甲斐駒ケ岳

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甲斐駒ケ岳 その山名の由来》(「白州町誌」山寺仁太郎氏著)
 
日本全国には「駒」という山名を冠する山が頗る多いこと、しかも本州の富山、長野、静岡の三県によって劃せられる地域から、東・北日本に偏在することは、興味深い地名現象として、つとに地理学者、民俗学者或いは、山岳研究家の注目するところであった。
「駒」を冠する叫名が、東・北目本に集中して、西、南目本に稀有であるところに、山名探究と、山岳信仰の特色を説く鍵が、秘められていると考えられる。有史以来馬の生産飼畜に関係深い関東・東北・北海道に多くその例を見るのであるが、それらの「駒ケ岳」の中で最高の海抜を誇るのが、白州町西境に聾える甲斐駒ケ嶽であって、その山頂には、二九六五・五八メートルの一等三角点標石が座っている。二番目に高い中央アルプスの木曽駒ケ岳は二九五六メートル、約一〇メートル低いのである。
各地に「駒ケ岳」という山名が多いために、それを区別する必要を生じ、複合した山名、つまり何々駒ケ岳と称したのは主として、明治以降のことであった。特に陸軍参謀本部陸地測量部(その仕事は現在、国土地理院に継承されている)の五万分一地彩図が一般化して、山名の混同を防ぐために生じたものと言えよう。
自州町の「駒ケ嶽」は、その西方、伊那盆地を隔てて対時する長野県の「駒ケ岳」とは特に混同されやすかった。そのために、甲州の「駒ケ嶽」を一般に「甲斐駒ケ嶽」木曽の「駒ケ嶽」を「木曽駒ケ岳」と呼称するようになり、さらに前者を東駒、後者を西駒などという呼び方も一般的になった。
余談ではあるが、甲斐駒ケ嶽を曽って白崩山(シロクズレヤマ)と称していた時期があった。信州側の呼び方で「駒ケ岳」を区別する必要から生じたとも想像される。山頂附近の花崗岩の崩壊した山名に由来した呼称であるが、明治末年までは、地元民も、登山者も実際に使用し、白崩神社という神社もあった。事実、明治四十年ころは、甲州で言う駒ケ岳と信州の白崩山とは別個の山岳と考えられたこともあった(鳥山悌成、梅沢親光、「白崩山に向ふの記」明治四十年山岳第二-第三号所収)。当時、現在の仙丈ケ岳なども前岳と呼ばれていて、駒ケ嶽(白崩山)を主峰とするその前山の意味であった。
 
「駒ケ岳」という山名を有する山々の由来を概観すると、
 
1、山容が馬の形をしている。
2、残雪の彩(雪形)が馬の姿に現われ、農事暦の目安とされたこと。
3、山中に清流があって神馬を生ずるという伝承があること。
4、山麓に高麗人が住み、牧馬と関係すること。
5、山頂に山神として駒形権現を祀ったこと。(甲斐国志)
などの諾説が考えられるのであるが、甲斐駒ケ嶽の場合は、1、2、には疑問があり、4、の高麗人と関係するという説は甚だ興味があるが、山名の起源由来を断定することは暫く避けねばならない。今後甲州の古代史の成果を期待したいからである。
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