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(2007年9月「第3回 鑑真和上・栄叡大師のおこころ」 正眼短期大学での
大明寺住 職・能修方丈の講話より)
(右から能修方丈・山川宗玄老師・松浦俊海老師)
(大明寺住職・能修方丈の講話)
(唐招提寺住職・松浦俊海長老の講話)
(正眼寺住職・山川宗玄老師の講話)
「無為而為 ( ぶいにしてなす )」と鑑真精神
「無為而為」という言葉を耳にされた方は多いと思います。この言葉は、中国の道教の創始者である老子が書かれたといわれる本「道徳経」の中で「無為而為、無為の治、無言の教え」という考えを繰り返し説かれているからです。しかし、その意味は難しく、一般的には難解で、考えていても結局時間の無駄遣いになるかもしれません。
実はこの「無為而為」という言葉を理解するには、その無為の意味が分からなければなりません。
老子のいう無為は字面のとおり、何もしないということではありません。
例えばコップに入っている濁った水をきれいにするためにはどうすればよいのでしょう。
棒で混ぜたらもっと汚れがひどくなります。そこで、コップを動かすことなく置いたままにしておいて、何もせず、自然に不純物がコップの底に沈んでいくのを待ちます。
これを無為といいます。
道教では、一方「無不為」という思想も提唱されています。「無為」とは何も外力を加えないで、自然のままで結果に発展していくことですが、「無不為」とは、なんとか外力を加えないと結果に至らないことを完成させるために、何でもするわけです。だから道教のいう無為とは一種の手段であり、境界でもあります。手段という観点からいうと無為とは無不為を手段としています。
例えば、退くことをもって進み、守ることをもって攻撃し、白を知って黒を知ります。境界という観点からいうと、自然のままの規律に沿って発展し、水の如く静に退くこともなければ進むこともない、守ることもなければ攻撃することもなく、白もなく黒もない。無為無不為だから、手段も境界であり、境界も手段であります。
偶然ではないかと思いますが、佛教においても「無為」という思想が唱えられています。
だが、その思想の神髄は、道教の無為思想より、はるかに深いと思われます。佛教における「無為」とは「無造作」という意味で、縁によってできた出来事ではなく、縁を離れなければなりません。
いわいる「不生不滅」です。
この意味を表わす「涅槃 ( ねはん )」という言葉があります。
絶対の教えを佛教では「涅槃」といいます。
無量寿経に「無為涅槃」とよく説かれます。
四十二章経にも「無為法を解くことは沙門」(無為法を理解することができてこそ出家者である)といいます。
佛教でいう「無為而為」とは無我の考えからくるもので、仏陀の教えは他の宗教とどういう違いがあるのかが分かってきます。
佛教の全体的な教えは、この無我を明らかにしようとするものです。
古代インドで仏教者はほかの宗教者から虚無主義者と言われてきましたし、仏教者もほかの宗教者を外道と言いました。
彼らは無我の境地に至っていないからです。
佛教における「無為而為」とは「何の異変もなく一番普通の状態で物事に対応すること」
です。
これは仏さまの真実の教えです。
人の存在というのは、色法と心法との二つの部分に分けられます。つまり物質と精神のことです。
生存要素も二種類に分けることができます。
清浄的と汚染的、善と悪、涅槃に良いことと涅槃に良くないこと、人を解脱させる環境と人を輪廻させる環境などがあります。
仏さまが生死輪廻から解脱への道を追い求めている過程の中で諸法の実相を見つけました。
しかも無我という教えは佛教教義の根本的な教えだと仏さまが身をもって証明していただきました。
この世に存在するすべてのものは、互いに関係をもっており、独立して存在するものはなく、永遠に不滅なるものはない、という教えから解脱への道に赴くことを可能にしました。
一切のものは佛になれるということです。
仏の道「無我」「無為而為」を実践し、解脱とは天国での話ではなく日常生活の中にあるのだということを身をもって教えてくださったのが鑑真和上の渡日です。我を捨てて衆生のために日本へ仏法を伝えようという強い意志で修業実践されたのです。
鑑真和上は、5回の失敗にも初心を曲げることなく、盲目になっても12年かけて日本の地を踏むことができました。
鑑真和上は、仏法を教えるだけではなく、当時世界の最高水準といわれた唐の文化を、日本の衆生に伝えたのです。それは医学・薬学・書道・建築・彫刻・佛教美術など様々な分野に亘っています。このことは正に「無為而為」の実践ではないでしょうか。
西暦745年揚州大明寺の住職であった鑑真和上は55才でしたが、揚子江一帯から中国南部では庶民にまで知られる名高い高僧でした。二人の日本人僧、栄叡、普照が大明寺へ来て「日本へ渡り佛教の戒律をお伝えください」と鑑真和上にお願いをされましたところ、鑑真和上が弟子達に「誰か行く者はいないか?」と尋ねましたが、誰も返事をしませんでした。
鑑真和上は、その時
「法のためには命など惜しくはない、誰も行かないのなら私が行く。」
と、仏さまに誓いました。当時は外国へ行くことは禁じられていましたので、船を造ることから色々な物資の調達に苦労をされました。
5回の失敗の中には、ある僧侶の密告によって投獄されたこともありました。
2回目の渡航は、揚子江を下って海へ入ろうとしたとたんに台風に遭い、船もろとも全ての物資を失い命だけ助かったのです。
最もひどかったのは第5回の渡航で、海上で台風に遭い数ヶ月間漂流し海南島まで流され、海南島の官吏や有力者に助けられ、海南島から揚州までの数千キロの道を歩いて帰っていったのです。
この間に、日本僧・栄叡と弟子の祥彦を亡くし鑑真和上自身も失明するという最悪の状態になりましたが、それでも『日本へ行く』という志を曲げず、資金を集め船や物資の調達をし、66才の高齢で6回目に日本の地を踏むことができたのです。
現代に生きている私たちには、1254年も前に66才の高齢であれだけ多くの艱難辛苦をなめながら、命がけで日本へ渡ろうとしたことが信じられません。
その原動力は何だったのでしょうか・・・・・・・・・・・・・・。
それは、佛の教えを広めることと、日本の衆生を救い、文化を伝えること以外は頭の中になかったのではないでしょうか。
鑑真和上は「生を捨て、死を忘れ、佛の加護を信じ、目的に向かって突き進んだ」のです。
それが無為而為の鑑真精神なのです。
この鑑真精神が日中友好の種を播き、日中友好の基礎を作ってくださったのです。この精神は、きっと歴史の空間と時間という壁を越えて世世代々の両国人民に尊敬され続けると信じます。
唐招提寺にある灯籠と同じ灯籠が揚州大明寺にもあります。友好の灯りをいつまでも灯し続けるのが私の使命であると考えています。
日中両国の交流と友誼の過程で、特に両国の文化交流の面において佛教は大きな役割を果たしたのです。
なかでも鑑真和上の果たした役割は大きく、我々に立派なお手本を示してくださいました。過去を顧みて未来を展望し、地域、国家、人種、民族を超えて、この「無為而為」という鑑真精神のもとで、困難な問題でも克服できるのではないでしょうか。
私は、この鑑真精神を継承し実践すべきだと考えています。
有為:《(梵)sa sk taの訳。作られたものの意》仏語。因縁によって起こる現象。生滅する現象世界の一切の事物。
無為:《(梵)asa sk taの訳》仏語。人為的につくられたものでないもの。因果の関係を離れ、生滅変化しない永遠絶対の真実。真理。
講演会前に、薬草苑「神薬才花苑」を訪問されました。
その時の様子です。
(自然の中でリラックスされている能修方丈)
(右から仁如師、能修方丈、能度師)
(山の仲間たちとの集合写真)
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