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(以下は日記からの転載であり、当時何かに腹を立てて書いたものですが、何に腹を立てていたのか
思い出せません。でも、この文章けっこう気に入っているので、こちらにも載せとくことにしました。)
まず、「むやみな価値観の押しつけはよくない」「相手の意見もできるだけ尊重すべき」
…というのは、基本であり、それは否定しません。
しかし、それも度が過ぎると「害悪」にしかならないのではないか? …と思います。
「すべての価値観を等しく尊重する」という姿勢は、一見とてもすばらしく思えますが、
実はそれって「すべての価値観を等しく“認めない”」と言ってるのと、ほとんど同じだと思います。
どんな相手にも等しく優しい聖人君子は、実のところどんな相手も
等しく“見下している”可能性があるわけでして。
どんなに異なる価値観も等しく平等に扱うなら、それはつまり、個々の価値を「認めていない」
ということです。「際限ない価値相対主義」は相手を尊重することとは真逆です。
じゃあ、それがどうして害悪になるのかというと、その姿勢を貫くと、
結局は「なんでもあり」の暴論まで許すことになるからです!
例えば、地球が太陽の周りを回っているとする「地動説」に対し、
僕が「すべての天体はきくりんを中心に動いている!」という斬新な新説を打ち出したとしましょう。
さて、この「きくりん中心説」と「地動説」は、等しく尊重すべきものでしょうか?
相手を尊重し、価値観を押しつけず、等価に両立させなければいけないのでしょうか?
「いろんな意見があっていい」し「価値観は人それぞれ」というのは大前提ですが、
だからと言って、すべての意見・価値観が等価じゃあないと思います。
「ただの思い込み」の説と、「一度すべてを疑う前提に立ち、検証を経た上で選択した」説とを、
等しく扱うのは不公平です。不誠実です。
仮に、きくりん中心論者が「地動説だって仮説にすぎない!」などと、
もっともらしい反論をしてきたとしても、すべての仮説は等価ではなく、
「確からしさの違い」「説得力の違い」があるんです。
大体、「地動説だって仮説にすぎない」と言う時、それはすなわち
「きくりん中心説も仮説にすぎない」と認めたのと同じことになるわけで、
実は全く自説の補強にはなってませんからねぇ。
…でも、そんないい加減な言説や、それを間接的に助長するような無責任な価値相対主義が、
世の中には溢れとりますなぁ〜、そして両者がタッグを組んで「なんでもあり」の風潮を
作り上げてますなあ〜。
だからつまり、きくりんが「Fカップ最強説」を唱えたところで、
そんなのは何の実証も経ていない思い込みの暴論にすぎないので、相手にしなくていいと、
まぁそういうことです。
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