に作ることになった。

 本当のトロロアオイは、花が咲かず、枝ぶりや葉は非常に少ない状態で作られるため、今年は花を食す風流なる機会を失った。


 現在、8月4日の時点での花オクラの生長具合がこちらである↓。

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 今年は、黄色い花を咲かせないようにするため、これから芽かきをほどこしてゆく。

 本当のトロロアオイは、黄色い花を咲かせない。

  枝ぶりをこれから、落としてゆく。 かなり短く散髪する。

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 ヤシの木状態にしてゆきます(実はできないが、一本の棒状態にする意味)。

 まずは脇芽を全部とる。花が咲くつぼみは全て切除。

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 それから、上のほうの枝を残して、それ以外の下の枝葉を全部切除する。

 ちなみに上にあるつぼみもすべて切除する。

 ↓本来は花が咲くつぼみも全部とる。
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 散髪する前はこんな状態であったが(↓)、
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 枝葉を切除すると、こんな状態にまでなってしまう(↓)

 すっきりとした棒状態。
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 ちなみに藪蚊が多いので、蚊避け線香を焚いている。

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 現在の気温は、36度か。携帯の気温湿度高度計があるが写真撮るの忘れた。


 枝葉やつぼみをかなりそぎ落としたため、スッキリとした風体になったが、光合成がないと成長しないので、上の数枚の本葉だけ残している。

 もともと丈夫なオクラであるが、支え木をしている。いっぽんづつ紐で軽く結んでいる。

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 足元もスッキリした。

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・・・・・・ちょっと切りすぎたかな、と思えるところもあるが、これもまた実験ということで。


 このように光合成に必要な最小限の枝葉だけ残し、かつ、花を咲かせないような状態にすると、何が起きるか。

 根っこに栄養がじゅうぶんに行き渡るようになり、そこにすべての力を注ぎこむようになる。

 これまで余計な葉や花がネリの成分の分泌を分散させてしまって、根っこに集まらなかった。それを防止して、根っこを太らせて、本当のトロロアオイにしてゆくのである。


 本当に、このめちゃくちゃ糞暑い時期にわずか5本の芽かき作業だけでも、しょうしょうこたえたけれども、上記に書いた5軒の農家さんは、5本どころか、17トン分の芽かきをしなければならないようだ。

 これはかなりたいへんだと思う。体力がものをいう。高齢により今後出荷できなくなる理由もわかる。農協がお願いしても、誰もこんなたいへんなことをしようと思う有志はなかなか現れないのではなかろうか。

 とにかく、この一番暑い今の時期に芽かきをしなければならないのが、一番こたえると思うのである。

 
 で、次。

 えーと、長くなりすぎたからヘッドフォンの記事は後日に回そうと思ったが、まとめて入れておく。

 実は、この畑作業のときに使っていたのが音楽を聴くヘッドフォン。

 畑作業が楽になる。

 去年の今頃にBOSEのサイトで購入した
 BOSEヘッドフォン quiet comfort 35。
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 BOSE製品は、コルグのキーボードを弾いていたときにスピーカーとして使っていたものがあり、それ以来。ノイズキャンセリング機能のパイオニアでも有名である。

 電源を入れると同時にノイズキャンセリング機能が働き、周囲の雑音が極度に減少する。聴こえてくる音楽自体が明瞭になる。

  
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 ヘッドフォンはブルートゥース仕様でも有線でも使用可。有線はケーブルがめんどうなので無線で使用している。
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 ボタン操作にかんして簡単に図示した。


 
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ペアリングはとても簡単。

 今回はブルートゥース5.0(規格は4.2以上がベター)のMP3プレーヤーから以下のような表示が出るまで、3つ上の画像のCボタンをスライドさせておく。それでペアリングOK。ペアリングは初回のみ。以降は、表示の機種を選択してつなぐだけ。
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 ノイズキャンセルした状態で聴く音楽はとても快適である。BOSEの耳のパッドはとても柔らかく長時間使っても疲れにくいようだが、実際にそうである。





熱中症対策


 熱中症にならないためには環境保全が一番である。

 環境保全を前提として、次に大切なものが水分。


 だが、水分といっても、飲料水だけでは駄目。

 コーヒー、紅茶、牛乳、炭酸飲料やジュースやアルコール類も駄目。

 フルーツも駄目。

 では、何が水分として大切なのか。

 それは、糖分と塩分の絶妙なバランスをもった水である。 あわせてビタミンCを追加するとなお良い。

 それを摂取しなければ、いくら水分をとったとしても、身体に吸収されずに抜けてゆく。特に緑茶、コーヒー、紅茶類は利尿作用があり、腎臓に負担をかけるだけでなく、身体の水分を摂取した以上に抜く機能をもっている。
 
 それを大量に用意して冷蔵保管しておくことである。

 市販製品にもある。

 アイソトニック飲料とかハイポトニック飲料とか言う名前の飲料水である。

 夏場では1日2リットルは確実にとらないといけないから、市販製品を大量に購入しておくのも一手である。

 だが、これらの飲料は自宅でとても簡単に作ることができる。

 風呂に入ると1リットルの水分が抜ける。だから、ふろ上がりにも水分補給はとても重要である。

 ここでアイソトニック飲料とハイポトニック飲料について簡単に書いておく。


 血液などの体液と同じ浸透圧を持つのがアイソトニック飲料であり、体液よりも浸透圧が低いのがハイポトニック飲料。

 いずれともスポーツをするときとしたあとに使い分けをするのであるが、熱中症対策はスポーツ以外の仕事並びに日常対策においても、特に夏場は必要である。

 ここらが判っていない人がいるから書いているのであるが、

 人間は自分の身体のことを意外に知らないものである。自分の身体のことは自分がよく解っていると思っている人ほど、自己に過信をもたらし、結果的に周囲に迷惑を生じさせることにもつながる。自己管理ができていない人は、他人への管理などできるはずもなく、他人への指導などもってのほかである。熱中症になる者は明らかに自己管理ができていない。基本的に、「我慢」は無駄である。意志の力で自分の身体を管理することはできない。これは本当だ。

 妊婦さんは、大量に食事をとるが、その栄養は子宮の子どものためにも必要だからである。

 考えて栄養を摂取している。

 だから水分補給もまた考えて自分の身体に必要なことを十分自覚することである。

 お茶飲んでいるから熱中症にはならない、なんて思う人は間違った考えである。

 ビアガーデンのシーズンであり、大丸などの百貨店の屋上では盛んにビアガーデンが各地で開催されている。ビアガーデンは涼気をもたらす心地よい雰囲気であるのは数百回の経験のある自分としても十分に理解しているのであるが、・・・・・・熱中症対策にはなりません。。当たり前だ。ここでいくら水分とっても、全部抜けてゆきますから。

 熱中症を簡単に言うと、体液が急激に減少することから生じるさまざまな症例であり、めまいやふらつきから始まる。めまいやふらつきがなぜ生じるのかというと、血圧の低下である。血圧が低下すると、大脳に行き渡る血液の量が減るため、めまいが生じ、大脳が中枢神経を通して送り込む身体への指令が正確さを失うため、ふらつきが生じる。血圧が低下すると神経の伝達が遅くなり、皮膚感覚も麻痺してくる。いわゆるこれがアルコール中毒に至ることにもなるが、アルコール摂取と同じ症状がアルコールを摂取していないのに起きてしまうのである。血圧が低下するため、大脳は心臓に過大な負担を与えて稼働させ、身体に血液を送り込む。そのため、動悸が発生する。これも急性アル中と同じ。

 めまい、ふらつき、動悸が生じるところまでは、まだ自力回復することは可能であるが、さらに血圧が低下し症状が進行すると、身体を自力で動かす機能まで麻痺してしまうため、倒れる。そうなるともう自分の力で水分を補給することはできない。さらに、体温があがる。体温があがる理由は、低血圧だからです。普通は低血圧だと、体温は下がるのであるが、自律神経に異常が生じると、大脳は体温をあげてしまう。
自律神経に異常の生じやすい寒冬の登山では、体温をあげないと身体がもたない。これと同じである。熱中症に罹った人の体温は40度を超える。やがて意識が混濁し、意識を消失してしまう。そのままの状態では確実に死に至る。水分の少ない血液はドロドロにかたまり、皮膚は干からびてしまう。ミイラのような状態か。

 熱中症はナメテかかると死に至ることもある怖い病気なのである。

 これらを防止する飲料がアイソトニック飲料とハイポトニック飲料というわけだ。

 すでに書いたがアイソトニック飲料は汗で抜けてゆく血液のなかに水分を補給するための絶妙な浸透圧をもった飲料である。同じ浸透圧であれば水分は血液に吸収できるが、ただの水、緑茶、紅茶、ジュースやアルコール類は浸透圧が異なるため、血液に吸収されることはない。全部小便となって出てゆく。これらの水分補給が心地よく感じるのは、喉だけだ。喉の感覚しかない。


 アイソトニック飲料は、スポーツをする前に事前に飲むことによって、スポーツの最中に生じる血液からの水分揮発による減少を補完する。つまり多少水分の多い血液にしてから、スポーツをするのである。それをすれば、スポーツの最中に急激な水分揮発減少から生じる脱水症状を防止することができるのである。多少水分が多めの血液、いいかえれば血圧が多少高い状態でスポーツに臨むのである。


 一方、ハイポトニック飲料は、スポーツをしている最中において水分の浸透力の衰える血管を助けるために浸透圧の低い水分を摂取するためのものだ。スポーツによりけりであるが、有酸素運動は血圧を下げ、無酸素運動は血圧をあげる作用がある。たとえば有酸素運動の代表格であるマラソンでは、アイソトニック飲料をわざわざ薄めて浸透圧の低い飲料にする(ハイポトニック飲料化する)ことで、運動中に負担のかかる血管の吸収力の衰えを補完するのである。


 いっぽう、スポーツだけでなく人間は熱中症に罹る。それは脱水症状を伴う低血圧化であるため、血液に水分が少ない常態が続いているときに速やかなる水分補給をしなければならない。汗がよくでる夏場は水分が抜けやすいので、こまめに水分補給をしなければならないのであるが、その状態は低血圧化しているため、できればハイポトニック飲料のほうが身体の負担が少なくなるのである。


 ここで簡単にアイソトニック飲料とハイポトニック飲料の作り方を書いておく。

 ちなみに市販製品はいずれも販売されている。

 これで熱中症対策をして暑い夏を乗り切りましょう。


 いずれも材料は同じ。配合が違うだけ。

 ちなみに高血圧の人は、塩分を控える必要がある。塩分を控えないと、血圧がすぐあがってしまうからだ。低血圧も問題であるが、高血圧も問題である。

 水分吸収に必要なカギは、「塩」であるが、多すぎても少なすぎても駄目である。塩分がないと吸収されないから、上記にあげたものは水分補給にならず、他の余計な成分を大量に摂取するため腎臓に負担がかかるのである。ということは、アイソトニック飲料やハイポトニック飲料は腎臓への負担はないということである。ちなみにアル中の末路は人工透析である。これぞ自業自得。


 (材料)

・水
・塩
・糖(ハチミツでも黒糖でもよい。)
・レモン果汁



●アイソトニック飲料の作り方

 水 1リットル

 塩 3グラム

 糖 大さじ 6

 レモン果汁 お好み(入れすぎると酸っぱいだけ)


●ハイポトニック飲料の作り方 

(アイソトニック飲料を2〜3倍に薄めるだけ。1リットルで計算すると塩と糖の量をアイソトニック飲料の半分以下に減らすこと)

 水 1リットル

 塩 1〜1.5g

 糖 大さじ 2〜3

 レモン果汁 お好み(入れすぎると酸っぱいだけ)





 1か月に及ぶ祇園祭も7月31日ですべて終了する。

 その7月後半の大イベントが、祇園祭 神輿洗い式。

 祇園祭は、八坂神社と山鉾町の2大グループの壮大なる祭のセッションということは前の記事に書いたが、神輿洗い式は八坂神社の氏子さんたちが活躍する。

 神輿洗い式は初めて見に行った。


 またまた八坂神社へ。


 7月29日 午後6時  神輿洗い奉告祭
       午後8時  神輿洗い式


 神輿洗い式とは、7月10日にもある。神輿洗い式は2つある。10日と28日。

 7月10日の神輿洗い式とは、八坂神社の神輿庫に収められていた3基の神輿を出して、舞殿に安置する前に、一番重要な中御藏(素戔嗚の尊を祀る)を地元の氏子さんたちが担ぎ上げて、巨大な松明の灯とともに、四条大橋まで行き、神輿を清める儀式を行う。それが終わると、八坂神社へ戻って、舞殿に安置する。


 その神輿の一番のイベントが、7月17日の神幸祭 神輿渡御。
 氏子さんたちがそれぞれの区域を神輿を担いで練り歩く。

 そして、3基の神輿を神輿庫へ納める前に、もう一度神輿洗いをする。

 それが7月28日の神輿洗い式。

 ・・・・・・非常に手間のかかるお祭りです。


 3つの神輿が舞殿に安置される期間は、7月10日〜28日までということになりますね。 街中に担ぎ出されては7月17日のみ。

 「ほいっと!ほいっと!」と威勢のいい声が印象深い。

イメージ 1
(宵宮祭の時に見た舞殿の神輿)
 
 その威勢のよさを直接味わってきた。

 目の前で。

 
 7月28日 神輿洗式
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 早速、現場に到着するとすでに神輿洗いの準備が始まっていた。

 神輿の飾りつけをしているのでしょうか。

 3基の神輿にはそれぞれ安置されている神様がいる。

 素戔嗚尊、櫛稲田姫命、八柱御子神の三座。

 このうちの真ん中(素戔嗚尊)だけ、神輿洗い式に出場する。3つとも四条大橋のど真ん中に安置すると、大騒ぎになりそうだから、1つだけということでしょうね。

 四条大橋の真ん中に安置するのは、中御藏だけということ。ただし、3つとも庫に仕舞うので、この儀式で持ち出します。

 
イメージ 3


 4つめの小さな神輿もある。。笑 これも担ぎ出してしまう。

イメージ 4

 
 やがて時間となり、白法被を着た氏子さんたちが境内に、大量に表れる。

 とにかくものすごい氏子さんたちの数です。

 数百人はいるでしょう。

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 パッと見、氏子さんにも2つのグループがあり、強面、強漢、猛々しいマッチョの屋台主向きの部類は神輿担ぎに回り、大人し目、細い体、色白、といった雰囲気の部類は、提灯行列に回されるような感じであった。

 といっても、皆さん非常に礼儀正しく、キビキビ、ハキハキと威勢よく、笑い声や怒声も数多く境内にこだましながら楽しんでいた。

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 自分はどちらかというと、身体を見せたら、担ぎ手に回されるタイプかもね笑。

 神輿はたいへん重いので、数多くの桁を履かせて大勢で持ち上げる。神輿の担ぎ棒だけでは足りないし、漆塗りの高級な神輿を傷つけちゃいけない。少しの傷も負わせないために、


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神輿の担ぎ棒に桁棒を追加する。

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 1つの神輿に、4本追加していたのかな? ちゃんと見えていなかったが。

 神輿に桁棒を履かせています。 紐でしばっている。しょうしょう時間がかかる。
1つ1つの神輿にこうした丁寧な作業が事故を防ぐんですね。

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 スピーカーの巨大な声の指示とともに、力強く神輿を持ち上げる。

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 もちあげたあと、舞殿から降りる階段が危なっかしい。神輿が建物に接触しないように注意深く息を合わせて、ゆっくりと降りてゆく。ここでひっくり返ったら、・・・・・・。そんなことがないように、地面に降りるまで慎重に。


 これは映像でみたほうが、非常によくわかる。映像も撮影しているが、まだアップできていない。ちょっと見たところ、危なっかしかったけどね。

地面に降りると、気を揃えて、威勢よく

 「ほいっと! ほいっと! ほいっと!  ほいっと! ほいっと! ほいっと!」
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 威勢よく歩き出した。

 担いでいない氏子さんたちも全員神輿についてゆく。

 すぐに彼らは舞殿に戻り

 次に左の神輿を担ぎだす準備をする。


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 それを担ぎ出し、
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 また、氏子さんたちは舞殿に戻ってきて、3つ目の神輿を担ぎ出す準備をする。


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 それを担ぎ出してゆく。

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 最後に4つ目の神輿。

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 このちっちゃな神輿は、


 ふたりで持ち上げて運び出す。。

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 先の3つと違い「ほいっと」の掛け声はなかったね。

 笑
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 はい、これで舞殿に安置されていた神輿はすべて運び出されました。

 ガランとしている。
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 提灯行列の氏子さんたちが歩いて出てゆきます。

 これから四条通りを練り歩く。

 もちろん、もうすでに、八坂神社から四条大橋までの四条通は完全封鎖されているでしょうね。

 これから大行列が始まる。

 と、想ったら、舞殿向こうの本殿前で、巨大な松明に火がともされていた。


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 松明がこっちへやってくる。


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 熱い。。炎の熱風が周囲を一気に熱帯化する。

  すぐ目の前を通ったが、かなり熱い。画像や映像では伝わらないか。

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八坂神社を出ると、案の定、大通りは封鎖されていた。

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イメージ 26

四条大橋から八坂神社までの四条通は、神事のため通行止め。歩行者天国ではない。

南座のほうまで歩道は見物人がびっしりとはりついている。
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 熱い松明の灯がやってくる。

イメージ 27
イメージ 29

四条大橋の入口はびっしりと人がいる。

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 四条大橋の上で神事は実施される。

 下の画像は四条大橋。 もうすでに神輿がそこに安置されているのだろう。

 ちなみに、この↓画像の左の大きな建物は、個室ターンテーブル式の中国料理専門のレストラン。フカヒレと春巻きがウマい。10回ほど食べたことがある老舗です。屋上で撮影したほうが、よかったかな。。東華菜館本店。公式HP

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 四条大橋は警官が観客たちが立ち止まらないようにマイクで誘導していた。

イメージ 31
 橋のうえで氏子さんたちが休んでいた。通りを占拠する暴走族の集会ではないのだが、いかつい感じは拭えない。

 下の画像の赤丸が神輿。素戔嗚の中御藏。
イメージ 33

ここで厳粛なる神事が行われる。神職の方が祝詞をあげたあと、早朝にくみあげた鴨川の水(神用水)を神輿にかけるのでしょう。お清めをする。その場面は立ち止まれなかったために見れなかった。そのあと、周囲の人に水しぶきを浴びせるようだ。水しぶきには厄除けのご利益がうたわれていて、その水を浴びるために多くの人が集まるそうだ。

 ひととおり終わると、神輿はまた氏子さんたちに担がれて八坂神社へ戻り、庫に収められる。
イメージ 34

 他の3つの神輿も収められているんでしょうね。

 見ていないが。。

 ここらも映像を撮影したが、映像のほうが断然迫力が違う。だがまだアップできていません〜。

 ということです。

 はあ〜

 これで祇園祭りも終わりましたね〜。

 長い1か月、みなさんお疲れ様でした。

 


感覚、知覚、五感

■感覚、知覚、五感

 五感の選択を知覚といい、知覚は感覚から生じる。

 感覚は自らの内にあるが、実は、それ以外の知覚というツールを使って、五感のいずれかあるいは複合的なる選択そのものであることに気づくことができるだろう。だが、感覚は外にあるわけではない。いいかえれば物質自体に感覚があるわけではない。そこを混同してしまうと、物質自体の存在そのものを理解することができなくなる。

 なんだか難しい書き方をしているが、具体例をあげればそれがよくわかる。

 ただ、物質自体に感覚が存在しているというベルクソンの考え方には疑問を呈する。大衆は「想い」という感覚を物質から享受している。だからといって物質自体に感覚があるわけではない。大衆に受けのよかったベルクソンは生の哲学者として哲学史上位置付けられているようだ。
自然から発見された難解なベルクソンの理論を大衆にわかりやすく説明するために、ベルクソン自身が人間意識の分析を自らの意識を通じて検証しようと試みたのであるが、自らの意識をモノサシとするがゆえに、哲学という方面に足を踏み出してしまったのである。哲学は科学でも自然でもない。物質自体に感覚があろうと考える者は、そこに知覚が働いているにすぎないのである「物質の記憶」。

 敏感とか鈍感とかいう性格を表わす言葉があるけれども、それは知覚というツールの強弱でしかないのである。知覚の強い者は敏感であり、知覚の弱い者は鈍感である。

 ただ、ここで大きな問題があることに気づかれよう。知覚という曲者である。知覚は五感ではないことの理解を十二分に掘り下げ、区別して分析してゆかないと、感覚の在所が常に自らの内側にあることに気づくことはできない。

 どこの世界の人間に、アイロンにはアイロン自体の感覚があると断言することができる者がいようか。アイロン自体に感覚があると想うことは、アイロンの気持ちが解るということであり、アイロンの物理としての性質を理解しようという気構えがアイロン自体に感覚があるという姿勢につながっているだけのことである。そこにはその姿勢をもつ者の感覚の選択が視覚以外において物理的構造への認識にしか働いていないことに気がついて居らぬのである。

 人間がアイロンに対して知覚ツールを用いて五感を生じさせるのは、視覚と触覚のみである。

 言い換えればアイロンを見て、味覚や嗅覚や聴覚を働かせる者は存在しない。だから、マジックを通じて人間を驚かせることもできよう。トリックは、人間の感覚と物質との間にある知覚の常套的使用を逆手にとって、それ以外の感覚を提起するものである。そこに面白みを生じさせる。たとえば、お菓子で出来たアイロンである。アイロンが話すとか、もそうである。いわば、人間が物質に対する知覚ツールの選択方法はごくありきたりな経験論に基づいているということである。

 ここで簡潔にまとめると、知覚の選択により生じる五感はそれぞれにおいて、人みな同じである。知覚のない者は、五感のいずれも生じないし、知覚のある者は、五感のいずれかあるいは複合的なる選択をしているということである。



 ここでちょっと知覚について書いておこう。知覚についての働きである。知覚とは個々人が物質に反応するツールであり、それ以外の働きは存在しない。

 知覚とは知性でも知力でもない感覚そのものであって、いいかえれば知性や知力は物質から享受された感覚に対する深い洞察から育まれる思考過程である。知覚とはたとえばペンギンの背後の壁にライトの光をあてると、そこを見る明反応や美味しいモノを見つけたとき、よだれが出るパブロフの実験結果の状態のように知性も知力も要しない反応そのものであって、反応自体が素早いかノロマかという区別以外に考察すべきものではないのである。そのスピードの差は経験に基づく。サッカーの練習は素早い視覚と触覚と聴覚が培われ、そこに時間的な思考の余裕が生まれる。知性や知力を発達させるためには、それを培う時間の余裕を作らねばならない。だからこそ、素早い反応(コンピュータでいうバッファ処理)が出来る者が知性や知力が高くなるわけである。知性や知力は個々人の学習過程における思考論理の圧縮であり、そのパターンが多ければ多いほど、知性が高くいわゆる「賢い」ということになる。ただ、その認識パターンが多ければ、経験論からの選択(五感の選択ではない)に時間を要してしまうこともあろう。


 ペンギンや犬がバカなのは、人間のように知力を高めることができないためである。バカでも五感の反応は他の人間と変わらないのであるが、考察を踏まえることができるかどうかが、バカと賢いの差となるだけのことだ。

 ま、いずれにしても人間の考察力の程度はとても自然の発見には及ぶまい。知覚は誰でも自然から与えられる生来の性質であって何人も平等であるが、考察は個々の思考の錬磨以外のものしかない。それすらも自然からの発見にはるかに及ぶまい。


 人間の子は自然から多くを発見する。発見しても好奇心が強いため、その考察に至る前に他の発見へといそしむ。ただ見つける行為そのもの自体を楽しんでいるのである。子ども自体、人間の知覚は最高レベルに達していると言えるだろう。大人になるにつれ、知覚は鈍化してゆく。鈍化するというか収斂されてゆき、思考への楽しみに移行してゆく過程は、収斂もまた必要なことであろうと思われる。


■アカデミー


 アカデミー教育は、原則として無体物である宗教の具体化から始まった。

 神話を具体化した具象画がこれである。

 眼に見えない存在を主張するとき、人間は権威的になる。ここが愚かで滑稽なる人間にしかない姿勢そのものである。
 
 最古の大学は宗教学から始まっている。宗教といえば、仏教、イスラム教、キリスト教、まあいろいろある。たとえばキリスト教においても教義の研究と哲学から大学は始まっている。プロテスタントではなく、カトリックである。

 カトリック教会の権威がそのままアカデミー教育の権威であり、その流れを受けて教会の意識に便乗して出来上がったシステムが中世ヨーロッパの大学の始まり。


 大学の礎の根幹は宗教学からきている。新たに追加された学問は宗教学を含め人間を取り巻く環境から研究を深めていこうという意欲から生じた学習並びに研究の場を提供により総合的な人間学の発展を目的としたものに他ならない。数学、物理、語学、経済、政治、法学、文学、社会など人間の研究意識が向くあらゆる方面にわたっている。現代の学部名の不可思議な大量生産はそれぞれの枝葉にすぎないが、より複雑に発展した社会構造に呼応して制作された新規の学問分野にすぎない。いわばこれらは社会化され実体化された存在から生じた副産物であるといえる。

 そもそも大学は目に見えない宗教の理念を具体化するために始まっているがゆえに、権威を身にまとわざるを得ないのである。


 たとえば、UFOの存在を認めている者は、権威的にならざるをえない。そんなもん信じるほうがおかしい、と言う者が多ければ多いほど、権威的にならざるをえないのである。これもまた思想のひとつであり、思想は時事の変化並びに時代の変化に応じて見出されその都度修正変更を経る過程をもつのであるが、一度権威というものに縛られると、人間はその修正ができなくなってしまう。簡単に言えば、言い出しっぺが引っ込みがつかなくて、その考えを正当化し、自説を強化して自ら納得し続けるコメディを一生演じ続けなければならない。

 人間喜劇というのはアカデミー教育の中から生まれた。


 笑。


 思想から人間教育を図ろうとする者は、その者自身が自ら主張する思想のなかに閉じ込められ、仲間を増やそうとする。人間の理解を個々の未熟性と見なして一蹴することから始めるのである。思想は自らの思念の発見をより多くの人々に明瞭に伝え理解を図ることが目的である。


 アカデミーは天使や悪魔や神を描くために、現実の人体を物理的に研究しデッサンし続ける。今はもう亡き権威にしがみつくために。生身の身体を無体物に奉仕させるために。自らの思想を自らのなかで燃焼させて自らの身をも焼き尽くすために。自分だけ焼くのはもったいない思想であるから、より多くの者を巻き込んで焼いてしまう。これを何というかと言いますと、病気といいます。精神科に行くこともしないアカデミーの思想人は、賛同者を多く求める。要はアカデミーの思想は、ある一定の目的を図るために、誤解されていることに気がつかないにも関わらず、社会に見られる意識を自ら創作して、それを利用しながら、喜劇の一生を終える存在である。しかも自嘲せず、自嘲にも気がつかないのだから、その思想がなぜ世間に行き渡らないのかを理解する力もない。理解を求めることすらしないから、そこに乗っかってくる者たちを単に巻き込んでゆくだけしかできない。



 ただ、その方向性は歴史を通じて徐々に変化がもたらされる。

 思想の力が弱くなり、思想の力で経済を左右することもできなくなり、「人間の利」の方面に社会が動き始めると、大衆という多勢に無勢のアカデミーの教育はほとんど効力を持たなくなった。アカデミーがさまざまな分野を牽引する時代は終わり、世故に長けた大衆より出る商売人が世の利を刺激し、文化、技術さまざまな方面便利な社会性を獲得し、社会はより高度な技術発展を通じて、ソーシャルなネットワークを獲得しつつある。そこに置いてけぼりを食っているのが、アカデミーである。

 世間は狭いわけでもなく広いわけでもない。そこに気がつかない人々の多くは、それぞれの都合において世間は狭いとか広いとか言うのである。

 人間皆が個々人の価値基準を定立してそれぞれの人生を歩む時代であるため、十把一からげにひとつの基準をすべての人に押し付けるアカデミーの世界観は滑稽に見られてもいたしかたのないことである。

 アカデミーの基本は、アカデミーを通さずとも十二分に大衆が事前学習をしているから、アカデミーが牽引すべきところは特になく、言い換えれば、アカデミーが独自に絡んでゆく方面との癒着を通じて、アカデミーの維持を図ることさえできれば、それ以上アカデミーが望むところは何もないという体たらくに堕しているのである。


 本来のアカデミーの影響力はあらゆる分野の最先端を牽引してゆく原動力となり、さまざまな分野のトップとして君臨しつつも、時代を切り開いてゆく立場にあるものだ。だが、因循姑息な姿勢を維持し、都合の良い者だけを絡めとって、現状維持を図ることが伝統の継承であると考える者たちばかりになると、アカデミーがなすべき研究と発展の目的がアカデミー自身が目的自身を見失うか、それ以上求めるところがない状態にまで陥っているかのいずれかがこれらの内部の腐敗につながるのである。

 アカデミーが腐敗するということは、社会はアカデミーがなくとも自立発展し続けてゆける知性を持つようになったと言えるのではなかろうか。

 アカデミーの存在意義について想うに、たとえばノーベル賞のように明瞭な成果を大衆に明示できる分野ならば、そこらの分野は留まることなく発展し続けるであろう。


 いずれにしておいても、

 世間は狭いと言う者は、「無知」そのものである。

 世間は広いと言う者は、妄想家である。

 いずれにも偏らないところに、


 発見があるゆえに、そこはアカデミーであってもそうでなくても、まったく変わらないところである。

 そこに意識を常に向けることが、くだらない裏話などが生じないことになる。

 表と裏の話なぞ、どうでもよろしい。表裏を持っている者は、いずれもひとつの縛りの中でもがいているだけの存在である。

 そこが無知を生み、反対に妄想家も生み出す。

 縛りのなかに新たな発見を見出し、変容させてゆくこと。

 これが発見の実現である。

 また縛りに囚われず、新たな発見を見出し、変容させてゆくこと。

 これが我が座右の銘たる温故知新であろう。


 知というのは、温故知新の知ですわ。

 それ以外の何かようわからんものは、すべてガラクタの思想でしかない。

 ゴミの思想だ。

 金魚でさえ自らくっつけている長い糞をいつのまにか切り離してしまう。

 金魚を欲しがる者は人間であるが、糞を欲しがる者はお馬鹿さん。




 忘れないうちに記事にしておく。

 笑。

 先週土曜日に伏見稲荷大社 本宮祭 宵宮祭を見に行った。

 もともと伏見稲荷の眼力さんには毎月1度は御参りしているが、今月は20日ということで。

 その前に、参院選の不在者投票に行き、自民党に入れる。今の日本は自民党がつくってきた。

 そのあと家庭菜園に。

 インゲン、ナスビ、キュウリも収穫時期であるが、そろそろ終わる。今はミニトマトがぎょうさんできている。苗は2つしかないが、畑で作ると、1000個近くとれる。今回2品種、1本づつ植えている。ミニトマトは通常のトマトと同じ栄養素があるが、通常のトマトよりもそれぞれの栄養価が高いそうだ。リコピン、ベータカロテン、ビタミンC、ビタミンB1、E、リノール酸、カリウム、食物繊維と含まれている。取れすぎるのでヘタをとって洗い、冷蔵保存(冷凍保管も可)。冷やしたミニトマトを食す。甘い。マスカットのような甘味を持つ。

 
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 ナスビの収穫の際に赤ナスをとる。

 かぼちゃのおもちゃのように見えるのが赤ナス。ナスビは根が弱いので、大きく育てるには赤ナスの力を借りる。台木として赤ナスの種をナスビと同時に植えて、双方の育成中に赤ナスとナスビを入れ替える。これが刺し木。要は、上のほうにナスビが成り、下のほうに赤ナスができる。以後、赤ナスの力で、ナスビは大きく育つ。おもちゃのように見えるからしばらく観賞用に置いておくが捨てる。

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 もともと菜園は花オクラを育てトロロアオイ収穫のために作った。現在花オクラも育成しているが、力点がほぼ野菜に特化しつつある笑。

 自然はとてもおもしろい。勉強になる。


 それから最近はまっているのがはちみつ。

 疲れたときに即効なのが、非加熱の純粋はちみつ。肉体疲労は筋肉の乳化が原因であるから大脳が疲れを指示して筋肉の動きをセーブする。乳化は筋肉に栄養が欠乏しているときに生じる。酸素だけではない。はちみつは、筋肉にすみやかに栄養を届ける。

 非加熱の純粋はちみつは国産もしくは空輸の欧州産がよろしい。高価なものほどよい。加熱しているのや水あめを混ぜて誤魔化しているものは安い。これは栄養がないので避けること。中国産は船舶輸送だから、加熱している。加熱すると栄養価がすべて消える。

 
 はちみつの保管は常温でよいが、決して加熱してはいけない。栄養が全部消える。

 非加熱の純粋はちみつは、60種以上の栄養を含み(カルシウムや鉄など27種類のミネラルと、22種類のアミノ酸、80種類の酵素、ポリフェノールなど150を超える栄養成分を含む栄養豊富な食品)、消化も良く、疲れた体に即効性がある。リポビタンDなどの栄養ドリンクよりも実は体にとても優しい。巣蜜はおいしい。巣蜜はアーモンドなどのナッツ類よりも栄養価が高い。だが高価。巣蜜は、はちみつを絞る前の蜂の巣。綺麗な部分だけを切り取り、そのまま製品として販売する。蜂の巣は何ら加工していない自然のままであるから、栄養価はそのまま圧縮されており固形のため、はちみつを菓子として食べることができる。

 できれば巣蜜を携帯すること。できなければ、はちみつを入れたボトルを携帯し、少し舐める程度で脳や体が復活する。

 嘘ではなくホンマです。疲れ知らずの身体には非加熱のはちみつを。


 それからこんな光景を目の当たりにした。どうやら3人の警官がカルガモ親子を捕まえようとしているらしい。アミがあればいいね。箱だけじゃ足りない。

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 カルガモは餌場を求めて家族で引っ越しをする。ぞろぞろ子どもたちを連れて、住宅街に迷い込むこともあるだろう。

 カルガモ親子の行列を見つけたときの注意点をここで書いておく。

1、素手で触ってはいけない。 人間の匂いがつくと、親子関係でも絶縁関係になるからだ。

2、親鴨をアミで捕まえることが先決。それを箱に入れると、子どもたちがそれについてくる。まとめてアミですくって箱に入れてから、森林の水場で離すこと。

 ま、この警官たちがどうしたのか知らないけどね。警察官はカルガモ親子の保護もまた治安維持の目的になっているのでしょう。やれヘビが出た、アライグマが出た、イタチが出た、こんな奇妙な通報があってもこれらの動物の処理もまた業務の範囲内ということで。治安維持という名目上、街の便利屋さんになっている。ご苦労様です。。

 で、次に伏見稲荷大社 本宮祭 宵宮祭。本宮祭りは稲荷大神のご分霊を祀る全国の崇敬者が総本宮に参拝し、日々の御神恩に感謝する大祭。


 崇敬者や一般参賀の人々から奉納された赤ちょうちんがずらりと並ぶ。鳥居の数と同様に数える気にもならない。

 笑。

 おそらく山の頂上付近にある一の峰まで延々と続いているのかもしれないね。ちなみに提灯は家の外で使い、行灯(あんどん)は家の中で使う。言葉が違うだけ。
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 ここの鳥居の数を、せめて石段に架かっているものだけでも数えようとしたことがあるが、挫折したことがある。千本どころか数千あるでしょうね。

 京都在住の日本画を描いている人々などからの行灯絵がずらりと並ぶ。500枚近く奉納されているようだ。日本画はバックライトが当たると風情が出て面白みが増しますね。もちろん室内で使用する作品群。奉納だから外に飾っているが。ほとんどの見物人が気がつかないようだ。笑。 ちゃんと見てあげましょう。そこらじゅうに飾っていますから。


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 これが夜になると映えるんだろうね。 ま、奉納の行為自体が発展を目的としているが、奉納の段階で廃れ防止目的が見え見えですね。
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 午後6時から万灯する。すべての提灯や行灯が灯る。豪勢ですね。

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 5時からよさこいソーラン節が参道で披露されていた。

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 多くの観衆を集めていたが、あまりにゲリラ的すぎるような気もした。

 楽しい踊りにパフォーマンスはとても素晴らしかったと思う。

 その後、本殿内にて神事が実施される。

 もちろん撮影禁止。


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 そのあと、万灯神事が行われた。伏見稲荷の山に点在する数多くの石灯篭に火を灯しにゆく。グループで分かれて実施されるようだ。

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千本鳥居のなかに設置されている提灯の行列は圧巻である。

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 にしむら亭。映画・テレビ俳優西村和彦さんのご実家。

 
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 眼力さんはさらに山の中へ突き進む。峰方向とは異なる。

 ここまで来る人は少ない。だいぶ減る。

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 提灯行列に促されひたすら歩く。

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 にしむら亭から徒歩20分ほどのところに眼力さんがある。

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 ひととおり感謝の意を述べて、

 そばのみくじをひく。

 が、真っ暗だ。

 番号がロウソクの灯で判っても、何が書かれているのかわからない。

 だからしかたなくフラッシュを炊いた。

 真っ暗だからしかたがない。

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 二十一番か・・・・・・。悪くないね。

 
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ここらも提灯だらけだ。鳥居にまで掛かっているのがすごい。


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そのまま下に戻る。
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 点灯した提灯だらけだ。
 
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外では恒例の盆踊り。

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 賑やかだ。誰でも踊れるらしい。

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 盆踊りはもちろん夜に踊る。

 ちなみに夕方参道で披露されていた「よさこいソーラン踊り」の「よさこい」の意味について書いておく。


 「よさこい」は高知県の発祥。高知県といえば、「阿波踊り」が著名。これに対抗して生まれたのが「よさこい」。

 「よさこい」とは、「夜さ来い(よるさこい)」という高知弁から名付けられた踊り。

 「阿波踊り」も夜に踊るから、同じ頃に対抗意識をむきだしにしたのでしょう。ネーミングがとてもおもしろい。阿波踊りよりもハイテンションに自由な踊りが披露される。阿波踊りよりも自由度がはるかに高いので全国的にひろがり、日本各地で数多くのチームが結成されている。

 どのチームも非常に明るくハイテンション。元気いっぱいだ。

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 ・・・・・・チーム名を確認するのを忘れたから、どこのチームかわからんが、ともかくアクロバットは素晴らしいのひとことである。



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