|
ユダの書が話題になっているので、整理してみた。
誤解があるのは、これでキリストの真実がひとつ明らかになったというものである。ユダの書はキリストの死後100年ぐらいに、ほかの現存する4つ福音書と同じ時期にかかれたものであるとされる。ほかにも何十の福音書が書かれていたが、現存するのはユダの書を含めると5つになる。それらの福音書は名前の取られた使徒によって書かれたものではない。ヨハネの福音書はヨハネ(John)が書いたわけではない。よって、ユダの書が発見されたからといってユダによって語られたキリストというひとの何かが明らかになったわけではない。
明らかになったのは、ユダの書を形成したキリスト教の一派が存在したということである。たぶんこの一派は主流になれなかった人たちで、それゆえ、いままで彼らの書が、発見されなかったのである。
わかったことは、太宰治が「駆け込み訴え」書いたレベルのことである。要するに、ユダがいなければ、キリストはいなかったということである。死を乗り越えるキリストの復活を達成するためには、ユダの裏切りは必要不可欠なものであり、それゆえ、ユダは使徒の中でも別格に重要な人なのだ。神が、人に示す愛を理解させるのに、ユダは必要不可欠な要素であり、それがなければ、キリスト教の信仰はない。これほど、単純で明確な論理は太宰治でなくても到達できるものだ。この少数の人たちが忘れ去られ、2000年後の今になって、やっと掘り起こされたことこそが奇跡なのだ。その一派が唱えたことは、多分、ユダこそ普通の人なのだと。タブーが真実を覆い隠し、その外にいる子供が、王様は、裸だと気がついたのかもしれない。
|