氷山にぶっつかって船が沈みましてね…。
わたくしはどうしてもこの方たちをお助けするのが私の義務だと思いましたから
前にいる子供らを押しのけようとしました。
けれどもまたそんなにして助けてあげるよりは
このまま神のお前にみんなで行く方がほんとうにこの方たちの幸福だとも思いました。
それからまたその神にそむく罪はわたしひとりでしょってぜひとも助けてあげようと思いました。
けれどもどうして見ているとそれができないのでした。
子供らばかりボートの中へはなしてやってお母さんが狂気のようにキスを送り
お父さんがかなしいのをじっとこらえてまっすぐにたっているなど
とてももう腸もちぎれるようでした。
そのうち船はもうずんずん沈みますから、私はもうすっかり覚悟してこの人たち二人を抱いて、
浮かべるだけは浮かぼうとかたまって船の沈むのを待っていました。
誰が投げたかライフブイが一つ飛んで来ましたけれども滑ってずうと向こうへ行ってしまいました。
私は一生けん命で甲板の格子になったとこをはなして、三人それにしっかりとりつきました。
どこからともなく 番の声があがりました。
たちまちみんなはいろいろな国語で一ぺんにそれをうたいました…。
この方たちのお母さんは一昨年没くなられました。
ええボートはきっと助かったにちがいありません、何せよほど熟練な水夫たちが漕いですばやく船から離れていましたから。
-- 黒服の青年、天上行きの汽車にて
「教授、僕が自立できていない人間だなんていくら恩師でも言葉が過ぎるのではないですか」 「どうやら君のプライドを傷つけてしまったようだね。それは悪かった」 「そんなことはどうでもいいんです。僕が知りたいのは先生のその発言の真意です。いったいこの医局で僕より優秀な外科医が何人いますかね。僕はプライドなんてどうでもいいのです。ただ自分の腕だけは世界一だと自負しています」 「それはわたしも認めよう。君より腕のいい外科医はそうはいないだろう。実際このわたしなんかよりも君のほうが数倍も上手にオペをこなす」 「ではいったいなぜ、わたしが未だに自立できていないのですか。自分でいうのもなんですが、まわりからは十分な人望は得ていると思います。社会的地位だってそんなに悪くない。僕はこの仕事に誇りを持っているし、それを社会的貢献という、目にみえるかたちで還元しているではないですか」 「どういう貢献のことだね?」 「今まで何千人というクランケの傷を治し、命を救ってきました。もちろん救えなかった命もありましたが、それでも僕は出来うる限りのことはしてきましたよ」 「君はいったい何を言っているのかね。それではまるで君ひとりでクランケを治しているみたいではないか」 「どういう意味でしょうか。そりゃぁ僕だって助手の医師たちや看護婦にも感謝していますよ。さすがに僕一人で執刀はできませんからね」 「どうも君はさっきから勘違いしているようだ。いいかね、われわれ医師はただ単にクランケが治るのを手助けするだけなんだ。クランケの命はクランケのものだ。だからそれを治すのも彼ら自身でなければならない。我々医師は聖職者ではけっしてないのだ」 「それはそうですが・・」 「君は彼らの命を預かっている気になっているが、その考え自体が間違っているのだよ。君もこの広大な宇宙の中で誰かに生かされているんだ。それが判って、人間初めて自立した人間になるのだよ」 「教授の仰る意味はなんとなくわかる気がします。でもそれでは医者の存在意義が失われてしまうのではないですか。われわれのような、特別なスキルをもった人間は社会に必要ではないのですか」 「もちろん必要だ。ただひとつだけ気をつけてほしい。人間が人間の命の終りの時期を決めようなんて、そんな傲慢な気持ちをもってはいけない。君も医者ならわかるだろう」 「たしかに人間死ぬ時は死にます。現に昨日オペした男性のクランケは癌が全身に転移して、手のほどこしようがありませんでした・・」 「ああ、そのクランケならわたしもさっき会ったよ。病室で意識も朦朧として、それでも妻が傍に静かに寄り添っていた。死期が近づいていることは、おそらく本人もわかっているだろう。母親が人目をはばからず泣いているそばで子どもたちを呼び寄せて、そのクランケが言っていたよ。 「なんと?」 「息も絶え絶えで『お母さんを一人にしちゃだめだぞ』と」 「・・・」 「子どもたちはなんのことだかおそらく理解していないだろう。でも今まで自分を生かしてくれたものの一つが、この世から去るということは本能で感じているはずだ。クランケの妻も実際、君に深く感謝していたよ。何度も頭をさげて、君のおかげで夫もここまで生きることができました、と」 「医師として当然のことをしたまでです・・」 「それでいい。向こうへ行ってその子どもたちに声をかけてやりなさい。なんでもいいから君自身の話をしてきなさい。それからその白衣は脱いでいったほうがいい。子どもたちが緊張してしまうから」 「わかりました。何を話したらいいか困ってしまいますが、なんとかやってみます」 |
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そうなんです。 突っ張っていても人間一人じゃ何も出来ないんです。
結局、誰かが誰かを必要としていて初めて存在が認められるんですよね。
最近は医療を題材にしたドラマや映画も多くて、経営陣と医師陣の考え方の違いや看護士側の意見なども紹介されましたが、もっと医師達がどういう風に患者を見ているか知りたいですね。
まさしくその一部を読ませていただいたと言う感じです。
傑作です。
2008/6/30(月) 午後 5:29
pompuさん
いつも真摯なコメントありがとうございます。
最近は医療関係のドラマや映画が多いのですね。テレビはあまりみないので知らなかったです。映画とかお薦めありましたらぜひ、教えてくださいね。
旅行帰りでお疲れのところ本当にありがとうございます。
今後ともよろしくです。
2008/6/30(月) 午後 11:55 [ npon0124 ]
先日病院にいった際に、医師の説明が事務的だなぁっと感じることがありました。そのことを友人に話したところ「親切だね〜」と言われました。人によって捉え方が全然違うことを改めて実感しました。
うまく説明できませんが……(ちょっと話がそれててすみません)
nponさんのお話はとてもスキです。次回も楽しみにしています。
また来ますね♪
2008/7/1(火) 午前 0:26 [ m_i*od*ri ]
m_ilodoriさん
とても優しくて温かいコメントですね。ありがとうございます。
そうですね、人によって解釈が違うことってたくさんあると思います。何が正しいのかは僕にはわかりません。みんなが正しいと思うことなんて、ほんとは正しくないのかも知れません。誰かが正しいと思ったことと、自分が正しいと思ったことは重ならないことのほうが多いでしょう。だから、僕は人の声になるべく耳を傾けて、何が正しいのかよりも、その人と自分の心の両方に問いかけてみようと思っています。
病院に行かれたとのこと。体調は大丈夫ですか。
またのご訪問を楽しみにしています。
それではおやすみなさい・・
2008/7/1(火) 午前 0:53 [ npon0124 ]
医者は多くのオペをこなすうちに自らの手で人の生死を変えたと錯覚するようになる。名医も傲慢になるわけですね。人工授精や安楽死、さらには死刑制度など、人と生死の関わりについて思いを馳せることが出来ました。私も傑作を押します。
2008/7/1(火) 午後 4:01 [ つうくん ]
既にDVDにもなっている「医龍1,2」と最近の映画ですが「バチスタチームの栄光」をお勧めします。
医龍のほうは俳優も雰囲気に合った人たちで固められてます。 1と2はただ続いているわけではなく、さらなる展開がありますので是非。
2008/7/1(火) 午後 7:35
tsu*asa*kk さん
人の生死の問題は難しいです。科学の急激な進歩が、その難しさに輪をかけたのだと思います。いったいこの世の誰に、ひとを、他人を生かしたり、殺したりする権利があるのでしょうか。
2008/7/2(水) 午前 1:18 [ npon0124 ]
pompuさん
早速の情報、ありがとうございます^^
「バチスタチームの栄光」って聞き覚えがありますね。「医龍」もどこかで聞いたことありますよ。休みのときにでも見ようかな。
いつもいろいろありがとうございます!
2008/7/2(水) 午前 1:20 [ npon0124 ]
命が生きることも、絶えることも、本来は自然に起こる「現象」であるべきだと思います。
でも、息絶えそうな人がもっと生きたいという時、助けてあげられるなら、それをダメだという権利もありません。
ただ、命は他の命を犠牲にして存在しているのですから、相対的には「生かされている」ものですが、絶対的には意思とは無関係に「生きている」ものだと思います。
自分の意思でも他人の意思でもなく「生きている」のですから、誰かが誰かを生かしてあげるなんていうのは、とんでもないおごりで、奴隷を拷問をする人が、そう言うのと同じくらい卑劣です。
このお父さんの言うように、誰かを一人にしないという思いの延長線上に医療はあるべきだと思います。少なくとも患者にとってはそうです。
2008/7/2(水) 午後 10:18 [ - ]
やよいさん
いつも親身なコメントありがとうございます。
命と意思の関係、とっても深く、難しい問題ですね。
そして「生きる」と「生かされる」は表裏一体なのかもしれないです。
おっしゃるように、誰かの命をどうにかする、というのはとんでもないおごりだと思います。
>>誰かを一人にしないという思いの延長線上に医療はあるべきだと思います。
その通りです。他人に対するおもいやりこそが、病を治す最良の処方箋だと僕は思うから。
2008/7/3(木) 午前 1:37 [ npon0124 ]
人は死ぬまで生きている−きっと千の風になるっていいかた正鵠を射てるかも。もともと命は風なんだから。
2008/7/9(水) 午後 8:22
海の向こうさん
命は風とは言い得て妙ですね。たしかにその通りかもしれません。
人の命も自然という大枠のなかで存在するのであり、本人以外の人間がどうこうできるものではないのだと思いました。
2008/7/10(木) 午前 1:23 [ npon0124 ]
ときに治し
しばしば慰め
つねに癒す
宮沢賢治「銀河鉄道の夜」の一場面ですね。小生も好きなくだりです
ちなみに、「教授と外科医」の会話は、nponさんによる作品なのですか?
とても味わい深い物語を読ませていただきました
2008/9/11(木) 午後 5:33
キハ58さん
ご訪問&コメントありがとうございます!
僕も賢治の作品は好きで、よく読み返しています。
ちなみに上の会話は一応、自分で書きました。
またそちらにもお伺いさせていただきますね。
今後ともよろしくお願いします!
2008/9/12(金) 午前 0:58 [ npon0124 ]
nponさんのところにお邪魔すると、必ずこの短編を開いてしまいます。
いつかは、この物語をモチーフに、1枚の写真を表現してみたいと思っているのですが、
小生の感性と力量では・・・残念ながらそれは実現できそうにありません。
「この広大な宇宙の中で 誰かに生かされている」・・・ということ
そして・・・
「自分を生かしてくれたものの一つが、まもなく この世から去る」・・・ということ
この ことば を 、どのように画にしたらよいか、さっぱり見当がつきません。
やはり、良い物語ですね。 大事にして下さい。
2008/10/28(火) 午後 8:34
kihaさん
僕はkihaさんの写真にインスパイアされています。モノクロはノスタルジーとともに、素朴で実直で、そしてありのままの姿を写し出しているような気がするんです。
物語にたいするコメントありがとうございます。このコメントも一緒に大事にしていきます。
2008/10/28(火) 午後 10:46 [ npon0124 ]
ご無沙汰しております。その後いかがお過ごしでしょうか。
こちらの物語に触発されて、ひとつ写真&記事を綴ってみました
やはり残念ながら、この「物語」の世界の全てを表象する1枚ではないのですが
多大な影響を受けていることは疑いありません。不躾ながら、TBさせて頂きます
2009/1/9(金) 午前 1:17
キハさん
こちらこそご無沙汰しておりました。
元気にしていますか?そしてあけましておめでとうございます。
野菜の写真、拝見させていただきました。記事の方もじっくり読みたいので、後ほどコメントさせていただきますね。
画にすることってほんとに難しそうですね。でも、この話に触発されたなんて光栄です。僕もキハさんの写真に触れて、今度何か記事を書ければなぁと思っています。
そんなわけで今年もよろしくお願いします!
2009/1/10(土) 午前 0:12 [ npon0124 ]