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善と悪 (1)

ユダの書が話題になっているので、整理してみた。

誤解があるのは、これでキリストの真実がひとつ明らかになったというものである。ユダの書はキリストの死後100年ぐらいに、ほかの現存する4つ福音書と同じ時期にかかれたものであるとされる。ほかにも何十の福音書が書かれていたが、現存するのはユダの書を含めると5つになる。それらの福音書は名前の取られた使徒によって書かれたものではない。ヨハネの福音書はヨハネ(John)が書いたわけではない。よって、ユダの書が発見されたからといってユダによって語られたキリストというひとの何かが明らかになったわけではない。

明らかになったのは、ユダの書を形成したキリスト教の一派が存在したということである。たぶんこの一派は主流になれなかった人たちで、それゆえ、いままで彼らの書が、発見されなかったのである。

わかったことは、太宰治が「駆け込み訴え」書いたレベルのことである。要するに、ユダがいなければ、キリストはいなかったということである。死を乗り越えるキリストの復活を達成するためには、ユダの裏切りは必要不可欠なものであり、それゆえ、ユダは使徒の中でも別格に重要な人なのだ。神が、人に示す愛を理解させるのに、ユダは必要不可欠な要素であり、それがなければ、キリスト教の信仰はない。これほど、単純で明確な論理は太宰治でなくても到達できるものだ。この少数の人たちが忘れ去られ、2000年後の今になって、やっと掘り起こされたことこそが奇跡なのだ。その一派が唱えたことは、多分、ユダこそ普通の人なのだと。タブーが真実を覆い隠し、その外にいる子供が、王様は、裸だと気がついたのかもしれない。

利子

お金を貸して、利子を取ることは、多くの社会で禁止されていた。

中世キリスト教では、利子を取ることはどんなに少なくても強欲とされ禁止されていた。そのため、ユダヤ教徒が、その役目を果たし銀行業を営んだ。

現代イスラム教も、お金を貸して利子を取ることを禁止している。そのため、お金を銀行に預けても、利子を得ることができず、イスラム銀行と呼ばれる複雑なシステムでその機能を代用している。

日本の場合、網野善彦の「日本の歴史をみなおす」に、利息の起源の記述がある。それは、稲作に起源を持ち、収穫はまず神様に供えられる。お供えされた稲は、種籾として貸し出され、その種で得た収穫は、貸し出されたものと同量プラス利稲とともに返される。ここで見られるのは、一つには利子率が、その時代の収穫率に関連があるということである。もう一つには、稲は、いったん神仏のものになり、その神仏のものを貸し出す形にしたことである。

神仏にいったん預けることによって不労所得を正当化したのだろうか?

神仏なき現代日本において、利子はどのように正当化されるのだろうか?ただ、現代の高利貸しの強欲と、暴力的な取立てには神仏の罰を期待したい。

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鄭和

鄭和は、宦官だった。

宦官とは去勢された男で、今で言うニューハーフか、というとそうではない。ニューハーフは、性同一障害のため、女性の心を持ちながら男性の体を持ち、その修正として手術を受ける場合が多い。宦官の場合は、鄭和がそうであったように、強制的に男性器を切り取られる場合が多い。史記を書いた司馬遷は、皇帝に逆らった友人を弁護したため、宦官にさせられた。男性器を切られるというのは男には想像しただけでも苦痛である。

清朝末期の宦官の写真を見たことがあるが、男性的な特徴がなく細長い印象の人であった。

司馬遷は、宦官にされた屈辱に耐え、史記を完成することに専念し偉業を達成した。鄭和は、どのような気持ちで冒険に旅立ったのだろうか。鄭和の艦隊が、貿易を優先し、平和的な使節として活躍したことは、鄭和が宦官であったことと無縁ではないのかもしれない。彼らは、アフリカまで旅立ち、今でもそのアフリカの村には、中国人を祖先とする人々がいるという。当然のことながら、彼らは鄭和の子孫ではない。

中国政府は、鄭和を中国の平和的な国際貿易者の象徴として、賞賛しシンボル化しているというが、同時に、彼が時の政府により人工的に去勢されて使役された官僚だったと言うことは、皮肉でもある

日本の非常識

人は、常識に縛られて生きている。この常識は、多くの人たちが共有している知識であっても、必ずしも真実ではない。

今の日本人の常識は、高々、数百年のものである。千年の単位で考えれば、何の正当性もないことをあたかも絶対的な真実のように日本人は信じ込み、袋小路に陥っている。日本は農耕民族で村社会なのだという常識から、様々な社会現象を理解し納得しようとしている。常識を信じることによって、彼らは、思考や行動まで縛られていることに気がついていない。

日本人は、単一民族であるという常識から、移民に対する政策が議論される。しかし、素直に日本人を見ればこれほど多様性を持った顔を持つ国民は、それほどいない。どう考えても、南ポリネシア、モンゴル、中国、朝鮮、東南アジア等々の混血が日本人なのだ。決して、神話にあるようなある一家族を祖先に持つ民族ではない。そんなことは、DNAを分析するまでもないことに思われる。

2千年をさかのぼれば、そこには、日本も朝鮮も区別などなかったはずだ。

網野善彦は、偉大な歴史家であった。彼は日本人単一民族農耕民史観に、実証を持って立ち向かった。歴史と向き合うことは、未来を創造することだということを教えてくれた。日本の常識を説く前に、その常識を見直すことが必要だろう。

サムライ・ニッポン

最近、日本人の武士道精神を見習えということを聞くことが多くなってきた。その場合の殆どは質実剛健、勤勉な特性のことを指している。

ただ、英語で言うサムライ(SAMURAI)は、必ずしもそうではない。前者(武士道)のものを個人的な規範とするならば、後者(SAMURAI)のものは、多分に集団的規範を含んでいることが多い。

サムライとは本来的には戦闘集団なので、普段は質素に暮らしていて、いざ主君の一大事となると駆けつけ集団的な軍事行動に参加するのである。(山之内一豊を、考えるとわかりやすい。)いったん軍事行動になれば、個人の裁量で行動することは殆ど不可能で、命令どおり戦うしかない。英語でいうサムライは、この集団的性格をさすことが多い。つまり日本人は個性の確立が未発達で、アリのように集団で行動し緑の地を食べつくすようなイメージである。

サムライは、職業的軍事集団なので、彼らの家族の安定的収入のために戦うのである。それ自体当たり前のことで、道徳的な意味は殆どない。

同じサムライでもいろんな種類があるようだ。たとえば、サムライの見本のような宮本武蔵はどうも集団的軍事行動が苦手なようで島原の乱の鎮圧に参加したが途中でかかとを怪我して、結局、何の成果も出さなかったそうだ。東海一の弓取りといわれた徳川家康は、剣の修行は苦手で、息子が剣の修行をすると嘆いていたそうだ。なぜなら、いざとなったら家来が守ってくれるので、いざというとき一人でしかできないこと、水練を奨励したそうである。道理で、彼の逃げ足は天下一品で、驚くほどの合理主義である。彼が天下を取ったのは偶然だけではない。

徳川300年の太平の世で、サムライが戦闘集団から支配集団に変質してゆき、実践的行動様式が、武士道として形式化されていった。集団的軍事行動で、殆ど成果を挙げなかった宮本武蔵がサムライの代表のように語られるのは皮肉としか言いようがない。

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