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「祖父母は孫の躾をする必要ないからねぇ」
母からはこんな言葉をよく聞いた。
僕の祖母は二人とも格別に孫たちに甘かった。長男である僕は常に特別扱いで兄弟からよく嫉妬された。お小遣いやお年玉などあからさまに違う金額だったので僕の両親もさすがにそれは懸念していたが。。。
母は産まれたての僕を連れて、自分の母親が住む家に里帰りしていた。そして父方の祖母は自分の家から数キロ離れたその家まで毎日歩いてきたそうだ。
この父方の祖母がまた僕に甘かった。なんでも、自分で噛み砕いたピーナッツを僕に食べさせていたそうだ。それを小学生くらいの頃初めて聞かされ、なんともいえない気分になったのを今でも覚えている。
僕や弟が風呂に入っていても、手拭い一枚だけのほとんど素っ裸の状態でお構いなし風呂桶に入ってきた。そして先に出て行かなければならなかったのはいつも僕らだった。
「安心しろ」
それが祖母の口癖だった。僕の母親に発せられた台詞で、跡継ぎのことはもう心配するな、という意味だったらしい。後を継ぐほどの財産らしいものは無かったし、ばあちゃんは客人に対していつもそれを言っていたので母も僕もただ苦笑いするほかなかった。
このばあちゃんは熱しやすく冷めやすい人で色んなことを試しては止めての繰り返しだった。そんなばあちゃんが一つだけ(やや)長続きしたのが仏教の宗教活動である。自分の家で無理やり集会を開き、薄気味悪い畳の間でみんなで念仏を唱えていた。
ばあちゃんはよく勧誘した。元々の友人たちだったそうだが、勧誘されたほうはたまったものではない。ある宗教団体に寄付金を払わされたからだ。そしてばあちゃんは人を誘うだけ誘った後、結局その活動にも飽き、今度は誘われた友人たち自身がそれにのめり込んでいったそうだ。今思うとあの集会もみんなに会いたかったからではないか、と勘ぐってしまう。
「神社の裏へ行ってみろ」
遊び場に困った僕にばあちゃんは戦時中に掘られた防空壕の場所を教えてくれた。ひんやりとしたその真っ暗な空間はなんともいえないほど怖かった。それを家に帰って興奮しながら報告したが、ばあちゃんはお気に入りのキャスターをぷかぷか吸いながら微笑んでいるだけだった。
そんなばあちゃんはいつもたくさんの人たちに囲まれて満足そうだった。
宴会の好きな人で、周りに人がいることで自分の幸せを確認しているようでもあった。
我がままで、真っ直ぐで、肝っ玉の据わった人だった。
きついことも言うが長男の嫁である僕の母に対しては決して嫌味や小言などを言わなかった。自分の願いが通ればそれでいい人だった。
「俺はよー」
これが母に何か用を頼むときのお決まりの文句である。そして僕はこんな祖母と母のやりとりを間近でよく見たものだ。
不思議と自分の父親と祖母が一緒に居る場面には遭遇しなかった。隣の家に住んでいたのにもかかわらず、である。もっとも、僕の記憶に残っていないだけなのかもしれない。
「あの人が泣いてるの初めてみた」
父親の葬儀で祖母の親しい友人たちはそう呟いていた。
ばあちゃんが自分の長男を格別にかわいがっていたことは彼の死後に知った。喧嘩もよくしたそうだが、自分の長男と一緒に居ることが一番の幸せだったそうだ。
そんなばあちゃんも父が他界した後はすっかり元気をなくし、後を追うように数年後に逝った。
「俺は嫌だ」
僕はその場に居合わせなかったが病室でそう叫んでいたらしい。自分の死が迫っていると感じたのか、言葉にならない雄叫びを天井に向かって何度も発していたらしい。
明日はそんな祖母の愛した長男の命日。
黒いもんぺ姿のばあちゃん、あの世でも寝たばこしていないだろうな。
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うちのばあちゃんも、寝たばこ、してました。誰が止めてもタバコはやめませんでしたねぇ(^^;
戦争で夫を亡くし、女手1つで子供二人と母親(私の曾祖母)を養い、最愛の長男を癌で亡くし、それでも泣き言は一切、言わない。胃がんの手術で胃を切除しても「痛い」とも言わないの(^^; 孫に弱音をはくなど彼女のプライドが許さなかったのでしょうね。
戦争やその後の混乱を経験し、私なんぞには想像もつかない苦労を経た世代です。nponさんのお祖母さまと共通したものを感じました。
2007/7/27(金) 午後 4:18
"熱しやすく冷めやすい"私に言われてるみたいに感じた(汗)
まぁ、多趣味で広く浅くも悪くはないと思う。短い人生いろんなこと楽しむのはよいことだと思う。
なんとなく、お婆ちゃんと同じ匂いがする。
きっと、「私の孫たちがんばっとるねぇ〜」って言いながら寝タバコしてると思った。あはは。
2007/7/27(金) 午後 10:10 [ btq**350 ]
物心ついた頃、母方の祖母はすでに他界していました。
彼女は私が生まれたとき、大きな荷物を背負ってきたのだそうです。それが8段飾りのお雛様。
私が実家を離れるとき、母は私に「このお雛様を、お母さんに頂戴」と言いました。
お雛様には、母の、祖母へのたくさんの思い出が込められていたのでしょう。
綴られた文章に、ふと母のことを思いました。
nponさんのおばあ様を通して、お父様が見えます。
ご命日によせて。
2007/7/27(金) 午後 11:11 [ リリカ ]
私は、祖父母に育てられたと言っていいのかも知れません。明治生まれの祖父母は今思いかえすと慎ましい、節度をもった日本人だったと思います。記事を読んでなつかしく思い出しました。
2007/7/28(土) 午後 2:55
めぐみぃさん
寝たばこはお祖母さんに共通なんですかねw
めぐみぃさんのご祖母さまは強く、たくましい方だったんですね。ほんと、僕なんぞの想像もつかないご苦労をされたのだと思います。女手ひとつで子供二人に自分の母親の面倒をみて、そして自分の最愛の子供に先立たれても泣き言一つ言わない。。強く、素敵なご祖母さまだったのですね。
2007/7/28(土) 午後 6:25 [ npon0124 ]
よっしーさん
熱しやすく冷めやすいのは僕も一緒ですw
ご指摘どおり人生なんて短いですからたくさんのことにチャレンジして楽しみたいですよね。多趣味はその人の人生を豊かにすると思いますよ。
2007/7/28(土) 午後 6:28 [ npon0124 ]
リリカさん
命日によせていただいた心温まるコメント、そして素敵なご祖母さまのお話を聞かせて頂きありがとうございます。
お雛様のお話に心打たれました。お母様にとってそのお雛様はかけがえのない、ご祖母様の形見なのでしょうね。
僕の母も自分の母親の形見を今でも大切にしているようです。
2007/7/28(土) 午後 6:34 [ npon0124 ]
海の向こうさん
おじいちゃん、おばあちゃんとの思い出はなつかしいものですよね。当時の世代の慎ましさや節度といったものにも懐かしさを感じてしまう今日この頃です。
2007/7/28(土) 午後 6:42 [ npon0124 ]
誰の死に目であっても泣かない父。
“葬式でも笑う”が、父の流儀。
しかし、父の兄が亡くなった時、人前で泣いたことのない父の潤んだ目を始めて見ました。
誰にでもいる、特別な人。
2007/7/29(日) 午後 7:08 [ Yuko ]
Yukoさん
誰にでもいる、特別なひと。。。ほんとですね。
葬式で笑う、というお父さんの流儀は素敵だと思います。
悲しいときもあるでしょう。だけれども、逝ってしまった誰かを笑顔で見送ってあげたいです。
2007/7/30(月) 午後 9:14 [ npon0124 ]
tomutomu_atomu さん
仰るとおり祖父母の思い出は、優しい愛の思い出として現在にもつながっているのだと思います。懐かしい思い出、言葉、今だからこそ理解できるのでしょう。そして、思い出を通して祖父母の話し相手になれればそれはそれで素敵なことだと思うのです。
2007/8/2(木) 午後 10:04 [ npon0124 ]