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谷崎潤一郎のニュースがこのところ續いてゐる……

谷崎潤一郎は“子煩悩” 一人娘への手紙発見 NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150404/k10010038081000.html

「子ども嫌い」谷崎潤一郎、実は子煩悩 娘への書簡発見:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASH435QJNH43UCLV00W.html

少々ショックだつたのは「立つち」なる言葉が使はれてゐた事。

「もう立つちやあんよが出来る時分と楽しみに致し居(お)り候」(44年11月16日)

最近の言葉かと思つてゐたが結構古くからあるらしい。
谷崎潤一郎が作つてゐた「創作ノート」の、今まで存在が知られてゐなかつた複寫が見附かつた、と云ふニュース。

谷崎潤一郎「細雪」などの創作ノート見つかる NHKニュース
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150402/k10010036351000.html

本物は戰爭で燒けてしまつたが、寫眞に撮られた複製が殘つてゐて、長らく眠つてゐたさうな。
谷崎が個人的に作つた複寫らしい。
印畫紙が殘つてゐた、と云ふのだが、フィルムでは殘つてゐない、つて事だらう。

以下は谷崎とは別の話――

出版社では昔、紙燒きの原稿(寫眞)を製版するのに、一度、撮影してフィルムにしてゐた事があつて、元の寫眞が失はれてゐても、さう云ふフィルムが資料室などに保存されてゐる事がある。
昭和40年代くらゐの、モノクロで寫眞をいつぱい載せてゐたやうな本なら、まとまつてネガが見附かる可能性がある。出版社は意外と原稿を粗末に扱ひがちだから、オリジナルの寫眞すらも破毀してしまつてゐる場合があるが、ネガが殘つてゐれば貴重な寫眞が發掘出來るかも知れない(クオリティはオリジナルよりも落ちる)。

一方、オリジナルのフィルムは失はれてゐるが、紙燒きが殘つてゐる、なんて事もある。

調べてみるとベタ燒きにしか殘つてゐない寫眞、なんてものもたまにあつて哀しくなる。

谷崎のノートの複製だが、ベタ燒きの類なのかな。


海外の寫眞家のおうちが洪水に遭つて、生涯に撮つたフィルムが全部やられてしまつた――けれども、日本の出版社が借りたまま戻さなかつた紙燒きが大量に殘つてゐて、出版社が久々に聯絡したら寫眞家さんが大喜びした、つて事がある。權利關係の問題でふつーは紙燒きでも返すものは返すのだが、返さないでおいて結果的には良かつたケースである。
(報道寫眞等、寫眞家や權利會社はオリジナルのフィルムを手もとに保存しておき、紙燒きなりデュープしたフィルムなりを出版社に渡す。出版社は本を作つたら、貰つた紙燒きやフィルムは返却する――さう云ふ契約なのだが、いろいろな事情で編緝部が寫眞を返さないで段ボール箱につつこんだままにしてゐたりする。後の時代の編緝者がそれらを不用意に再利用したりすると、權利者が見附けて、違約金を課したり裁判沙汰にしたりする。今はデジタルデータのやりとりになり、使用後はデータを破毀、つて契約になつてゐる事が多い)

周作人の書簡発見

魯迅の弟・周作人宛に出された日本人作家・評論家の書簡が見附かつたとの事。読売新聞によれば福田恆存からの書簡も含まれる模樣。

周作人の書簡発見 秋田雨雀ら350人と交流
http://www.mutusinpou.co.jp/news/2015/03/35668.html

東京新聞:日中つなぐ文豪の書簡 魯迅の弟へ、谷崎潤一郎ら1400通:社会(TOKYO Web)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2015032602000276.html

作家・周作人へ 藤村や谷崎ら文豪の手紙1500点発見:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASH3S635WH3SUCLV00T.html

顧 偉良 | 教員紹介 | 学校法人弘前学院 弘前学院大学
http://www.hirogaku-u.ac.jp/faculty/graduate/bungaku/teacher/gu.html
※日本の各界人士による周作人あての書簡人名リスト(360名)

阿Q正傳

我が親愛なるKirokuroくんが難解をもつて知られる阿Q正傳を「讀んだ」「讀んだ」と嬉しさうに言つてゐたのは既に數年前の事である。Kirokuroくんによれば阿Qから野嵜を想起したとの事であるが、それならば僕は阿Qに縁があるのである。しばらく忘れてゐたが、さう言へば……と手持ちの阿Q正傳の在處を思ひ出したので、手に取つてみた。

僕は中學生の時に讀書感想文の指定圖書だつたので當時旺文社文庫で讀んだのである。それ以來だから數十年ぶりの再讀と云ふ事になる。旺文社文庫は註釋が豐富で解説も懇切叮嚀であるのが特色の文庫だつた。學習參考書・受驗指導で定評のあつた旺文社が出した文庫だから、生徒向けに特化した作りになつてゐたのである。ロマン・ロランが阿Q正傳を絶讃し、阿Qの死に泣いたさうである。名前も書けない阿Qが書類に◯をつけて罪を認めた事にさせられるのだから、まあ、氣の毒な話である。

高杉一郎が文章を寄せてゐて、解説と同じやうに、阿Q正傳が支那人の奴隷根性を描いたものである事を指摘してゐた。解説によれば、發表當時、多くの讀者が自分を中傷されたものと思ひ込んで怒つたさうである。高杉氏は、マルクス主義者が盛に轉向し、保守政治家に從つて行く樣を語つてゐた。日本にも奴隷根性を持つた人間が澤山ゐた――「阿Q時代」と云ふ言ひ方を高杉氏は用ゐてゐる。高杉氏はシベリア抑留を體驗し、その時の樣子を綴つた『極光のかげに』で知られる。シベリア抑留の間にも、發表後にも、隨分いやな目に遭つたさうである。

僕自身は、なるほどなあ、「阿Qとは野嵜の事を言つてゐるのだ」と考へても、をかしくはないなあ、と思つた。

しかしながら、阿Q正傳を讀む際には氣をつけねばならない事がある。作者・魯迅は、支那のゴオゴリと呼ばれ、マルクス主義と淺からぬ因縁を持つてゐる。石川啄木が社會主義と深いかかはりを持ちながら人々を描寫したやうに、魯迅もまたマルクス主義と強い結び附きを持ちながら人々を描寫した。ここに渠等の文學の「難しさ」がある。中學生當時、僕は阿Q正傳を理解しなかつた。見た目の印象で「理解」する事が可能であるから、却つてマルクス主義文藝は解り難い。Kirokuroくんがそこまで理解して、僕を野Qと呼んで呉れてゐるのなら、見事である。阿Qを揄ふ周圍の人々とKirokuroくんが「そつくり」でも、僕は自分の印象をそのまま受容れるわけには行かない。阿Qを輕蔑する旦那衆にも、泣いてゐる人がゐるのである。阿Qを揄ふ人々の側にも、奴隷根性やら何やらの缺點は依然として存在してゐた。のみならず、無知の人をとつつかまへて、書類に◯を書かせて、罪人にする人もゐた。魯迅が如何なる意圖でこの小説を書いたか。「寫生」でないのは言ふまでもないが、單なる「社會諷刺」でもないのである。政治的な寓話として捉へておくのが良いだらう。さうなると――實はこの小説、僕の興味を外れてくるところがあるのである。

魯迅は阿Q正傳を氣樂に書き始めたが、次第に眞面目になつたさうである。一方、結末は無理やりにつけたものであるらしい。

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野嵜に粘着して嫌がらせをしてゐる「義」が再び活動を活發化させてゐる模樣。今度はTwitterに「@nozakitakehide死ね」と名乘るアカウントを作り、ぼっとにツイートさせてゐる。

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