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下記は、文芸春秋7月号の引用です。
杉良太郎さんを知らない人は、以下を
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E8%89%AF%E5%A4%AA%E9%83%8E
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「皇太子殿下をご案内して」
歌謡学院に通っていた15歳の時に刑務所を慰問したのを皮切りに、国内外を問わず、
福祉活動を行ってきた。
阪神大震災ではヘリコプターをチャーターして物資を運搬したし、億単位の借金を背負って、中国で
チャリティーコンサートを行ったこともある。
ベトナム・ハノイのオペラハウスで、西側諸国の人間として始めたチャリティコンサートを開いたのは
平成元年(1989年)のことだった。
以降、20年にわたり年二回、ベトナムを訪れては孤児院や学校への資金援助を続けてきた。
現在では、33人のベトナム人養子がおり、外務省からは「日ベトナム特別大使」を、
ベトナム政府からは「ベトナム日本特別友好大使」を委嘱されている。
今年2月、皇太子殿下が始めてベトナムをご訪問された。そして、私の支援する学校にも
お立ち寄りくださり、ご案内させていただく機会を賜った。
私が支援する グェン・ディン・チュウ小中学校には、百人の視覚障害児と1000人の健常児が
在籍しており、同じ教室で同じカリキュラムの授業を受けている。
障害児と健常児との共生を目指すモデル学校として、ハノイでも知られている。
2月10日、当日は構内を見学していただいたあと、講堂でコンサートをお聴きいただいた。
視覚障害児9人が、一弦琴や十六琴で、ベトナムの童謡や「荒城の月」「さくら」と言った日本の曲を
奏でた。
演奏後、殿下は子供たちの元へ足を運ばれることを急遽希望された。予想外のことに驚いたが、
そうしていただけるのなら、子供たちにとっては、これ以上にない光栄な出来事である。
その旨お伝え申し上げると、殿下は壇上に上がられた。そして、子供たちひとりひとりの手を
握りながら、お言葉をかけられていったのである
視覚障害児たちとの交流にはちょっとしたコツがある。会話の前に顔をさわらせたり、こちらを認識
させるために手を握りながら話したりするのだが、そんな説明を申し上げるまでもなかった。
結局、殿下の滞在時間は2時間にも及んだ。最後に殿下が私に向かって
「ここへご案内していただいてうれしかった。これからもこの活動は続けてくださいね。
杉さん、今日はどうもありがとう」
とおっしゃって頂いた事は、忘れられない。
ベトナムへの経済援助は諸外国からなされているが、ベトナム人が一番関心を持って見つめているのは、
人道的な支援である。
この20年間の付き合いで、私はそのことを誰よりも知っている。
自ら歩み寄りお言葉をかけられる日本の皇太子殿下のお姿に、ベトナム人の多くが心を動かされたに
違いない。
殿下のお心遣いこそが日本の心である、と、ベトナムの人たちに知ってもらえたことが何より
うれしかった。
福祉を続けてきた私は「見返りを求めない」ことを信条に50年間やってきた。
援助をした人間が相手よりえらい訳では、決してない。そして、それは国対国でも同じだと思っている。
20年前、ベトナムは確かに貧しい国であった。くだんの学校も劣悪な環境で、だからこそ
支援を続けてきたのであるが、
一方で私はベトナムの勤勉な国民性と文化水準の高さに、驚かされた。
これから大国として成長していく息吹を感じた。今は日本がベトナムへ援助を行っているけれど
今後日本がベトナムのお世話になる日が必ずやって来るはずだ。同じアジアの人間として、お互いに
助け合いながら交流していくことが、これからの時代はより求められていくのではないだろうか。
現在、私はそんなアジアの文化交流の一環として、「アジア国際子供映画祭」を企画している。
年末には日本、ベトナム、対、ラオス、ミャンマー、カンボジアの6カ国の子供たちから
3分間のショートフィルムを募集して、映画祭を行う予定だ。
日本とベトナム合作の良質な映画を作りたい、というのが今の私の夢である
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引用終了
このような人のことを「国士無双」 という。
国士を大切にしない国に 未来は存在しないのです
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