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日本人は、何か一つの物にわーっと群がつて、喰ひ盡しては別の物に移つてまた食ひ盡して……と云ふのが大好きな國民である。兔に角「一齋に動く」事を好むから、少數派の立場がない。一方、「しやぶり盡して捨てる」のを惡い事と思はないから、多數派がした事は結局後に何も殘さない。
アメリカ人は少數派の人間の立場を尊重する。けれどもそれは結局多數派が安定多數で餘裕でゐられるからだ。自由の國アメリカの國民は大體自由の鬪士であり、自由を守る爲には戰はねばならない事もある、と信じてゐる。さう云ふ多數派がゐる中で反戰活動家が一人二人ゐたところで「放つておけ」と云ふ話になるのは當り前。餘裕があるのだ。
アメリカの二大政黨制は、絶對的な價値觀の對立に據るのでなく、自由を認める價値觀で完全に共通する國民が、自由の實現の方法で對立を生じてゐるだけだから、根本の部分で一貫してゐるので、問題なく成立してゐるものである。
日本は、歴史的に思想の混亂が非道く、國民の間で價値觀が共有されてゐない。だから二大政黨制になると、あつちの政黨とこつちの政黨とで完全に考へ方が對立し、政權が交替する度に國家として一貫しない行動を取る事になる。多數派が相對的な多數に過ぎないから少數派に對する憎惡も激しくなる。
國家の中でのみならず一つの政黨の中ですら思想的な對立が生じ得る。だから思想の事は放つておいて權力奪取だけの爲に一つに纏まつて政黨を作るなんて事も起り得る。が、さうなると、政黨の中での權力爭ひも發生し、政治的に目茶苦茶になる。
自民の政治を、外部から民主が非難してゐるが、別に外部から非難すべき理由は――殊に日本では全くなく、一つの政黨の中で爭つてゐても全くをかしくはない。實際、以前はさうした爭ひは自民党の内部に留まつてゐた。派閥抗爭は有名だつたが、自民が分裂した爲に党と党との對立・競爭に「變化」したやうに見えてゐる。それだけの話だ。
今の自民と民主は、嘗ての自民の派閥が政黨に名を變へただけに過ぎない。やつてゐる事は前と全く變らない。


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