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マニアック論コーナー、久々の更新!! (…と言っても日記のほうから転載しただけですが。)
さて、最近移動中の電車内で読んでいる「宇宙論とその哲学的意義」に関する本に、こんな文章がありました。
「量子力学においては、観測者と観測される世界とが、深遠な形で絡まりあっているということだ。
その絡まり方は、量子物理学以前の物理学では見えてこないようなものだった。
古典物理学では、世界は“そこ”にあり、観測者は“ここ”にいて、互いに切り離されていた。(中略)
哲学的のみならず物理学的な意味においても、観測者の存在は、まさに本質的な重要性をもつ
かもしれないのだ。」
・・・まぁ、ここだけ切り取って見せられてもなんのこっちゃって話ですが、
要は量子力学という主に超ミクロの世界での物理法則では、同じ対象を見ても観測の仕方によって
それが全く違ったものに「なる」という話です。
「光は波でもあり粒子でもある」という話もたぶんそれ。波と粒子は全然別物なのに、
波として見れば波に「なり」、粒子として見れば粒子に「なる」のだとか。
「客観が主観を決めるのではなく、主観が客観を決めるのだ。」という
価値観の大逆転が数百年前に西洋の哲学史上でなされたわけですが、
その大発見と同じことが、実際、物理的な世界でも現実に起こっているということです。
その世界観って、僕にはものすごくしっくり来ちゃいます。
例えば、世の中には本当に理解できないような人たちがいるでしょう?
良くも悪くも。そういう人に接すると、「あぁー、僕とは別の生き物なんだ」と思ったりするんですが…
でもそれって、同じ世界の中に別の生き物がいるということではなく、
もしかしたら二人は別の世界に住んでいるんじゃないかって思うんですよ。
でなければ、こんなにものの見方が違ってくるわけがないと!
ひとつの世界の中にいろんな意識があるのではなく、「意識の数だけ世界がある」ということですね。
・・・なんて言うと、聞きようによってはなんだかオカルトじみた危ない話
ともとれるので、もっと身近な話で例えさせていただきましょう。
例えば、自分が舞台でネタをやって「今日はウケたなぁ」と思っても、他人から「スベってたね〜」
と言われたり、その逆があったりします。(芸人にとってこれはすごい「あるある」な話です。)
そういう場合も一つの現実に対して二つの感想があるのではなく、たぶん二つの現実があるんです!
だから、携帯の待ち受け画像にしているお気に入りのアイドル写真を他人に見せた時に、
「これのどこがいいの?」的な反応が返ってきても、ご立腹してはいけないのです。
だってもう、見え方が違ってるんだから。
同じ顔を見て別の評価をしているのではなく、きっと別の顔が見えているんです!!
「あなたと私とでは住んでる世界が違うのよ!」なんてメロドラマなセリフも、比喩ではなく、
相当的確に世界のあり方を捉えているのかもしれません。
そう思うと、この世界というものが非常に危うくもろいものに思えてきます。
そして、それがなんとかかんとか一応「ひとつの世界」として成立しているように見えることが、
とんでもなく驚異的なことだと思えるのです。
まぁ、白々しくも前向きな捉え方をすれば、
「自分次第で自分の住んでいる世界は変えられる」ってことになりますね。
もちろんこれも、精神論的な例え話ではなく、リアルな話としてですよ!
でも、その範疇はやはり「自分の住んでいる世界」であって、「他人の世界」を変えるのは相当困難です。
自分の世界を他人に無理やり押し付けようとすると、強引な布教活動とか、
歴史認識の押し付け合いとか、アメリカが中東でやってることみたいに、ろくなことになりませんからね!
(本来は好きなアニメとかドラマとかアイドルとかについて語ろうと思って作ったものの、
いざネット上という公の場で語るのは、なかなか勇気がいるものですねぇ。本当はアレとかアレについても
語りたいんだけどなぁ…。)
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