「神功皇后紀を読む会」通信(主宰・福永晋三)

次回は、6月9日土曜13:00〜17:00、阿佐谷地域区民センター第1集会室

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漏刻

 糸田の泌泉が天智天皇の漏刻跡だと確信した。すると、また新たな謎が生じる。泌泉には承安四年(1174)に神体台板に刻まれた文章が遺されている。「旧記に曰く、糸田の庄の金村権現宮は天智天皇七年秋八月、右大臣金連公造営せしめらるる所なり。」
  日本書紀には天智十年に中臣金連が右大臣に昇進し、同年に「初めて漏刻を造る」と記されている。更に斉明六年にも須弥山を造る記事と皇太子が「初めて漏刻を造る」記事とがある。漏刻は果たして何年に「初めて造られ」たのか。
   斉明六年には百済の王子豊章を本国に帰したとの記事もあり、割注に実際は斉明七年のことだと記している。ひょっとすると漏刻記事も斉明七年の可能性がある。
   次に、天智紀には有名な七年離れた重出記事の例がある。天智三年の官位授与の件が天智十年に重出する。斉明天皇は七年に病没し、天智が「称制」したとある。七年の数字が重なる。
  ここから、天智の称制は斉明元年に始まったのではないかと推理した。つまり、斉明元年=天智元年と数える史料が豊前に存在したのではなかろうか。すると、斉明七年に造られた漏刻は豊前では天智七年に造られたことになる。
  日本書紀の天智三年の官位授与は豊前の史料では天智十年の事であり、日本書紀がまた天智十年に重出させた。ここに七年ズレの問題が一つの解を得る。
  漏刻は豊前の天智七年(661)に糸田の地に造られた。一方は日本書紀の斉明六年に、もう一方は天智七年を誤って天智十年に配したのではないか。これが私の解である。

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朝倉郡辺りに参勤交代に使われた秋月街道という、盆地間を結ぶ
峠の近道があったそうですが、ヤマトの枕詞"アキズシマ"との関連
付けは強引でしょうか。 削除

2017/10/5(木) 午前 11:00 [ 吉田中学 ] 返信する

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卑弥呼の墓御発見おめでとうございます。
世界史上空前絶後の素晴らしい推理ですね。
福永先生の推理力のおかげで、記紀神話の登場人物はみな生老病死を諸行無常に生きる人間だったことが明らかになったのですから。
神様と雖も人間であるならば、誰も地球を「所有」することなどできませんね(笑)
神様を崇める一神教がすべて、人間だけが陥る煩悩の闇から生まれた妄想に過ぎないとわかります。
政教一致、祭政一致はそれゆえ煩悩妄想を政治の根幹に据えて神様を崇めるために政治するので、これこそがカルトの定義となります。
「カルト=政教一致」ですね。
ちなみに十七条憲法と日本国憲法第二十条では政教一致を明確に禁じています。

記紀の登場人物のうちで残る謎は藤原鎌足と藤原不比等が誰なのかどこにいたのかだと思います。

福永先生の益々のご健勝とご研究の一層のご発展をお祈り申し上げます。

豊岳正彦拝

南無父母無二佛 合掌 拈華微笑 削除

2018/4/10(火) 午前 9:08 [ 豊岳正彦 ] 返信する

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前項訂正

ちなみに仏法(お経・・・仏教伝道協会出版和訳仏教聖典を参照)と十七条憲法と日本国憲法第二十条では政教一致を明確に禁じています。 削除

2018/4/10(火) 午前 9:31 [ 豊岳正彦 ] 返信する

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真実の仁徳天皇が実施した「民のかまど」政策ですが、いまから約2600年前にインドで釈尊が説いた教えの言葉すなわちお経(政教分離です)の、華厳経第三四入法界品、金光明経第一二四天王護国品、大薩遮尼子所説経などに同じことが王たるものの務めとして説かれています。
和訳仏教聖典「なかま」第二章生活の指針第三節もろ人のために第二、三、四項をご参照下さい。
あるいは私がコメント欄に投稿した仏教聖典テキストを以下の頁でご覧下さい。
lm2lm3.blog129.fc2.com/blog-entry-714.html

この時系列で、老子の道教孔子の儒教のあとから中国に入った佛教が儒教も道教も従えて最も尊い教えとして中国の王朝が帰依したことがわかります。
いわゆる佛教の異教への寛容です。
よって孔子の後世の弟子である孟子が伝えた孝経は即ち2600年前インド佛教の父母恩重経義疏でした。 削除

2018/4/10(火) 午前 10:21 [ 豊岳正彦 ] 返信する

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佛教発祥時のインドも中国も日本もすべて太陰暦です。
太陰暦の一日は夜明けの日の出から始まり次の日の夜明けまでが一日の長さです。
漏刻の時報は太陰暦で告げられたから、夜中の水番は必要なかった。
毎日夜明け前に起きて夜明けとともに時の鐘を撞いてみなに時を知らせればよかったのです。鶏と殆ど同じですね。
鶏の体内時計も太陰暦ですから当然ですが。
地球上の生命の体内時計すなわち寿命はすべて太陰暦で動いています。
植物の体内時計もやはり太陰暦だから、太陰暦は即ち農事暦となるのです。
日本は釈尊誕生の2600年前よりも遙かに昔の1万年くらい昔鬼界が島カルデラが大噴火して火山灰に埋もれた鹿児島指宿の縄文遺跡に米粒が発見された如く、本当に太古からジャポニカ米が広州からもたらされるよりもっともっと大昔から倭人が米を作っていた農本主義の太陰暦国でした。
と、考古学の遺跡が証明しています。 削除

2018/4/11(水) 午前 9:52 [ 豊岳正彦 ] 返信する

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和歌すなわち倭歌すなわちやまとうたの季語もすべて太陰暦です。
百人一首持統天皇作じつは木幡乙女髪長姫宇治天皇皇后作の
「春過ぎて夏来るらし白妙の衣干したり天香具山」
の春も夏も太陰暦だから、春は旧暦元旦から睦月如月弥生であり、夏は卯月皐月水無月で、ついでに秋は文月葉月長月、冬が神無月霜月師走で、3年に一度師走のあとに閏月をいれてひと月28日の調整を春分秋分に併せて行いました。
西行法師「願わくは花の下にて春死なむその如月の望月の頃」の歌で、花の季語は如月だから太陽暦のおよそ3月上旬〜4月初頭の28日間(陰暦ひと月は月齢と一致するから28夜で数えます)にあたり、この和歌の花は桜でよかろう、となります。
ついでに望月とは十五夜の月を指すから、この歌に歌われた年月日まで太陽暦で推測が可能でしょう(笑)
これも和歌が読み解く太陽暦の歴史ですね(笑) 削除

2018/4/11(水) 午前 10:42 [ 豊岳正彦 ] 返信する

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修道学園27期生同期会メーリングリストに投稿しました。

「女性とこどもを何よりも大切にする日本人無有仏教徒」

貴乃花も同じことを言って居ります。
実に名文です。私と違って(笑)


貴乃花親方の"女と土俵の関係"発言に万葉学者も深く納得...相撲道の真髄とも言える"ある由来"とは!!
h
ttps://www.youtube.com/watch?v=9lPbEP29fQQ



南無父母無二佛合掌

拈華微笑 豊岳正彦 削除

2018/4/17(火) 午前 9:16 [ 豊岳正彦 ] 返信する

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そういえば九州場所の貴乃花部屋は田川市でしたね。香春町でしたか? 削除

2018/4/17(火) 午前 9:20 [ 豊岳正彦 ] 返信する

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[shudo27.2646] 貴乃花相撲道寄稿文

2016年9月27日豪栄道の全勝優勝を称えて貴乃花がスポーツニッポン紙に寄稿しました。
h
ttps://www.sponichi.co.jp/sports/news/2016/09/27/kiji/K20160927013430950.html

貴乃花親方特別寄稿 豪栄道よ「本物の横綱」になれ

貴乃花親方
大相撲秋場所で15戦全勝の初優勝を成し遂げた大関・豪栄道(30=境川部屋)について、前回の日本出身全勝優勝力士、貴乃花親方(44)がスポニチ本紙に特別寄稿。相撲内容を称賛するとともに、これからの相撲人生に向けて激励の言葉もつづった。

全勝優勝は誠に輝かしい実績であり、誉れに値する記録になった。それは母子の愛によるもの、師弟の愛によるものだと思う。

つづく 削除

2018/4/17(火) 午前 9:58 [ 豊岳正彦 ] 返信する

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つづき

相撲内容も格段によかった。将棋で言えば、「王将を取らなければ勝ちはない」、それを実践していたかのような詰めを意識した相撲だった。攻めてよし、守ってよしの取り口は本物の相撲愛好者を魅了する。

誠実は日々の生活にあり、「勝って兜(かぶと)の緒を締めよ」とは「勝てば勝つほど辛(つら)くなる生活が待っているが、それに負けるな」という意味である。

日々の稽古、日々の試練、日々の鍛錬を事欠かぬよう、来場所の綱獲りを見据えるだけではなく、本物の横綱を目指してほしい。

貴乃花光司



[ 2016年9月27日 09:45 削除

2018/4/17(火) 午前 9:59 [ 豊岳正彦 ] 返信する

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野見宿禰と当麻蹴速は以下の如く九州ですね。ウィキペディア
、垂仁天皇7年(紀元前23年)7月7日 (旧暦)にある野見宿禰と「當麻蹶速」(当麻蹴速)の「捔力」(「すまいとらしむ・スマヰ」または「すまい・スマヰ」と訓す)での戦いがある(これは柔道の起源ともされている)。この中で「朕聞 當麻蹶速者天下之力士也」「各擧足相蹶則蹶折當麻蹶速之脇骨亦蹈折其腰而殺之」とあり、試合展開は主に蹴り技の応酬であり、最後は宿禰が蹴速の脇骨を蹴り折り、更に倒れた蹴速に踏み付けで加撃して腰骨を踏み折り、絶命させたとされる。これらの記述から、当時の相撲は打撃を主とする格闘技であり、既に勝敗が決した相手にトドメの一撃を加えて命までをも奪った上、しかもそれが賞賛される出来事であった事から見ても、少なくとも現代の相撲とはルールも意識も異なるもので、武芸・武術であったことは明確である[2]。宿禰・蹶速は相撲の始祖として祭られている[ 削除

2018/4/18(水) 午前 5:30 [ 豊岳正彦 ] 返信する

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さらに古くタケミカヅチとタケミナカタも九州ですね。ウィキペディア相撲より

日本における相撲の記録の最古は、『古事記』の葦原中国平定の件で、建御雷神(タケミカヅチ)の派遣に対して、出雲の建御名方神(タケミナカタ)が、「然欲爲力競」と言った後タケミカヅチの腕を摑んで投げようとした描写がある。その際タケミカヅチが手を氷柱へ、また氷柱から剣(つるぎ)に変えたため掴めなかった。逆にタケミカヅチはタケミナカタの手を葦のように握り潰してしまい、勝負にならなかったとあり、これが相撲の起源とされている。 削除

2018/4/18(水) 午前 5:33 [ 豊岳正彦 ] 返信する

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さらに相撲行司の元祖吉田司家は熊本県だったようです。ウィキペディア立行司より

立行司(たてぎょうじ)は大相撲の行司における最高位の階級で、かつては力士の横綱と同様に吉田司家の立行司免許を必要としたため、行司の横綱に相当する。

Wiki吉田司家より

吉田司家(よしだつかさけ)は、現在まで800年以上の歴史を持つ、五条家に代わる相撲の司家、家元である。
起源[編集]
志賀清林を祖とする志賀氏の断絶後、志賀氏に代々受け継がれてきた故実・伝書などを受け継いだ初代、吉田家次(吉田豊後守 ぶんごのかみ)から始まり、相撲の宗家として代々「追風」の号を名乗る。元来、京都二条家に奉公し節会相撲の行事官として務めていた。その後、二条家の許しを受け、細川綱利に招聘され熊本藩に仕え、武家奉公をした。以来、熊本県熊本市に住む。相撲に関する全権は、後鳥羽天皇より委ねられたという。

これは古代九州とは別かも知れませんが、水面下で倭の五王となにか関係があるかもしれませんし。 削除

2018/4/18(水) 午後 9:03 [ 豊岳正彦 ] 返信する

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今日島根県益田市須子の高角川対岸の柿本神社に遊びに行って思い出しましたが、記紀に一切登場しない万葉集最大の歌聖柿本人麻呂も未だ残る最大の謎になりましたね。
益田市には柿本人麻呂は天武天皇だったと考えておられる発掘研究者が居られます。その人によると益田市知狂个篭舷瓦竜瑤箸なじサイフォン式の暗渠によって湖水が豊富に供給されている遺跡が認められるようです。
非常に魅力的な話だと思います。福永先生は万葉集の研究の第一人者ですから、万葉の歌聖柿本人麻呂の記紀作者藤原不比等に隠された本当の正体について、今後のご研究が待たれて待ち遠しいです。
先生の益々のご健康とご清栄をお祈り申し上げます。
豊岳正彦拝
南無父母無二佛 合掌 拈華微笑 削除

2018/4/23(月) 午前 0:21 [ 豊岳正彦 ] 返信する

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タラシ姫が石の上で鮎を釣ったその石をだれが見たであろうかいやだれも見ていないと歌った山上憶良は明らかに倭の五王の太宰府王朝に仕え働く役人で万葉集選者大伴家持と親しく面識がありました。
たぶん太宰府で家持と酒を飲みながら歓談した際に作ったと思われる歌が貧窮問答歌でしょう。
しろがねもくがねもたまもなにせむにまされるたから子にしかめやも
大和民族すなわち孔子が憧れた倭人が無有大陸時代以来先祖代々このように仏法の大慈悲でわが子を限りなく慈しんで美しい姿のかぐや姫の悲母と桃太郎の慈父が赤子を無上の宝物として大切に抱っこして優しい笑顔で元服するまで決して叱らずただ限りない慈愛で包むという「躾け」を施して育て上げた「親心」を歌った万葉集を代表するオオミタカラ百姓の倭歌すなわち大和歌すなわち和歌でありましょう。

南無父母無二佛 合掌 拈華微笑 削除

2018/4/23(月) 午前 7:30 [ 豊岳正彦 ] 返信する

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タラシ姫が石の上で鮎を釣ったその石をだれが見たであろうかいやだれも見ていないと歌った山上憶良は明らかに倭の五王の太宰府王朝に仕え働く役人で万葉集選者大伴家持と親しく面識がありました。
たぶん太宰府で家持と酒を飲みながら歓談した際に作ったと思われる歌が貧窮問答歌でしょう。
しろがねもくがねもたまもなにせむにまされるたから子にしかめやも
大和民族すなわち孔子が憧れた倭人が無有大陸時代以来先祖代々このように仏法の大慈悲でわが子を限りなく慈しんで美しい姿のかぐや姫の悲母と桃太郎の慈父が赤子を無上の宝物として大切に抱っこして優しい笑顔で元服するまで決して叱らずただ限りない慈愛で包むという「躾け」を施して育て上げたスクナビコナの「親心」を歌った万葉集を代表するオオミタカラ百姓の倭歌すなわち大和歌すなわち和歌でありましょう。

南無父母無二佛 合掌 拈華微笑 削除 削除

2018/4/23(月) 午前 8:36 [ 豊岳正彦 ] 返信する

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タラシ姫が石の上で鮎を釣ったその石をだれが見たであろうかいやだれも見ていないと歌った山上憶良は明らかに倭の五王の太宰府王朝に仕え働く役人で万葉集選者大伴家持と親しく面識がありました。
たぶん太宰府で家持と酒を飲みながら歓談した際に作ったと思われる歌が貧窮問答歌でしょう。
しろがねもくがねもたまもなにせむにまされるたから子にしかめやも
大和民族すなわち孔子が憧れた倭人が無有大陸時代以来先祖代々このように仏法の無我無心大慈悲でわが子を限りなく慈しんで美しい姿のかぐや姫の悲母と桃太郎の慈父が赤子を無上の宝物として大切に抱っこして優しい笑顔で元服するまで決して叱らずただ限りない慈愛で包むという「躾け」を施して育て上げたスクナビコナの「親心」を歌った万葉集を代表するオオミタカラ百姓の倭歌すなわち大和歌すなわち和歌でありましょう。

南無父母無二佛 合掌 拈華微笑 削除

2018/4/23(月) 午前 9:00 [ 豊岳正彦 ] 返信する

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タラシ姫の石の歌は山部赤人だったかもしれません。ちょっとうろ覚えなもので(笑)

山上憶良が大伴家持と同時期に同じ王朝の役人だった、の話は万葉集の歌書にあるから九州にいたことは確実です。

山部赤人も柿本人麻呂と同じく万葉集の歌聖の一人で、人麻呂と同じくその名が記紀に登場しない謎の歌人ですから、赤人にも興味津々です。 削除

2018/4/23(月) 午後 6:44 [ 豊岳正彦 ] 返信する

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「闘将星野に続くことわずか4ヶ月未満で鉄人衣笠選手もガンに倒れる」
!!!

日本の国家予算100兆円医療費40兆円でそのうち厚労省発表で10兆円がガンの医療費である。
ほんとうは超高価な抗がん剤や遺伝子治療や放射線治療を厚労省に認可させるための莫大な金を使ったロビイ活動がなされており、
これらの高額治療が開発で消費する電力料金(原子力ムラ)その他を補助金で賄っていることを併せて勘案換算すれば実質ガン医療費は20兆円弱になっている。

これほどの巨額を毎年治療研究に費やしているとしたら、普通の国ならとっくの昔にガンなど消えうせてしまっているはずだが、
日本厚労省保険医療死因統計では毎年成人のガンによる死亡が激増して昨年はついに死因統計が始まって以来初めてガンが成人死因の第1位となった。
いまや成人国民の3人に1人以上がガンで天寿を全うできずに亡くなってしまうのである。それも、唐突に。

一体世界唯一の被爆国日本の厚労省医政局保険医療のガン治療研究医学界はなにをやっているのか。恥を知れと思う。

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2018/4/25(水) 午前 4:26 [ 豊岳正彦 ] 返信する

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「闘将星野に続くことわずか4ヶ月未満で鉄人衣笠選手もガンに倒れる」
!!!

奇跡体験アンビリーバボー!のユーチューブを紹介する。みんな見てね。

h
ttps://www.youtube.com/watch?v=NLIGGlboPWo

これは山がもたらした奇蹟などでは無い。
日本の病院の厚労省ガイドライン抗がん治療をすべて止めて日本脱出したら一発で治った実録である。

日本のガン医療は治療と称して毎年18兆円もの医療費を国民から治療費と称して詐取して、ただただガンで死亡する成人を激増させている。
日本厚労省医政局役人の言いなりのガン医療に従事して日本中の成人をガンで夭逝させ続けている日本厚労省医師免許医師は、患者の病を治すべきなのに逆に巨額の治療費をかけて匙を投げ余命宣告しているだけではないか。

厚労省が押しつけるガン治療を止めてヒマラヤに登ってガンを本当にきれいさっぱり治したこの人に日本のガン専門医者は何て言うのか聞きたいものだ。 削除

2018/4/25(水) 午前 4:27 [ 豊岳正彦 ] 返信する

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