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1 禁止令というものは、逆にその時代に何が流行(横行)していたかがわかる、
というのが、歴史の常識である
だから、織田信長が、足利義昭に、
「オレの添え状がない限り、勝手に命令書を出すなよ!」
と、念を押した、という事は、それ以前に義昭が そういうことを しばしばやっていた、
ということである。
そして、明らかに義昭は信長に対し、
「この成り上がり者め。オレをロボットにしようと思っても、そうは行かんぞ」と
思っていたのだから、この禁止令以降、義昭がそれを本当にすっぱりとやめたか、
それともこっそり続けたか、
これは人間心理の問題だが、答えは明らかだろう
2 イスラム原理主義というものを、私なりにわかりやすく説明すると次のようなことになる
イスラムでは、豚肉食、飲酒を禁じている。
正確に言えば、「神がそのように命令している」と信じるのがイスラム教だ
という事は、とんかつを肴にビールで一杯やっている日本人は、イスラム教徒から見れば
「神の命令に反する悪人」ということになる
さて、問題はここからだ。
では、日本人は悪人だから殺してもよいのか?
そんな事はない。だいたい殺人そのものが大きな罪であるし、
イスラム教徒の大部分は歴史的に見ても異教徒に寛容であった。
つまり、イスラムになるというなら歓迎するが、
異教を信じているからと言って直ちに迫害したりしない」というのが大多数のイスラム教徒の
考え方だ。
〜中略〜
神は我らと共にある、と信じる者にしてみれば、相手と共にあるのは、
「悪魔しかいないこと」
になるのだから、大義名分は立派に成立するのである。
ただ、相手側とて、自分たちと神は一体だ、と信じているのだから、問題はややこしくなるのだ。
お互いに神の後押しを受けていると信じている者同士がぶつかるほど、禍を後に引く争いはない
日本流の「話し合い」など、一切通用しない世界なのである。そして肝心な事は、
かつては世界中で、この「神は我らと共にある」と信じるもの同志の戦いが行われていた
ということだ。
(こういう観点から、捕鯨問題について 世界的視野に立って考察していけば、
おのずと、答えは出てくるはずなんですけど、、、
捕鯨問題について 捕鯨賛成論を述べている人間の多くが 極右の人間だから、
という理由だけで、主張の正当性を吟味しようともしない人たちには 何言っても
しょうがないのかもしれません、、、
ノルウェーやフィンランドの主張の内実を まともに検証してみればいいのです、、、)
3 人類の歴史始まってこの方、「来世」に行ってかえってきたという人は、
伝説上の存在を除けば実は「いない」のである。
臨死体験というのはあくまで「この世」の出来事であって、見てきたものが本当に
「来世」かどうかは、実は誰も証明できない。
そういう認識から言えば、信長にとって本願寺などは、「巨大なまやかし」に見えたことだろう
「来世」に「極楽浄土なるものが存在し、阿弥陀如来を信仰すれば、其処に生まれ変わるなどという 教えは、
信長にとって決して認めることの出来ない教えであったはずだ。
但し、それでも一向宗の信仰の自由を認めていた、つまり、一向宗宗徒を全滅させる事は
なかったということを忘れてはならない
では、信長教の宗旨は何か?
「商売繁盛、延命長寿、子孫繁栄、家内安全、病気平癒、心願成就」
現世利益である
現実に安土城、城下町を築き、楽市、楽座政策で日本を繁栄に導いている俺をこそ
信じて敬うべきだ、というのが信長の考えだったのだ。
4 「ある特定の人物の直系の子孫を神聖なるものとして崇拝する」
これこそ天皇制の基本となる考え方で、現代風に言えば、「血縁カリスマの継承体制」と
いうべきか。
本願寺はこの一種の擬似天皇制によって、日本最大の宗教勢力に発展したということだ
つまり、歴史全体を広い視野で見るならば、本願寺は天皇制に取り込まれた、ともいえる。
だからこそ、一向一揆は決して天皇制を否定する革命理論にはなりえない。
天皇家を否定する事は、「血縁カリスマ」の否定であり、それは、本願寺宗主体制の否定に
つながってしまうからである
こうなれば、まさに顕如の時代に本願寺が、准門跡となったのも、当然の帰結である、といえよう
准門跡とは、仏教界における「名誉皇族」すなわち天皇家の一員ということなのだから
そして、もっとも大切な事は、本来の阿弥陀信仰(仏のマイには全て平等)の原理とは
明らかに矛盾する擬似天皇制をとった本願寺に、阿弥陀を信仰する人々の大部分がはせ参じた、
ということだ。
つまり、日本においては、天皇制の方が、外来宗教である仏教よりも、はるかに強い、
ということでもある
(実にこの部分は最重要です。胴体力における伊藤昇先生を、「天皇」に置き換えて
事実を追っかけていけば、実に面白い分析結果が得られるでしょう。)
5 本能寺の変の真相
今のところ私は、これは光秀の発作的な単独犯行で、黒幕などいない、と考えている。
なぜなら、もし単独犯でなく、計画的犯行であるならば、
嫡男信忠にも、一斉に軍勢を向けていなければおかしいはずなのだが、全くそれをしていなかったこと
また、毛利勢、北条勢、上杉勢などとの事前連絡も全くなされていなかったこと、
その後の朝廷にたいする対応なども、全て後手に回っていたこと
の、三点である
( 5 の 上記部分は、井沢先生の説を ブログ作者が要約)
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