2013/11/30(土) 午後 8:18
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のざわさん。ブログ訪問有難うございます。私のブログの「話のタネ」に色々な面白い事や役に立つことなどを週1回のペースで素載せていますので、興味のある話題を選んで読み、コメントを頂ければ、嬉しいです。では、秋が深まって寒くなりますので、お身体に気を付けて過ごして下さい。クンチャンより
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こんにちは、ゲストさん
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2013/11/30(土) 午後 8:18
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のざわさん。ブログ訪問有難うございます。私のブログの「話のタネ」に色々な面白い事や役に立つことなどを週1回のペースで素載せていますので、興味のある話題を選んで読み、コメントを頂ければ、嬉しいです。では、秋が深まって寒くなりますので、お身体に気を付けて過ごして下さい。クンチャンより
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2013/4/3(水) 午前 8:19
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のざわ様おはようございます。
gnuradioをインストールしましたが、結局どうやったら音が出るのかわかりません。RTL2832Uのドングルが熱くはなっているのですが、ノイズも聞こえません。宜しければ教えていただけないでしょうか。 |
こちらにも、お書きになっていたのに気が付きませんでした。
ま、問題は解決したようで安心しています。
つか私なんかはRTL-SDRは、動くと続きません。
元々ラジオを聞きたいわけではありませんからね。
そのうち何かやってみようとは思っていますけどねw
2013/5/7(火) 午後 0:01 [ のざわ ]
わかりました。
じゃ、しばらくしたらRTL-SDRでgnuradioを動かす記事でも書いてみます。
と言うかラジオ少年(中年も含むw)にはgnuradioは是非触って欲しいソフトだし、RTL-SDRならハードが1000円程度でアマゾンでも買えるので、もっと大々的にキャンペーンすべきですねw
2013/5/15(水) 午前 9:12 [ のざわ ]
2010/11/25(木) 午後 3:32
野沢温泉さんのおっしゃることは、いちいちピンときます。
もし、お気が向いたら、ですが、また教えてください。
登録させていただきました。
よろしくお願いいたします。
2010/11/28(日) 午後 9:37 [ カール(カヲル32) ]
>ハン師が神秘体験をお書きになった本があれば
全部読んだわけではありませんけど、その中には無かったですね。
リアリティ(どうすれば現実的に生きていけるか)が宗教のテーマな場合、神秘体験は、結局どうでも良いファクターです。
と言うか、こうやって、ただ平凡に暮らしている事そのものが、とても神秘的だと思いますけどね。
2010/12/7(火) 午後 5:12 [ のざわ ]
>神秘体験は、結局どうでも良いファクター
どうして、どうでも良い事なのか?ってのは、逆にある程度は、神秘体験をしたほうが、判りやすい事かも知れないですね。
早い話が、神秘体験って、どれもこれも、結局それだけの事なんです。
ある珍しい体験をする為に修行して、それが叶っても、それだけの事ってのだと、結局えらく損した気分になるんですよ。
まぁ何度かそういう損した気分になれば、もうすこしマシな方針で修行しようって思うようになるんです。
2010/12/7(火) 午後 6:41 [ のざわ ]
私の周囲で、神秘体験をした人や、超能力がある人には、「わたしは人より上のレベルである」と信じ込んでしまった人が多いです。
確かに弊害は感じます。
神秘体験や超能力でレベルが決まるわけではないのに、わからなくなるようです。
そして・・・瞑想教室に通っている人は、その点心配がないようです。
「神秘体験にとらわれるな」ということを最初に習うからです。
瞑想教室に行ってよかったと思っています。
2011/7/7(木) 午前 4:08 [ カール(カヲル32) ]
仏教風に言えば瞑想を続けて行けば無所得になるわけです。
要するに、空ってこういう事かと言うのが判るようになり、執着が無くなるわけだけど、でも神秘体験には終着しますってのだと、どこか根本的にオカシイでしょw
おおよそ何かを体験したから他人より偉いって論理って全然、無所得では無いわけです。
2011/8/3(水) 午前 11:08 [ のざわ ]
>でも、一方では、「レベル」は存在しますね。
存在するとも言えるし、存在しないとも言えるのでは?
例えば習字の段位みたいなレベルと言う意味では、存在すると思いますよ。
けど、そんなの存在した所で、自分にやれる事は自分のレベルなわけで、他人のレベルがどうでも結局自分には何もいいこと無いわけです。
そういう意味では無いのと同じ。
2011/8/8(月) 午後 1:24 [ のざわ ]
習字の事は知りませんが、三段と五段なら五段が上でしょう。
けどスピリチャル系で言えば、段位に関係なく無所得に近い生活態度の人かどうかが本当の問題。
行のレベルが高くても、生活態度が全然無所得に近づかない人も、幾らでもいるわけで、所詮何か人に出来ない難しい事が出来たけと考えるほうが現実的だと思います。
勿論、高いレベルで行が出来る人が、その能力を活用して生活するなら普通の人よりも、無所得な態度で暮らせるんだろうなとは思いますけどね。
まぁ、そんなことを含めて考えても、結局今の自分に出来るのは、今のレベルの行だけなので、他人が凄くても自分が得することも無いわけなんです。
2011/8/9(火) 午前 10:04 [ のざわ ]
まぁ、このあたりを理解したいなら、行ヲタクになって、あれでもこれでも次々やってみるのが良いと思います。
自分には到底出来ない凄いのをあれこれ見ていくと、凄さと無所得の間に、何の相関も無い事が判ると思います。
と言うか、真っ先にこのカラクリを見抜かないと、結局はどこに行っても騙されてくるだけの話。
本人が特殊な行だけが出来れば、それでOKだと言うのなら話は別かも知れませんけど、私の場合、そんな暇つぶしにもならない事の為に行をするのは、まっぴらです。
と言うか、それを望むならスピリチャル系より手品教室のほうが確実だし進歩も早いと思いますよ。
2011/8/9(火) 午前 10:23 [ のざわ ]
だから行はダメで理論武装よね?って人も結構いらっしゃって、それこそ難解な経典なんかでも、スラスラ説明出来る人なんてのザラにいますよ。
けれど、これも行と同じ事で、どの難しい経典が判っても、結局その人が必ずしも無所得に近づくとは限らないんです。
要するに根底にあるのが、少しでも変なコダワリは捨てて生きたいって願望がベースに常にない人の場合、どれもこれも騙されて来るだけの事。
世の中、良くできたもので、実際にはそういう願望の無い人向けに宗教でもスピリチャルでも流行るものだから、結果はご覧の通りと言うわけ。
悪いけど、ニーズの大半は本当は騙されたいって事なんですw
2011/8/9(火) 午前 10:58 [ のざわ ]
まぁ、どこの修行道場でも、レベルの高い奴が低い奴をイジメたりするなんて、当たり前に起きることです。
修行道場にいる、若いお坊さん達が、実際に、どれだけイジケた人ばっかりなのかを見れば、シロウトだろうがプロだろうが関係無しに、結局そんなものだと言うのが判る筈です。
それこそイジメに耐える事を修行だと勘違いしてるのでは無いか?とさえ思うような所でさえ全く珍しくもありません。
レベルって結局何の為にあるか、考えてみるのも、大事なひとつかも知れませんね。
2011/8/9(火) 午前 11:35 [ のざわ ]
ある高僧の話として読んだのですが、
「他の修行者より偉い」という気持ちが一番最後まで残ったとらわれの心だったそうです。
私有財産も女戒も乗り越え、あらゆる欲を捨て去るつもりだったのに、「あの人より偉い」という気持ちが一番最後まで残ってしまったと。
それだけ人間の「社会的順位欲」や、「ポジション欲」、「尊敬されたい欲」、「競争心」は強いものなのでしょう。
2011/8/9(火) 午後 0:52 [ カール(カヲル32) ]
レベルには、
「客観的レベル」と「主観的レベル」の差が考えられると思いますが、
人間の考え付く「客観」は全部「主観」の範囲内なので^^
要するに、一つの「レベル観念」ごとにレベルがあるということでいいでしょうか?
2011/8/9(火) 午後 1:02 [ カール(カヲル32) ]
ヨガ瞑想の世界では、レベルチェックは、ある意味簡単なんですよ。
チャクラが開いて、パワーがあればあるほど、レベルが高いと見ます。
それも、頭の上のほうのチャクラが開いていればレベルが高く、下半身だけだと、かえってレベルが低いと見なされます。
まるでスポーツ競技みたいに判定は簡単です^^
ちなみに、チャクラと、チャクラと関係している経ラクの電圧を測る機械を備えているヨガ教室もあります。
2011/8/9(火) 午後 1:06 [ カール(カヲル32) ]
> 要するに、一つの「レベル観念」ごとにレベルがあるということでいいでしょうか?
体系化された組み立てがあった所で、人それぞれで得意不得意もあるし、どこだってかなりハイレベルの筈なのに、怒りっぽいし毒気たっぷりの人なんて珍しくもないくらい普通にいます。
まぁ、ざっくりした目安の類でしか無いって事だと思いますよ。
2011/8/9(火) 午後 7:17 [ のざわ ]
お久しぶりです♪
マハリシ・マヘシ・ヨギ(ビートルズが瞑想を習った人です)の弟子の、ボブ・フィックスという人が書いた瞑想の本
「クォンタム・エンライトメント 超人生のススメ 量子的悟りのためのガイドブック」という本を買って読み始めています。
この本によると、悟りとは、脳波の種類のことだというのです。
ガンマ波が出ている状態が悟りだと、彼は言っています。
2011/11/19(土) 午後 9:45 [ カール(カヲル32) ]
まぁそういう側面もあるのかもしれないけれど、そう簡単に片付けられてもねぇと思う人も多いのでは?w
最近は、あまり本を読んでいませんが、今年読んだ本の中では、この本が最も面白かったですよ。
Journey into Now 「今この瞬間」への旅―スピリチュアルな目覚めへのクリアー・ガイダンス
エックハルトトールに並ぶ現代を代表するスピリチャル・ティーチャーだと言われたりもする人なのだけど、そこまで深いか?と言われれば、ちょい疑問な所もありましたが、テーマのブレなさや、エゴとの関係などは、こちらのほうが、遥に現実味がある話だと思いました。
趣旨が正確に伝わり、間違った所に到達しにくいと言う意味だと、こちらのほうが格段優れているように思いました。
既に、知り合いに貸し出しちゃって、手元にはありませんけどねw
2011/11/20(日) 午後 1:40 [ のざわ ]
確かに脳波は、更にブームになりつつあります。
たとえばこれ。
http://www.segatoys.co.jp/mindflex/
お盆に親戚の子どもにプレゼントするのに買いましたw
まぁスピリチャルとは無関係に、ゲーム的な視点で見ても
新しい入力デバイスが受け入れられて来ているのでしょう。
これだけでは無く似たような商品が今年は目白押しでした。
脳波で悟りが測れるか?と言われれば、確かにある一面は測れる
だろうと思います。
また上手に活用すれば、ガイドラインにはなるとは思いますけど
ある脳波さえ出れば、瞑想内容までも揃うか?と言われれば勿論
そんなことは無いわけで、やはり限定的だと思います。
さっきのmind flexですが、集中力を測ってそれでボールを
コントロールするものですが、いわゆる禅定で言う集中力とは
明らかに別の周波数に設定されているようで、悟り用の補助には
使えませんw
面白がって、あれこれかなり遊んだのですけどねw
2011/11/20(日) 午後 2:01 [ のざわ ]
御返事ありがとうございます。(^^)/
「この瞬間への旅」は、わたしも少し前に手に入れていました!
そうですね。「いま、ここ」に対立するものとしてのエゴについて、著者なりに真剣に考えているのは伝わってきました。
「いま、ここ」VS.「エゴ」
というモデルを明確にしたことが、この方のポイントでしょうね?
「いま、ここ」しかないというのは禅の世界では当たり前なのかもしれませんが、
形而上学として、現在拡大している思潮だと思います。
野沢さんの教えてくださったハン師はじめ、
さまざまな本に書かれていますね。
20世紀の人気芸能人であるジョン・レノンのインタビューを読むと、「いま、ここしかないんだよ」という言葉がよく出てきます。
彼は日本文化や禅にも興味をもっていたことで有名ですが・・。
「YOU ARE HERE」というポスターを街中に貼ったりしていましたね。
西洋の思弁的哲学は非常にバカバカしく感じることが多いのですが、
一方勉強があまりできなさそうな人が本当は賢かったりしますね。
2011/12/21(水) 午後 4:43 [ カール(カヲル32) ]
思弁的哲学と「いま、ここ哲学」の差をそのように感じています。
現代の西洋哲学者で、「いま、ここ」が全ての中心であるとして論を展開していた人に「ホワイトヘッド」という人がいますね。できれば少し研究したいと思っています。著作は難解だそうですが。
西洋哲学はいろんな意味でバカバカしいと思うのですが、それでも私は何か接点はないかと探してしまいます。
わたしはボブ・フィックス式瞑想に少し興味を感じています。
2011/12/21(水) 午後 4:44 [ カール(カヲル32) ]
あけまして、おめでとうございます。本年もよろしく、御指導御鞭撻をお願い申し上げます。
今年の抱負としては、もっと瞑想したいと思っています。
瞑想をあまりしていないのに時々生意気なことをいうわたくしですが、
本年もよろしくお願いいたします。
m(_ _)m
2012/1/11(水) 午前 4:04 [ カール(カヲル32) ]
2月になりましたが、あけましておめでとうございます。
瞑想ですけど、あれこれ見てて複雑な気持ちになることが多いです。
何が重要なのかと言えば、きちんと瞑想出来るかどうかだけが問題で本当に、きちんと出来るならば、何も座ってやるのだけが正しい筈でも無いわけです。
と言うことであれば、どう座れば良いかと言えば、正しく瞑想する為に座る事になるわけで、多く瞑想するよりも、一度に多く瞑想をしたほうが、結果は良好なのでは?と感じる事が多いです。
瞑想を毎日の生活に取り入れる事を否定しているわけでは無いのですが、それにしたって正しく瞑想出来ないと効果が上がる筈も無いわけで。
一度に多く瞑想すれば、自動的にOKかと言えば、そうでも無いのですが、例えば一日に10時間瞑想する為には正しく瞑想出来てないままやると死んでしまいそうになるわけで。
ひとりで自発的に一日に10時間瞑想して、やって良かったなとなれば、多少は近いのかな?とは思うわけです。
けれどこれならば、誰でも月に一回くらいは可能ではある筈ですが、実際にはキビシイでしょう?
2012/2/5(日) 午前 10:40 [ のざわ ]
なるほどだから、リトリートをやってる所にでも行くのが良いのか?と言えば、確かに半分くらいは正解だろうと思います。
けれど実際の、その類を見ると、結局たいして成果が上がっていないのも、また歴然とした事実でしょう。
どうしてそうなるかって、もう必死で瞑想にシガミツクのが関の山で、それこそやっとやっとで瞑想するから、やっぱり結局ダメっぽいわけですw
○○式瞑想ならOKよ?なんてな宣伝も多くみますが、まぁそれが本当なのだとしても、最低でも1000時間程度は、それをやって初めて、多少それっぽくなる程度と言うのが現実的な所だろうと思います。
けれど、そういう話だと言うことにすると、今度は瞑想なんか、普通は覚えられないものだとなるわけで。
2012/2/5(日) 午後 10:34 [ のざわ ]
お返事ありがとうございます。
実績のある先生につくのがいいと思っていますけれども、
なにをもって実績と観るかですよね???
「長時間できる」は、一つの目安になると思います・・。
先生を選ぶとき、先生の人柄を観ます。同じ行法を教えていても人柄には違いがあり、尊敬できる先生、好きな先生につくことにしています。
自分のレベルなりに特定のプロセスを踏まないと瞑想が深まらないと思いますので、「おおむね、良い方向にいってる」と思える限り、その行法を続けることになります。
わたしはあまり瞑想の才能はなさそうです^^
先生になるつもりはないので、あきらめないで、気長にやろうと思っています^^
のざわ様はすごく高いレベルを目指していらっしゃるのだと思いますが、わたしは自分のレベルから少し進歩すればいいと思っています。
2012/4/19(木) 午前 0:41 [ カール(カヲル32) ]
ええと、まず階梯についてです。
ヒンズー教(ヨガ)と上座部仏教に共通することは、どちらも4大元素の宗教と言うことです。
これらの元素は全て苦の元素ですので、悟りをどこか遠い所に置く必要があり、従って階梯が生まれるわけです。
大乗のように苦では無い空と言う元素を持ち、煩悩即菩提と言うのなら、階梯が発生しようが無いわけです。
要するに、悟りが現況は、まだ無いので目指さないといけないのか、それとも、最初から悟りがあるが気が付かないだけなのか、と言う捉え方の違いにより、階梯が発生したりしなかったりするわけです。
2012/4/26(木) 午前 4:14 [ のざわ ]
と言うことであれば、最初から修行のスタンスも2種類あることに気づかされるわけです。
要するに苦しか無いのだから滅苦を階梯式で行おうと言うスタンスと、元々悟っているのだから、それを確認して行こうと言うスタンスです。
ここで元々悟っているからと言うのが何を意味するのかと言えば、修行して不幸から幸せを目指そうと言うと言うのでは無いと言う事です。
要するに、今ここにある幸せをベースに、これを拡大しようと言う戦略が大乗の根幹にはあって、つまり最初から幸せのスタンスで修行する必要があるわけです。
2012/4/26(木) 午前 4:30 [ のざわ ]
じゃ、ここで才能の話に移します。
瞑想の才能って結局は初期値に大きく依存すると考えています。
仮に階梯式の修行を行うのだとしても、俺は不幸だと言うようなスタンスで修行しても旨く行く筈も無いし、逆に階梯の無い修行をするのだとしても、修行する為に生まれてきていると言うのを忘れてはならないと言うことです。
まぁ実際には中々そんなこと言っても難しいよね?ってのはあると思いますけど、何をするかと言う以前に、こういう自分の立脚点が悪ければ、持っている能力ほども出しきれないわけです。
つまり、どのみち修行するなら、そういう構えでやったほうが得だと思いますw
2012/4/26(木) 午前 4:39 [ のざわ ]
宗教家の実績は、要するに妖(あやかし)の逆です。
世間一般に流行ってる宗教は、ようするに妖を提供することです。
元々人間には妖を求めるキャストがあり、科学が発展する以前は、妖も一定のニーズがあったわけですが、これらはもの凄い勢いで凋落しました。
しかし依然として妖を求めるキャストは残っているので、そこで新興宗教が営業しているわけで、要するに既存の宗教の衰退の反動だと見做す事が出来ると思います。
2012/4/26(木) 午前 4:46 [ のざわ ]
まぁ、妖を求めたい人は、そちらに行けば宜しい事で、そんなのとても簡単な事でしょう。
じゃ妖じゃ無きゃ何を求めるのか?と言うのが、ハッキリ言えない限りは結局は結局は妖に行くのが関の山でしょうw
たとえば腹が減ったとして、ラーメン屋に行くのでも牛丼屋に行くのでも正解だし、家でスパゲッティを茹でるのも正解です。
こんな感じで、妖以外の宗教に求めるべき正解を言えるかどうか、そしてそういう行動を取っているかどうかが問われるわけです。
2012/4/26(木) 午前 4:59 [ のざわ ]
腹が減ったと言うのと同等な、宗教に求めるべき事は何か?と言うのは、結局は新興宗教の提供している妖の逆つまりリアリティです。
ではどういう種類のリアリティかと言えば、同定問題を矯正するかどうかと言う事です。
我々は、結局は常に同定を間違い続けて生きているわけで、これが減る事により、いまよりマシな生き方になることは、明らかな所でしょう。
しかしどうして、ああもこうも同定を間違うのかと言えば、新興宗教などの妖を求めるキャストが誰にでもあるからなわけです。
いや俺は新興宗教なんか求めてもいないよ?って人でも、そういうキャストがあって、結局は同定に関する問題でしくじるわけです。
2012/4/26(木) 午前 5:08 [ のざわ ]
スピリチャリティの本質は、つまりそういう妖を求めるキャストを弱らせる事にあるわけですが、こうすると今度は科学のように考え事になってしまうわけです。
考え事でも無ければ、妖でも無いところに、最初から立っている人を探す事をお勧めします。
また、そういう人に出会っても、当然考え事でも妖でも無いスタンスで修行しないと、全く効率が上がらないと思います。
2012/4/26(木) 午前 5:13 [ のざわ ]
あれこれ書きましたが、だいたい以上です。
瞑想が進むかどうかよりも、もっとマクロな視野で評価しないと瞑想だけ出来ても何にもならないわけです。
先生を探すなら、ようするに同定が矯正され幸せな人を探す事です。
所詮は単なる手技を活用した結果で、そうなるわけではありませんからね。
2012/4/26(木) 午前 5:44 [ のざわ ]
補足すれば、かと言って、考え事=0、妖=0の宗教は、まず存在しないのも事実なわけで、ここが難しい所なわけです。
要するに考え事に囚われたり妖に囚われる性質を、考え事も妖も利用しながら脱却しようと言うのが本来的なスタンスなのだと思います。
色々あっても自分としては同定問題の改善の為の宗教だと言う事を忘れさえしなければ、ほとんどの宗教はとても意義深いものが多いわけですが、まぁこれが、しょっちゅうオザナリになるわけでw
と言うか、宗教家でありながら、こういった話には、うんざりした人で無ければ、結局は相手をして貰っても無駄なわけです。
けど、まぁ、そこが難しいわけで。
2012/4/26(木) 午前 11:33 [ のざわ ]
どうして難しいかって、宗派が妖しを伝統的に提供していたり、尤度の低い考えを提供したりしていた場合には、そこに属している以上は、やっぱり贖えないわけです。
そもそも宗教は、やはり前時代的な存在で、ほころびも多く、かと言って伝統があれば、それの継承を避けられない性質があるわけです。
開祖が言った事であれば、無条件に肯定しないと行けないわけで、全く非科学的な側面を持ちつづけるわけです。
また伝統を求めるのも、結局は一種の妖であって、数千年に渡り役にも立たない話を継承して来たと考えれば、ほんとうに、おぞましい話でもあるわけです。
だから結局は、この人の所に行ってれば、同定問題が緩和するか?と言う視点を持ちつづけないと時間の無駄になります。
まぁ、そういう風に思っています。以上終わりw
2012/4/26(木) 午前 11:44 [ のざわ ]
妖とリアルなものの見分け方、のざわ様はどこにポイントをおかれていますか。
ちなみにわたしは、スピリチュアリズムというのは、「大学の権威からもれたもの全部」と思っています。玉石混交と思っています。
2012/5/17(木) 午前 2:46 [ カール(カヲル32) ]
>妖とリアルなものの見分け方
こういっては終わりなのですが、これには年季が必要な話です。
しかし結局は、その人その人で見分ける必要のある問題なので、その人の、その時なりの最善な判断と言う事なのであれば、要するに宗教の必然性を常に念頭に置いて判断する必要があると言うことです。
腹が減ったらラーメン屋に行っても牛丼屋に行っても正解ですが、腹が減ってなかったら、どちらに行っても不正解です。
ここで宗教の場合は、腹が減っているとは、結局何に相当するのか?と言うことです。
仏教であれば八正道の一番始めが正見ですが、つまり正見では無くて困っているかどうか、つまり何をやっても同定が合わない事が自分の本当の問題なのだと認識されているかどうかです。
例えばキリスト教にしても三位一体なんかでも、同定が合わない事への矯正なわけで、結局は同種の問題を違う流儀で扱っているわけです。
つまり自分は同定が合わないから結局ロクな事が無いんだな?と理解していて、結局この宗教と付き合うと、それが幾らかでも改善するのだろか?と言う視点で接する事が実質的な見分け方だと思いますよ。
2012/5/24(木) 午後 7:34 [ のざわ ]
のざわさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
なるほど。日本の仏教界はそんな感じなのですね。
要するに論理矛盾しなければいいのですよね。
輪廻転生を支持するなら輪廻の主体を認めなければいけないと思うのです。
スマナサーラ氏のところでは、輪廻を説きながら、アートマンの存在と中有の存在は激しく否定しているようです。
2012/7/1(日) 午後 0:00 [ カール(カヲル32) ]
日本テーラワーダ仏教協会と、スマナサーラ氏のファンが来るこちらのブログで、日本テーラワーダ協会を批判してしまいました。
昔、のざわさんも来たことがあるブログだと思います。
現在、ちょっぴりだけ争いになっています。
http://blogs.yahoo.co.jp/dyhkr486
2012/7/1(日) 午後 0:01 [ カール(カヲル32) ]
のざわさんに教えられたことにより、「仏教」と「日本テーラワーダ協会」ではなく、
「原始仏教」と「日本テーラワーダ協会」は違う、というふうに記事を訂正しました。
なるほど・・・歴史的に見て、釈迦の入滅後は、仏教は、「アートマンの否定」をかなりたくさんやっていたのですね。
わかりました。
ありがとうございました。
m(_ _)m
2012/7/3(火) 午後 3:32 [ カール(カヲル32) ]
「お釈迦様自身はアートマンを否定も肯定もしていなかった」という意見は、中村元による原始仏教研究に書かれていることで、わたしも、スッタニパータを読んで同様に思いましたので、
中村元説を支持しています。
2012/7/5(木) 午前 11:30 [ カール(カヲル32) ]
なるほどね。
これは私の理解なので、合ってる保証はありませんけれど、仏教を結局は、ひとつの宗教と見做すとすると、アンチバラモンと言うのがキーワワードの、ひとつになるんだろうなと思っています。
宗教であれば、結局は何らかの今までとは違う信を確立するから、一宗派なわけで、仏陀が、どういったかは判らないにしても、営業上は早くからバラモンとは違うと言う事を謳う必要があったんだろうなと思っています。
で、どう違うかと言われれば、アートマンって違うんじゃないの?って事かと。
スタニパダより古いダンマパダにも、言われてみればアートマンの否定らしきものがあった記憶はありませんね。
まぁ、私はこれは営業戦略の一種と思っているし、アートマンを肯定/否定は、説明の流儀でしかない事で、どちらでも構わないと思っています。
と言うことで、私は仏教徒では無いんですw
2012/7/10(火) 午前 1:32 [ のざわ ]
わたしは・・釈迦自身は、アートマンも輪廻転生も否定していなかったと思います。むしろ「認めているようだ」と思っていました。
「スッタニパータ」を読んだ印象で、ずっとそう思っていました。
アートマンや輪廻転生は「it」みたいな指示語ですましている印象はありますけれども。
インド哲学研究家の宮元啓一は、「釈迦はアートマンも輪廻転生も認めていた」と「これが最初の仏教だ−−ブッダが考えたこと」に書いていますが、率直に言えば、わたしがスッタニパータを読んだ印象も、まったく同じです。
「アートマンを否定していなかった」と断言する中村元と、「アートマンを認めていた」と語る宮元啓一が、気に入りの学者ということになります。
ただ、「釈迦以降」の仏教は、ハッキリと、アートマンを否定したことが多かったということは、のざわ様の説明でよくわかりました。
ありがとうございます。
2012/7/10(火) 午前 3:28 [ カール(カヲル32) ]
釈迦のアンチ・バラモンは、「アートマンと輪廻転生の否定」以外の部分にあったと思います。
釈迦による「無意味な議論の否定」「無意味な競争の否定」を強く感じます。
2012/7/10(火) 午前 3:31 [ カール(カヲル32) ]
輪廻転生も否定していなかった>
これは、どの仏教も否定出来ません。
なぜならば、どの仏教も火のエレメントを持っている事を否定していないことは共通しているからです。
むしろこれはテーラワーダでは当然顕著に肯定します。
まぁ人種的な面が実質は大きいのだろうなと思いますが、それを抜きにしても、元素が4個で、そのひとつが火なので、割から言っても大きいわけです。
輪廻は火のエレメントの作用です。
ですから瞑想で、このエレメントを見ると過去世の働きが見えるわけです。
2012/7/10(火) 午後 7:06 [ のざわ ]
これは、どの仏教も否定出来ません。>
ただし何が輪廻するのか?と言うのは仏教系と、それ以外では異なっています。
アートマンを認めない仏教は、当然だけどアートマンは輪廻しないわけです。
では仏教では何が輪廻するのか?と言われれば、これは色々あって面白い所です。
テーラワーダであれば簡単で、名色だけの仏教なので、名色が輪廻します。と言うか初めから他に構成要素がありません。
では名色に空が加わった大乗だと何が輪廻するかと言えば、ここがちょっと面白い所で、時代によって結構さまざまな解釈が出来るようです。
輪廻は私も認めていますが、これって結局は時間軸上の現象では無く、本来持ちうる表現のひとつが見えているだけだと思っています。
と言うか、仏教などで真理と言うと、いかにもそれだけが正しいみたいな風に聞こえますけど、結局は本質的な何かの表現の捉え方として妥当性が高いって感じの物が多いようです。
2012/7/10(火) 午後 7:21 [ のざわ ]
ありがとうございます。
なるほど4つのエレメント・・風・水・火・土でしょうか・・。
「四元素」に還元するやりかたは、どこがオリジナルなのでしょうか。古代シュメールにもあったと思いますが・・。
インドもそうだったのですね・・。
2012/7/18(水) 午前 2:09 [ カール(カヲル32) ]
>輪廻は私も認めていますが、これって結局は時間軸上の現象では無く、本来持ちうる表現のひとつが見えているだけだと思っています。
パラレル・ワールドというような発想でしょうか・・。
アインシュタインの相対性理論以来、
過去・現在・未来は一度に存在することになったので、
輪廻転生についても、一直線の時間軸のモデルを考えない方が増えているようですね。
仏教理論には「モデル」として合理的にキチンとしていることが求められているようですね。
2012/7/18(水) 午前 2:13 [ カール(カヲル32) ]
>なるほど4つのエレメント・・
地・水・火・風が4エレメントです。
各々のエレメントが何を司るのかはパーリ経典の通りです。
そういう瞑想をすれば、その通りに見えるんですね。
>「四元素」に還元するやりかたは、どこがオリジナル
上記の四元素は、古代アーリア人の思想だと思っています。
>過去・現在・未来は一度に存在することになったので、
仏教を時間軸上の因果論だと考えると、全く程度の悪い決定論で
現代では当たり前の陽動項を持っていません。
単純に考えると確率微分方程式の無かった時代の思想なので
まぁこんなものか?とも考えられると思いますが、そもそも
仏教は時間軸が無いか、あっても些少かと言うのが現代思想
のベースとは相容れないものの上に構成されているんです。
時間軸が無い上で輪廻が起きていると捉えると、かなり正確に
仏教思想を捉える事が出来ると思います。
あれは、最初からジョンレノンと同じで、今しかないんですw
2012/8/4(土) 午後 9:27 [ のざわ ]
>現代では当たり前の陽動項を持っていません。
よい行いをすれば、よい事が必ずおきる。
と言うのが仏教です。現代人は、よい行いをしたからって
必ず、よい事が起きるとは思いません。
起きる場合もあるかもしれないが、起きない場合もある。
もしくは
起きる場合が多い。
と、結果は、ゆらぐように捉えるわけです。
そういう意味で仏教は決定論ではありますが、ゆらぎを
認めないので、コチコチの決定論なわけです。
で、どうしてコチコチかと言うと、まぁ時代が古かった
からじゃないのか?と考えれば一理あるとは思いますが
それ以前に時間軸の上の話では無いのだとすると、陽動
項は無くわけで、たぶんそうなんだろうね?と。
我々の決定論と言うのも、結局は将来はまだ隠されている
と言う前提があって成り立っていて、だから結果が、
ゆらぎを持つわけで、虚空蔵(アカシック)が前提で
あれば、ゆらぎを持ちません。
しかし我々は、アカシックな存在には否定的でもある
わけで、つまり結局は、相容れない関係であることが
わかります。
2012/8/5(日) 午後 1:10 [ のざわ ]
>つまり結局は、相容れない関係であることがわかります。
と言うか、この手の説明って難しいですね。
正確に言えば、時間があるレイヤとないレイヤがあって、両方のレイヤに我々は存在していると言う事だと思います。
で、まぁ日頃は時間のあるレイヤについてのみ話しているので、そのレイヤが全てだと思い込んでいると言うことなのでしょう。
時間の無いレイヤの存在は、全く否定していませんよ。
2012/8/23(木) 午後 4:25 [ のざわ ]
>良い行いをすると、良いことが起きる。
仏教ではそうなのですか。
スピリチュアリズムの世界では、「どんな対象であろうと、その対象は、あなたが観たとおりのものになる。」と言います。
もともとの事物には全く善悪の別はないのだと言います。
全く善悪の別はないのに、「これが悪だ」と思うところに悪が生まれると・・スピリチュアリズムではいいます。
2012/11/12(月) 午前 4:21 [ カール(カヲル32) ]
>正確に言えば、時間があるレイヤとないレイヤがあって、両方のレイヤに我々は存在していると言う事だと思います。
>で、まぁ日頃は時間のあるレイヤについてのみ話しているので、そのレイヤが全てだと思い込んでいると言うことなのでしょう。
>時間の無いレイヤの存在は、全く否定していませんよ。
時間の無いレイヤを全く否定しないのは、
仏教も、のざわ様も、両方そうだということですか。
2012/11/12(月) 午前 4:25 [ カール(カヲル32) ]
>虚空蔵(アカシック)が前提で
あれば、ゆらぎを持ちません。
「ゆらぎのある虚空蔵(アカシック)」という考え方はできないですか?
2012/11/12(月) 午前 4:26 [ カール(カヲル32) ]
>>良い行いをすると、良いことが起きる。
>仏教ではそうなのですか。
因果律を「良いこと」で説明するとそうなるだけなのだろうと思いますが、大乗の勧善懲悪などは、「良いこと」の因果律から派生しているのだと思います。
しかし、実際には陽動項(ゆらぎ)があるので、実際にそうだとも言い切れないわけですw
>時間の無いレイヤを全く否定しないのは、仏教も、のざわ様も、両方そうだということですか。
まず仏教に関しては、時間の無いレイヤの話が重点で、時間のある話も少しだけしてると言うことだと思います。
私ですか?いつも時間に終われて生活していますので、仏教とは逆の比重ですが、時間の無いレイヤも否定していませんよw
>「ゆらぎのある虚空蔵(アカシック)」という考え方はできないですか?
アカシックには、そもそも人間サマのやるような考えそのものがありません。
従って、ゆるぎなんてのも人間サマの捉え方なので、ありませんよw
2012/12/1(土) 午前 11:25 [ のざわ ]
ゆくゆく、お坊さんにでもなりたいってのなら、仏教かどうかは
大事な事にもなりえるわけだけど、そうでないなら結局は真理に
到達する為の手段方式の、ひとつにしか過ぎませんよ。
どっちにしても説明のやり方が違うだけの話で、ご自分に合った
ものを選択するので構わないし、つまり仏教である必要もない話
と思っています。
その人なりに向かう宇宙に進めれば良い話ですからね。
2013/5/11(土) 午前 8:16 [ のざわ ]
最近思っている事に帰依と言う事の解釈がデタラメだよな?と思う事がよくあります。
帰依は、パーリのsaranaなので意味は避難所です。
帰依すると言うのは避難所に行く事なわけで避難所効果が無ければ意味が無いし、効果があっても所詮は避難所で、そこが定住場所でも無いわけです。
どうも自分には避難所効果が無さげだな?って事なら、他の効果の得られる所を探すべきです。
例えば三宝にしても、日難所効果があってこその三宝なわけです。
当たり前の話だと思うのですけどね?
2013/5/12(日) 午前 4:26 [ のざわ ]
え?「避難所に行く」なんですか?
日常生活の日本語では、帰依は「絶対服従を誓っている」というニュアンスで使われていると思っていました。
意外でした。不勉強でしたね。
ありがとうございます。
2013/5/15(水) 午前 2:02 [ カール(カヲル32) ]
いや、何にしても人によって意味がバラバラなんですw
面白いのは八正道なんかも、すごいですよ。
色々な宗門のサイトを見て回ると、ほんと意味がバラバラです。
述語の意味は、仏教の場合は世界観が何度か変遷しているので
ある意味変化するのは当たり前なのだけど、実際は、それとも
無関係に意味が決まっているw
八正道なんて誰だって名前くらいは知ってるわけで、そんなものの
意味でさえ宗門によってバラバラな事を言っているわけで、実態は
本当に酷いもんです。
そんなもんですよ。
2013/5/15(水) 午前 9:00 [ のざわ ]
例えば、縁起ひとつにしても、宇宙(世界観)が変わって行く事で、意味は変わってきています。
だから一概にパーリ語の意味が、そのままどこまでも通用するわけでも無い事には注意が必要です。
仏教を学ぶ前に、まずは仏教が成立する世界(宇宙観)を学んでからにしないと、どの宇宙での事を言っているのかわからないので、話が支離滅裂になります。
日本の仏教は概して、この部分が甘いので、いい加減に見えますが、別段、大乗だろうが、金剛乗だろうが、本来はキチンとした宇宙を持っています。
あとは、自分の宇宙に合わせた選択をすることが、避難所の効果を発揮させるには大事なのだけど、これがまた問題があって、日本人の
平均的な宇宙は、きっちりした大乗や金剛乗の物とも、たぶん大きく違っていて、じゃ、どんなんだ?ってなると、これが日本の仏教のように、あいまいな宇宙だったりするわけです。
なかなか難しい問題ですw
2013/5/15(水) 午後 3:30 [ のざわ ]
はぁ・・なるほど。勉強になります。
のざわ様は、仏教界の現実にお詳しいですね。私が全く知らない世界なので、いつも勉強させていただいております。
最近わたしのブログ界隈では
「空観」「仮観」「中観」を使うのが流行っていて、
要するに龍樹の哲学用語を使おうということなんです。
空観・仮観・中観について、のざわ様の御意見を私のブログに書いていただくことは、可能でしょうか?
もしもおっしゃりたいことがなければ、断ってくださいませ。
わたくしがただ、のざわ様のお考えを知りたかっただけです。
2013/5/27(月) 午後 2:47 [ カール(カヲル32) ]
たくさんコメントいただき、ありがとうございます。
わたしのインド思想の勉強は、ヨガ瞑想から始まっているので、ウパニシャッドと、ヒンズー教で、インド思想の勉強が終わっています。
ヒンズー教と、スピリチュアリズム、ニューエイジは実は同じ構造なので、ついでにスピリチュアリズムとニューエイジは理解できてしまいました。
現代のカトリック思想も理解できると思います。
中世・キリスト教に関して言えば、トマス・アクィナスがキリスト教にアリストテレスを巧みに導入したのはわかるのですが、その程度です。
2013/5/31(金) 午前 1:14 [ カール(カヲル32) ]
そんな私にとって、仏教は、一番難しい存在です。
ヒンズー教みたいに綺麗に割り切れないですし、
いろんなところがメビウスの輪みたいに奇妙に連結されているように見え、
輪廻転生があるのに霊魂がなかったりなど
現代人の論理からみると矛盾も内包し
答えが出ないようにわざとやってるのかと思えて、
ヒンズー教やカトリックのわかりやすい階層構造と比較すると、ラビリンスに見えます。
2013/5/31(金) 午前 1:20 [ カール(カヲル32) ]
過去何年もの間、おりにふれて、のざわ様に仏教を教えていただいていましたが、
ヤフーブログで出会った仏教を語る方の中で、唯一破綻のないことをおっしゃる方だと思っています。
これからも、どうか、よろしくお願いいたします。
2013/5/31(金) 午前 1:24 [ カール(カヲル32) ]
輪廻転生があるのに霊魂がなかったりなど現代人の論理からみると矛盾も内包し>
これも教えの前に宇宙が判っていれば当たり前な話なのだけど、宗派が決まってしまえば、自動的に宇宙が決まるので、坊さんだって自分とこの宇宙ですら良く知らないから、あやふやな答えしか出来ないわけですw
まぁ坊さんになる人は、普通は初めから○○宗の坊さんになろう!ってのでなるわけで、こんな事知らなくても困らないわけw
例えば、ひとりにひとつずつ魂ってありますよね?って聞かれたとして、正解は、はいでもあり、いいえでもあるんだけど、これは宗派によって決まるのではなく、本当は、その宗派の宇宙によって決まるわけです。
けど聞くほうは、きっとこれが○○宗の教えなんだな?って思ってしまうわけで、こんなの信じたら、ただの狂信にしかならないわけです。
だって、そんな宇宙が、ご自分の宇宙であるとは限りませんからねw
まぁ、よほど運が良くて、一発で行き当たれば別ですけどね。
2013/5/31(金) 午後 0:52 [ のざわ ]
龍樹の教えに階梯が無いと言えば、ははん中観って、そういう教えなんだな?って思ったりするわけです。
けど本当は龍樹の宇宙に階梯が無いから、必然的に中観も階梯が無くなっているだけの話w
龍樹の宇宙つまり五大って、そういう宇宙なんです。
だから五大な仏教を勉強したり修行したりして悟ると言うのは、龍樹の宇宙に全く合っていないわけで、そうではなくてあれの勉強や修行は、そういう階梯が無く初めから悟っていると言う事を確認する作業なわけです。
けど我々は、なんだか修行してる人を見れば、悟ろうとしてるんだな?って思ってしまいますよねw
まぁ悟ろうとして修行してる人もいるかも知れませんけどねw
2013/5/31(金) 午後 1:11 [ のざわ ]
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