過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

隣人

イギリスに行ったとき、スペイン人の知り合いが出来た。そのスペイン人が、彼の知り合いのフランス人のことを悪く言うので、フランスは、スペインと国境を接しているくらいだから仲がいいのだろうと尋ねた。スペイン人の彼は、隣人だから仲が悪いということはあるだろうと答えた。

そういえば、隣人とは軒が接しているがゆえに利害が反することが多く、むしろ隣人と仲がいいというのは稀ではないのか?

考えて見れば、フランスのナポレオンは、スペインを侵略して多くのスペイン人を殺した。ただ、仲がたとえ悪くても喧嘩しないぐらい付き合わなければいけないのも隣人だ。

日本は、文字どおり島国で、隣国の定義は正確にはできないが、韓国や中国は、地理的には隣国だろう。彼らと少なくとも隣人の付き合いができなければ、日本人は社会人として失格だろう。

人工頭脳

人工頭脳という言葉はいつ作られたのだろうか。

脳の働きを人工物で、置き換える試みは長い間人類の夢である。この分野では、チューリングテストが有名である。カーテンの奥にあるものと対話し、その結果、そのものが人と区別がつかなければそのものが知能を持つと認めようというものである。コンピュータの原理的な論理を構築したアラン・チューリングの名前からとってある。

手塚治の鉄腕アトムでは、2003年には小型の人型ロボットアトムが完成している。「2001年宇宙の旅」では、HALというコンピュータが感情以外はほとんど人間の域に達していた。また、数十年前にイライザという心理学用に開発されたプログラムが、非常に単純な仕組みながら、あたかも相手が心理カウンセラーのような錯覚に陥ることに成功している。多くの人が、人工知能の実現は近いと思っていた。

だが、現実には2006年の現在でも、ロボットの知能は人間の3歳以下しかないといわれている。人工知能の技術が遅れているわけではない。以前、カーネギーメロン大学で、コンピュータサイエンスの授業を受けたことがある。全米のコンピュータサイエンスで、MITと並ぶトップの大学である。人工知能の一端に触れたが、それは天才の世界だと感じた。人工知能技術が未熟なのではなく脳がすごすぎるのだ。この、小さなたんぱく質の塊の秘密を人類が解き明かすのははるか未来になるだろう。

開く トラックバック(1)

タブー

近親相姦のタブーは、多くの社会に見られる。

近親相姦の場合は子供に畸形が出やすいからである。なぜ畸形が出やすいのかの理由を最近読んだ。人間の遺伝子は、普通に考えるより多くの悪い部分を含んでいる。ただその殆どは、劣勢のため、優勢な遺伝子と掛け合わされた場合はその殆どは、発現しない。近親相姦は、両方の遺伝子が殆ど同じのため、普通なら劣勢で発現しない部分が、重なり合って発現してしまう。ゆえに、近親相姦の場合は畸形が生まれやすいというものである。

まことに合理的な説明で、目からうろこが落ちるようだった。このようなことを、生物学を知らない、メンデルよりもはるか昔から人類は経験によって知っていたとしたら、驚くべきことである。ほかの生物も同じことが言えるはずだが、生物の場合は、本能的に避けているのだろうか。

ただ、SFの世界で、ほかの人類が殆ど死に絶えた場合は、種の保存のために近親相姦もやむをえないだろう。

この場合、地理的に隔絶された生物の進化を考えると一つの参考になる。たとえば、オーストラリアには、有袋類という独特な生物がいる。つまり、狭い遺伝子プールに閉じ込められた場合、それ自体、望ましいことではないが、種が負の圧力を乗り越えて独特な進化の方向に急速に向かうことがありえるということである。ダーウィンが、ガラパゴス諸島で進化を考えついたのも、ガラパゴス諸島が、閉じた遺伝子プールであったからである。

異種で交配した場合、子供が生まれることはない。つまり、交配する場合、あまりかけ離れた遺伝子では、そもそも子供はできず、まったく同じ遺伝子でも、都合が悪いのである。

自分にないものを異性に求めるのは、生物学的に自然な行為なのだ。

もし、核戦争のようなことが起きて、ほんの少数の人間が生き残った場合は、近親相姦のタブーがあっても、種の保存を優先するべきだということになる。

利子

お金を貸して、利子を取ることは、多くの社会で禁止されていた。

中世キリスト教では、利子を取ることはどんなに少なくても強欲とされ禁止されていた。そのため、ユダヤ教徒が、その役目を果たし銀行業を営んだ。

現代イスラム教も、お金を貸して利子を取ることを禁止している。そのため、お金を銀行に預けても、利子を得ることができず、イスラム銀行と呼ばれる複雑なシステムでその機能を代用している。

日本の場合、網野善彦の「日本の歴史をみなおす」に、利息の起源の記述がある。それは、稲作に起源を持ち、収穫はまず神様に供えられる。お供えされた稲は、種籾として貸し出され、その種で得た収穫は、貸し出されたものと同量プラス利稲とともに返される。ここで見られるのは、一つには利子率が、その時代の収穫率に関連があるということである。もう一つには、稲は、いったん神仏のものになり、その神仏のものを貸し出す形にしたことである。

神仏にいったん預けることによって不労所得を正当化したのだろうか?

神仏なき現代日本において、利子はどのように正当化されるのだろうか?ただ、現代の高利貸しの強欲と、暴力的な取立てには神仏の罰を期待したい。

開く トラックバック(1)

全1ページ

[1]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事