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冬晴れの空や法華の声に張り     廣田 可升

『合評会から』(池上七福神吟行)

命水 雲ひとつ無い空にしっかりとした読経の声が響いていました。
綾子 まさにこの通りでした。
冷峰 日蓮宗は経文、御題目とも元気が良いのが取り得ですね。
          *       *       *
 句会の仲間連れ立ち都内近県の七福神を巡拝して句作する「新春恒例七福神吟行」。平成15年1月「谷中七福神」を第1回として、いつの間にか16年も続けてきた。都内のめぼしい七福神はほとんど回ってしまい、今年は池上七福神ということになった。
 池上と言えば何と言っても日蓮宗大本山本門寺。この日(1月5日)は松の内の土曜日とあって和服に華やいだ姿も、ガイジンさんも混じって大賑わい。新年を賀す南無妙法蓮華経の唱和が大伽藍に鳴り響いていた。冷峰さんじゃないが何と言っても日蓮宗のお経は元気がいい。平成最後のお正月は、内外情勢厳しく景気も下降気味。ともすれば湿りがちな気配を、この日の雲一つ無き抜けるような青空とお題目が吹っ飛ばしてくれた。(水)

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また元の二人に戻り七日粥     嵐田 双歩

『季のことば』

 松の内はあれやこれやあり、来客もそれなりにあって賑やかに過ごしたが、七草粥の今日はまた老夫婦二人だけのひっそり閑とした住まいに戻ったなあという感懐。
 この句は何と言っても「七日粥」が利いている。静かで慎ましい年寄り二人の朝餉の雰囲気、それも健康と長寿を祈りつつ啜る七草粥で締めたのがいい。寒の朝の空気も伝わって来る。おそらく大して喋ることもないのだろう。別に喧嘩しているわけではないのだが、若い頃のように喋りちらすようなことがすっかり無くなっているのだ。あれこれ言わなくてもお互いの考えていることは大概分かる。
 きのうの本欄に掲げた、子や孫が揃って賑やかな元日風景を詠んだ句の続編のような感じである。これからまた一年静かな暮らしが続くのだが、お互い何とか健康で行きたいなあと言わず語らずで伝え合っている。ダンナが黙って茶碗を差し出す、カミさんは七分目によそったのを差し出す。お代わりの塩梅もすっかり心得ているのだ。(水)

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元日や三代揃ふ小半日     井上 庄一郎

『季のことば』

 時の流れは切れ目無く続き、本来、折り目節目など無いはずなのだが、「元旦」だけは別物である。初日の出を仰ぎ、屠蘇を祝い、雑煮膳を囲むと、いかにも改まった気分になる。大晦日も元日も一続きの冬の日なのに、「おめでとうございます」と言い交わすと途端に清新の気に包まれる。
 やはり「一月一日」という一年の始まりを告げる日付がいい。これで気分も引き締まる。中国のように新年の祝いを昔ながらの旧暦で行うと、福寿草も咲き草の芽もしっかり伸びて、季節的には「初春」「新春」になるのだが、日取りが毎年変わってしまい、今年は二月五日が旧正月の元旦ということになって、何となく中途半端な感じである。私たち日本人は明治以降もう150年も「真冬のお正月」に慣れてしまっている。
 元日にはおじいちゃんおばあちゃんの家に子や孫が集まる。普段は静かな年寄り夫婦の家がわっと賑やかになる。しかしそれは小半日だけ、というのが面白い。お年玉をせしめた孫たちは早くも次のお目当てに移動せんと動き出すのだ。(水)

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一福をめぐりめぐりて一万歩     塩田命水

『おかめはちもく』

 「めぐりめぐりて」のような言葉の重ね方が成功することもるが、失敗例も少なくない。この句の場合、失敗とは言えないが、効果が十分に表れていないと思う。七福神を「一福」ずつ廻って、ということだが、「一万歩」を結果として挙げ、「七福」の文字が出てこないのはもったいないではないか。
 「みめぐりも一福とかや詣づべし」(大橋越央子)。これは向島・三囲(みめぐり)神社の恵比寿様だけをお参りしよう、という句だから、「一福」に必然性が感じられよう。掲句の場合も「一福」から七福に至ることはごく自然に理解できるが、それよりも効果的な詠み方が他にありそうである。
 「めぐりめぐりて」と重ねず、「めぐり」だけで留めたらどうか。すなわち添削案は「一福をめぐり七福一万歩」としたい。曹禅寺の布袋尊に始まり、微妙庵の毘沙門天、本成院の福禄寿、厳定院の弁財天など・・・。本門寺とその周辺の福神たちを集めた「七福」こそがお参りの主役と思うのだ。(恂)

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小さき頃父と来た坂福詣り     池村実千代

『この一句』

 日経俳句会、番町喜楽会の合同七福神詣吟行(一月五日)からの一句。東京・池上の本門寺を中心にした各寺を巡って一万歩余りを歩いた。本命の本門寺は周辺の商業地・住宅地から石段百段ほどを登った高台にある。周辺の寺院のいくつかを詣でた後、大本山の石段には一苦労の人も見受けられた。
 作者は幼い頃、父上といっしょに池上の坂を上ったことがあった。その坂は本門寺の境内なのか、周辺の道路なのかは不明だが、「坂」の一文字によって、さまざまな景色が見えてくる。思い出の坂である。当たり前だが、傾斜のある道だ。幼い頃、寺を目指して坂を上っていったのだろうか。
 この吟行に参加した人は「あの坂かな」などと思いを巡らせたに違いない。上り坂の先には空が見えただろうし、下りなら門前の商店街を通って行ったのかも知れない。お父さんと手をつないでいたのか。では、お母さんは? 読み手は自分に置き換え、いろんなことを考えてしまうのだ。(恂)

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