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そういえば森元総理は、「日本は、天皇を中心とする神の国だ」と言っていた。僕には彼が何を言っているのか正直よくわからないが、天皇が神でなく人間であることは天皇自身が一番よく知っている。
前の憲法、大日本帝国憲法は、天皇に特殊な地位を与えている。
第一条 大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第三条 天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス
字句どおり読めば、軍隊も、国会も、裁判所も、内閣もすべては、天皇を助けるために機能している。つまり、絶対王政である。
ただ、これを字句どおりの絶対王政だと考えると、真実を見失う。天皇自身は、立憲君主制だと考えていた。戦前、美濃部達吉の天皇機関説は、昭和の軍国主義の時代を除けば国家公認の学説だった。
要するに、上にあげた第一条と第三条は字句どおり考えると矛盾するのだ。第一条どおりいろいろな判断を、天皇自身がすれば、中には間違いもある。だが第三条によれば、そのような間違いを天皇には問えないのである。つまり、天皇には間違えを犯さないという超人的能力が必要とされた。しかし現実にいるのは普通の人と変わらない人間天皇である。これを矛盾無く解釈すると、天皇は何もしないという結論しか出てこない。
天皇家の立場から考えると、古代のある時期を除けば政治的な権力も持たないというのは伝統的な立場だった。ヨーロッパの絶対君主を見てみると権力を持ちそれを行使して戦えばそれはいつか失われてしまう。中国の王朝も、いつかは滅びてきた。天皇家のように血筋を永らえることが重要だと考える家系では、権力を持たず、平和に生き延びていくことが大切なのだ。
明治革命の立役者はこう考えた。徳川幕府に変わる象徴は、天皇しかいない。天皇自身はお公家さんのトップだから政権運営能力は無いけれど、天皇を上に押し上げて、明治維新の実力者が実際の政権運営をする。これが、大日本帝国憲法の裏に隠された筋書きなのである。
天皇が、実権を持たないという意味においては、戦前の大日本帝国憲法も、戦後の日本国憲法もある意味で連続性がある。要するに象徴天皇制は、天皇の実態を明確にしただけなのである。
ただ、大日本帝国憲法には、大きな欠陥があった。裏に隠された意図を知らずに字面どおりに超人的天皇を持ち出す人々である。大日本帝国憲法においてはそこに書かれた超人的天皇はいないのである。つまり白紙の紙が張ってあるだけなのだが、そこには天皇を持ち出せばなんでもかけてしまうのである。昭和の軍国主義者たちはこれを利用した。
1936年の二・二六事件では、軍部の一部は天皇親政を求めて軍事クーデターを起こし内閣の大臣たちを殺害していった。彼らは、超人的天皇を要求したが、実際にはそこにはだれもいないことを知っていた。つまり、天皇を利用しただけだった。それに対して昭和天皇は「我が頼みとする大臣達を殺すとは我が首を真綿で締めるが如き行為だ、こんな奴等を赦してやる必要などない」といったそうだ。
靖国神社をめぐる、富田メモに現れた昭和天皇の意図と、それに対する反応を見ていると今も同じことが繰り返されていると思う。一部の政治家は天皇を尊敬しているといいつつ、人間天皇が何を言っているかには関心が無い。彼らが尊敬しているのは人間天皇ではないのだ。物言わぬ天皇に自分の理念を書き付けて、その理念を尊敬しているだけなのだ。そして天皇に対する批判を許さないといいつつ、実際には自分の理念を押し付けようとしているだけなのだ。
人間天皇は、平和の象徴なのだ。それが、戦後日本であり、戦後民主主義なのだが、それの何が問題なのだろう?誰か説明して頂戴。
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こんにちは!
古代の天皇様は、色々な部族によって、代わっているのですね
一つの血統ではないことですか
南北朝時代のときも怪しいですね
2008/11/8(土) 午前 10:32