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以下は、サンデー毎日1・17日号 小川勝 Baseball Express の引用です
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渾身の一球は自分とそして誰かのために
阪神ファンにはよく知られている事実だが、藤川球児は、3年前から骨髄バンク支援の活動を
積極的に行っている。
このオフも、患者の慰問で関西の病院を2日初歩問。子供も患者やその家族と
交流した。
藤川自身、3人の子供の父親だ。病気の子供たちと話したあと
「元気になってほしい。親として思うところがあった。」と語っている。
彼がこの活動の関心を持ったのは、故郷である高知県の名門土佐高校野球部の卒業生が、
骨髄移植を求めてドナーを探しているという話を聞いたことがきっかけだったという。
骨髄移植は、白血病など血液難病の患者に必要とされる治療。
藤川は07年にドナー登録している。その後は、自分のホームページに登録した際の体験について
書いたり、07年7月29日には、球団の協力もあって甲子園球場での横浜戦、骨髄移植を受けて
病気を克服した8歳の男の子を招いて始球式を行い、藤川がキャッチャーを務めている。
08年以降もオフになると、骨髄バンク支援のイベントに参加したり、
関心を高めるための活動を続けている。
まだ29歳だが、プロ野球選手を代表するスター選手としての自覚を持ち、
社会的な貢献をしていきたいという意識は非常に高い。
球界ナンバーワンの観客動員力を誇るチームにいて、全国九の知名度があるだけに、
影響力は小さくないはずだ。
骨髄バンクのような全国規模の活動にかかわる一方、故郷の高知県にも貢献している。
経営の苦しい高知競馬に協力して、自らの名前を冠した協賛レースを提供しているのである。
阪神が優勝した05年から始めたもので、最初のレース名は
「応援ありがとう協賛22番藤川球児特別」以来、毎年協賛している。
協賛レースは1万円の出資でできるということだが、藤川は単なる協賛ではなく、
自分の背番号に合わせて22セットのサイン色紙とサインボールも提供している。
四国は多くのプロ野球選手を出している地域だけに、藤川のような指演習が増えていけば、
地域の活性化に小さからぬ好影響があるのではなかろうか。
今オフの病院訪問では子供たちの質問に答えて、現役を引退したら
「大学に行って教育を勉強したい。学校の先生になりたい」と語った。
もちろん引退はまだ先の話であるが、この計画には夫人にも話してあるということで、
思いつきで言っていることではない。
なぜ学校の先生なのかという理由については、自分の人生を振り返って、
「尊敬できる人は学校の先生だったから」と答えている。
藤川のオフの活動を見れば「人の役に立ちたい」という意思がはっきりと
見て取れる以上、これはかなり実現性の高い話に聞こえる。
引退後も解説やイベント出演などで気楽に大金を稼げる立場の藤川にとって、
教師の仕事が安定的な収入目当てではあり得ない。
本当にその仕事に意義を見出していなければ、やる理由がない。救援エースとしての活躍とともに、
彼の今後の選択にも注目したい。
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以上引用終了。
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