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スタートレックの艦長

オバマの大統領就任を見ていたら「スタートレック」を思い出した。

宇宙船 エンタープライズ が地球を旅立ち、宇宙を冒険するテレビシリーズだが、その艦長は、最初はカーク、典型的な白人、そのあと、禿げた艦長、女性艦長、黒人艦長と続いた。

テレビ番組は、視聴者の欲望をまとめ、先取りして、映像として提供するサービスと考えれば、スタートレックの艦長は、人々が求めるリーダー像の投影なのだ。

オバマが大統領になったのは、ある意味で自然であり、クリントン女史がなっても、不思議はなかった。

この次に来るのは間違いなくヒスパニック系(メキシコ系)だろう。

ちなみに、黒人の全人口比の割合は10数パーセントで、少数派の中でも多くは無い。ヒスパニックは、このままのペースで行けば何十年後かには、白人を抜いて多数派になる。

知る限りではアジア系が、まだ艦長になっていないのは残念だ。(将来も、ならないと思う。)

無差別市街地爆撃

さっき、スクープと言う報道番組で真珠湾攻撃(1941年12月)に先立つ数ヶ月前に、アメリカによる日本の市街地の無差別爆撃計画があったという内容の番組を見た。

中国へのアメリカの義勇軍(Flying Tiger)が、中国から出撃し、日本市街を爆撃する計画で、当時のアメリカ合衆国大統領 ルーズベルトもその計画にサインしていたという。ただ計画自体は延期され、その計画実行前に真珠湾攻撃が起こった。

ただ、この内容は新しいものではなくアメリカではすでに報道されていたし、その計画に関する本もあるようだ。

無差別市街地爆撃に関しては、日本はその更に3年前、1938年から重慶を無差別爆撃していたという。ピカソの絵で有名なドイツ軍のスペイン ゲルニカへの市街爆撃は、1937年。

自分自身として、今まで知らないことを知ることが出来てよかったと思える。

この番組の意図としては、アメリカは真珠湾攻撃を事前通告の無い卑怯な攻撃だといっているが、そのことと矛盾する計画だということのようだ。

それはそうだし、アメリカが正義の国だとは思えもしない。

ただ、最近の田母神さんの倒錯した歴史観にみる日本の狂気も何とかならないかと思う。

三浦和義 裁判の終結

三浦和義裁判について、僕の知識はそれ程、多くない。

20年前だかのアメリカで起きた事件が、日本の裁判所に権限が移された経緯とか、最高裁までの裁判の経緯等、殆ど記憶に無い。ただ、知っているのは日本の三審制の元で無罪になったことぐらいだ。

最近、カリフォルニア州で、カリフォルニアで、重罪を犯しても南米などに逃亡して、そこでの裁判で軽い量刑を受ける例が増えてきたので、それをもう一度、カリフォルニアの裁判所で裁けるように法律を変えたのだそうだ。

三浦和義さんのケースも、そこで浮かんできたのだとゆう。

ただ、最初から、最後まで無理無体でアメリカと言う国は、本当に原理原則と言うことを理解しているのか疑問になってくる。

もともと、一事不再理の原則は、国家権力と個人が持つ権力の非対称性の認識から、出てきた原理ではないのか。

また、罪刑法定主義に基づけば、カリフォルニア州の法改正前の三浦ケースが浮上するのもおかしい。

日系のアメリカ人の元刑事が、執念で三浦事件を追ってきたとコメントしていたが、彼らが踏みにじったのは日本の司法権威そのものだ。

結局、三浦和義さんの自殺で、裁判は終結した。彼の弁護士は、死因は他殺だといっている。

これに関しても、「真実」が明るみに出ることは無いだろう。

まるで、B級のテレビドラマを見ているようだ。

今回の「事件」は、アメリカの持つ「ダブルスタンダード」の傾向と、そのアメリカに心まで捧げる日本の支配階層の一部の心が映し出されているように思える。

この間の経緯で、一番ふがいないのは、日本の裁判所だろう。自らが下した判決に、何の自信もなくアメリカの一州の、更に、日本で言えば県より少し小さいぐらいのロスアンゼルス郡の裁判所にされるがまま。

アメリカの一地方都市のロスアンゼルス市警や、ロスアンゼルス郡の裁判所のすべてが、法の原則を知っているわけもあるまいし。

アメリカでは、郡レベルの判事は選挙で選ばれるケースが多い。そして、選ばれた判事の中にはその理性を疑うような人も含まれている。日本の裁判所の判事はそれより更にレベルが低いのだろうか?

それとも日本の裁判官、判事の皆さんは、国権を担う気概など最初からないのだろうか?

この辺の騒ぎの最中に、横尾和子と言う最高裁判事が依願退官したそうだ。彼女は、元厚生官僚で、元社会保険庁長官だった。ああこんな人が最高裁判事なら、気概などないのだろうと妙に感心してしまった。

少し前、ビートたけしの番組で「独裁者で何が悪い」というのをやっていた。

彼の歴史感覚は、ある意味で当たっている。

第一次大戦後のドイツ。

その当時、最も民主主義的と言われたワイマール憲法のもと、ドイツ国民は、英明なリーダーを求めた。政治的、経済的な混乱が、人々を英雄願望へと駆り立てた。

そしてドイツ国民は、「民主的な手続き」を経て、彼らの英明なリーダーを得た。

そしてそのリーダーはおごそかに民主主義の終焉を宣言し、ドイツ国民とヨーロッパを奈落の底に導いた。

彼の名は、ヒットラー。

ビートたけしの番組の制作者は、日本の現在の政治経済状況が、その当時のドイツの状況と似ているという発想で、その番組を作ったと思われる。

「独裁者で何が悪い」という問いに答えるならば、「独裁者は、彼または彼女が、独裁者であり続けようとするから悪い」という答えになるだろう。

独裁者が、どのように善行を行ったようにふるまっても、いちばん最初に求めるものは、自己の地位の保全だ。

かつて、チャーチルはこう言ったそうだ。「民主主義は悪い愚かなシステムだが、ほかにいいシステムがないから仕方ない。」ということを言ったそうだ。

民主主義の本質は、権力者の交代をスムーズに行うための手続きなのだ。

しかし、現在の日本では、その民主主義が機能不全に陥っている。

政治家は世襲制度によって交代がなされず、官僚は、政治家でないという理由で悪事を働いても、交代もされない。

日本国憲法第15条 第一項 
公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。

われら、日本国民は民主主義のシステムを持っている。それを機能させるためには、国民の不断の努力しかない。

そして、民主主義を機能させることによってしか独裁者の到来を阻止できないと思う。

ついさっき、日本の民主主義に一条の光が見出せるニュースがあった。。

「失言」の中山前国交相が、地元の選挙民の批判で政界引退へと追いやられたという。

明細は、わからないが、彼が本当に確信をもって発言しているのなら、今すぐ議員辞職し、自民党の公認が得られるかどうかにかかわらず、次の選挙に立候補すればいいではないか。

権力者のサポートがなければ、発言できないような「確信」など、屁でもない。

大臣辞職の重さ

国土交通省の現職大臣が「勇ましい」ことを言っているそうだ。

そして、自分は辞職してもいいということを言っているそうだ。

自分が小さい頃、そういうことを言っている政治家は、彼の(彼女の)職をかけて発言していて、勇気があると思っていた。

ただ、裏側を考えると馬鹿らしくなった。

辞職するといっても、それは大臣職であって国会議員ではないのだ。政治家にとって元大臣という肩書は重要なものだ。

しかし一旦、大臣になれば元大臣という肩書はすでに手に入れたことになる。

いま、国土交通省の大臣であることはそれほどメリットはない。高速道路の建設問題で、官僚と納税者の板挟みになるのは見えている。そうすると、早くやめたほうがいい。

なので、「勇敢」な発言をして、物議をかもしだし、責任を取る様な顔をしてさっさとやめたほうが得になるということになる。

過去にこんな「勇敢」な政治家は沢山いた。

この間、辞職した福田さんは「勇敢」にも総理大臣を辞めてしまった。

ただ、日本国民は、もうこんな「勇敢」な政治家はいらない。これらの政治家は単に無責任なだけだ。

早く、「大臣辞職する場合は、国会議員も辞職する。」という法律を作るべきだ。

日本の文化は恥の文化だというが、こんな「勇敢」で恥知らずの政治家たちを、日本国民は許すべきでないと思う。

彼らに、職を全うする責任感を、期待するべきでない。


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