NPO法人双牛舎

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てっぺんにたどりつかぬに花疲れ   大澤水牛

「この一句」

 一読してすぐの感想は「なんと無精な、もっと我慢を」だった。花見に出掛けた以上、初志貫徹、いかに人波にもまれようとも、それが吉野の山であろうが、箱根の山であろうが、山桜に紅枝垂、また染井吉野など、しかと花を見、心に留めるべきだと。それができないのは体力の衰え、気力の衰えの為せる業。この一句は、そういう老人の作品、高齢社会の産物ではないか、と。
 しかし、再読、三読するうちに、味わいが変わってきた。「花疲れ」とは、首を曲げたり、目を細めたりして様々な花を見て歩くことによる体の疲れ、人々と行き交うことなどによる気の疲れをいうのだろう。作者は、それらと同時に頭の中の花に疲れたのではないか、と気付かされたのである。桜を見たことで、それまでの桜の記憶が一気に甦り、動く気が失せたのでは…、と。 
「さまざまのこと思ひ出す桜かな」という芭蕉の句が作者の脳裏を掠めたかどうかは不明。ただ、桜の花がなければ春の世はさぞ長閑だろうとか、容姿の衰える嘆きを花の色に託してとか、桜は様々に詠まれてきた。となると、桜の楽しみ方も様々でいい。必ずしも天辺まで行く必要はあるまい。中腹で一服、天上・眼下の花を眺めつつゆるり一献というのも一興ではないか。(光) 

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胎内の記憶語る子春ともし     徳永 木葉

『この一句』

 句会終了後、エレベーターで一階に降りた後、鈴木好夫氏(医師)と句の作者のやり取りが興味深かった。「胎児に胎内の記憶はないでしょう」(鈴)、「いや、本当に記憶を話す人がいますよ」(徳)、「実際に証明されたら大変なことだ」(鈴)、「親の言葉は胎児に聞えているそうですし」(徳)
 幼児の頃の記憶は人によってさまざまだ。私は三歳当時、母方の祖父の通夜を覚えている。それ以前の記憶も当然あるはずだが、忘れてしまうのだろう。そうなのだ、忘れるのだ、と私は気づいた。記憶のいい子なら二歳時、一歳時のことは覚えているはずだし、さらに胎内のことも・・・。
 子供が話し始めるのは一歳過ぎからだという。その頃、胎内の記憶を語っているのかも知れない。しかしやがてこの世の記憶が積み重なり、胎内のことは忘れ行く。私はとても面白い句だと思っていたが、以上の会話に口を挟むことなく、酒場に向うお二人と別れた。神田の春燈が瞬いていた。(恂)

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花の下昭和息づく写真館   杉山 三薬

『この一句』

 花冷えの中、日経俳句会の創設者故村田英尾先生のお墓参りを八王子霊園で終え、武蔵野に明るい作者の計らいで小金井公園に足を運んだときの吟行句だ。
 この公園には、「江戸東京たてもの園」という昔の様々な建築物を保存している施設がある。目玉は移築された高橋是清邸で、吟行に参加した何人かは惨劇の現場に触発された句を詠んだ。
 作者は熱心に吟行に参加するが、集団で歩くことを潔しとせず単独行動を好む。いつぞやは一人、貸し自転車で浅草を疾駆したこともあった。この句も誰も取り上げなかった昭和の写真館「常盤台写真場」での詠だ。
 「カメラマンなら、じっくり見たいポイントでした」とはてる夫さんの選評。その通りで筆者(双)は、昔の写真館の二階に設えられた写場に魅入った。採光のための大きな窓、いくつも並んだライト、ホリゾントという背景の幕などなど、正に「昭和が息づいて」いるようだった。今やほとんどの人がスマホなどで気軽に写真を撮る時代に、レトロな香り。なんだか自分の想いを代弁してくれたような句で、嬉しかった。 (双)

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陣馬山遠く遠くに春ともし     野田 冷峰

『この一句』
 山好きの先生が遠くを指さして言った。「この先に景信山があり、その先に陣馬山がある」。小学生の頃、いま人気の高尾山に遠足で登った時のことだ。その陣馬山に高校時代、一度登った。近くの青年団の登山に誘われたのだが、楽な高尾山に比べて「これが本物の山なのかな」と思ったものだ。
 高尾山からは遥かな新宿方面を初め、下界の民家などが見えていた。ところが陣馬山からの風景は、山また山の記憶しか残っていない。標高は八五五叩D耕遒篁獲の中央・南アルプスとは比較にならないが、高尾山よりかなり高く、人里からずっと遠いところという印象が残っている。
 あの陣馬山で日が暮れたら、まさに掲句のような風景を目にすることだろう。「遠く遠くに」と重ねた表現が胸に応え、六十年以上も前の記憶が甦ってきた。この句会では井上庄一郎さんの「山峡に春燈ぽつり無人駅」が票を集めた。人は山に登って里を恋い、里に戻って山を恋うのである。(恂)

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二千円あれば一日春の道     植村 博明

『この一句』

 意表を突く句である。「二千円あれば」と謎をかけ、「一日」とぶっきらぼうに答えを投げ出したうえで、春の道に続ける。最後まで読んでやっと句意が掴める。すると情景が浮かび、思わずニヤリとする愉快な句である。
 春の陽気に誘われて外出したのは、おそらく元気な年寄りであろう。気軽な服装で、草花を愛でながらの散歩だろうか。途中で冷たい飲み物を買い、いつもより足が延びる。お腹が減ったら蕎麦屋で何か食べる。ビールの一本も付けようか。歩き疲れたらバスに乗って帰ってもいい。二千円あれば春の一日を結構満喫できる。元気に老後を楽しむ昭和生まれの年金生活者の姿が浮かんで来る。
 団塊の世代が75歳の後期高齢者入りし、年金財政はひっ迫の度合いを増すと言われる。平成生まれの若い世代は年金支給開始年齢がさらに引き上げられ、支給額も抑制されるのではないかと懸念している。
 この句を採ったのは年金受給世代で、「理想的な暮し」と同感している。ただ若い世代は複雑な感慨を抱くかもしれない。20代、30代の感想を聞いてみたいものだ。(迷)

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