私は、ダウン症の弟と共に生きて40数年になります。
私が、5歳頃に生まれました。後から聞かされましたが、当時母は、弟を背負って何度も踏切へ…。
でも、背中で笑う弟を見ると、思いとどまったそうです。
小学校に入ると、「おまえの弟バカじゃない?。」という友達の言葉がショックで、学校に行きたくなくなったこともありました。弟を連れて近所の公園に行くと、「病気がうつるけん、遊ぶとダメ。」という大人の声を聞いたことも度々ありました。家に帰って、「何でおれだけこんなに言われなきゃならないと?。」と言うと母は、「ごめんね。つらい思いをさせて。」って一緒に泣いてくれたこともありました。
ずっと弟のことを憎く思っていました。でも母は、弟のことも精一杯面倒みて、私のことも精一杯何でもしてくれました。そんな姿をみると、なんとなく「頑張らなきゃ。」って思うようになってきました。親の背中を見て育つってことですかねえ…。そんな不安を一緒に解決してくれていったのが親友の存在でした。いつも一緒にいてくれて、弟の悪口を言われると、かばってくれました。親友の存在があったから、なんとか乗り切れたんだと思います。
友達の存在って大きいと思いますよ。
大学を目指すとき、母親から「あなたは弟のことは考えなくていいから、自分の好きな道を進みなさい。」って言われました。そのつもりでしたが、ずっと両親の姿をみてきた私は、自然と社会福祉の道を選びました。そこで同じ境遇の先輩との出会いが、私の夢、進むべき道を示してくれたのです。「教員になろう。一緒に福祉の心をもった教育を小学校でやろう。」と夢から目標になっていったのです。
教員採用試験もなかなか難しく、講師(臨時職)という立場で10年近く特別支援学校や小学校で働きました。
そんな中…母は、癌で亡くなりました。とても辛くもうどうでもいいやと思うよういなりました。しかし、そんな時、「一人で考え込むなよ。俺がいるから何でも相談しろよ。」っていう従兄弟や友達の言葉が、再び私の生きる力になっていきました。
そんな時、弟のことを理解してくれる妻と出会い、結婚…。結婚式では、その先輩の涙ながらの友人代表スピーチで号泣してしましました。子どもにも恵まれ、偶然にも先輩と同じ小学校で仕事してた年に採用試験にも合格し、正規職員として働き始めました。今、先輩と同じ地域で仕事しています。先輩は、今でも私の目標です。もう一度一緒に同じ学校で仕事できることを夢みて…。
子ども達も生まれながらに障害をもった「おじさん」と共に生きてきました。長女は今大学2年、特別支援教育の世界を勉強してくれてます。もうすでに私を越えたような気がします。嬉しい限りです。
だらだらと書いてきましたが、私は、弟に感謝しています。弟のおかげで周りの人達のことを考えながら生きていけているように思います。子ども達もそんな心の優しい人に育ってくれてます。
そして、そんな私の生き方、特別支援教育の世界を小学校で子ども達に伝えていってます。これからもその思いは変わりません。
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