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先週買ってみたDVD『カラヤン/クルーゾー 指揮の芸術2』が、おもしろかった。
1965年のモノクロ映像で、ウィーン響を振ってシューマンの第4交響曲のリハーサルと実演のセットである。
数年前CSのクラシカジャパンで同じ映像を見たことがあったが、久しぶりだ。
CSでは、いろんな指揮者のリハーサルを見たが、カラヤンがダントツにおもしろかった。
ベームとクーベリックのリハーサルも見たのだが、あんまり覚えていない。
ベームは奏者を名指しで吹かせて、吹き直させていたような気がするし、クーベリックも見たが「きらめき」はなかったように思う。
カラヤンのリハーサルは、はつらつとして、テンポよく練習が進んでいく。
説明と演奏の間に無駄がない。
パートごとにゆっくり演奏させたり、音量を大きく演奏させたり、実に巧みに奏者を導いていくのだ。
シューマンの第4では、同じリズムが執拗に反復されていて、それが楽曲の鍵だということがわかった。
カラヤンの解説が音になって、ああなるほど、という感じ。
音楽につやと、輝きと、迫力が加わっていく。
うーんすごい。
それから、彼のことばで印象に残ったものがいくつかある。
まず、ロマン派のフレージングは、すぱすぱと音が切れるのではなくて、歌うように滑らかにレガートでつながるということ。
これってカラヤンの音楽のキモだよね。
もうひとつ、お互いの音をよく聴きなさいということ(確か、同じようなことはセルも言っていた)。
このことに関連して、別の本から引用しよう。
おもしろいことが書いてあったので。
ニューヨークのメトロポリタン歌劇場のオケに客演したときのこと。
カラヤンはこのオケの力量に不満だったようだが、辛抱強くリハーサルをした。
「カラヤンは、理論的に(そしてとりあえず)「正しい」演奏になるまで何度も同じ部分をくり返させる方法はとらなかった。かわりに彼は歌手から音楽を引き出すように奏者たちに教えた。「ここではハープの音に耳を澄ませること。全員がだ」と彼は言った。また、弦の奏者たちには、最初の長いリハーサルの最後に、こう話した。「これらのフレージングはひどく面倒に思えるかもしれない。でも、きみたちが木管にために演奏し、木管が歌手のために演奏すれば、何もかもじつに簡単になる……」
リハーサルが進むにつれて、ジグソーパズルの小片があるべき部分にぴたりとおさまりはじめた。奏者たちは活気づき、カラヤンの耳の確かさに驚嘆した。ビングも彼の実力に感謝した。これはカラヤンがウルムやアーヘンで積み重ねた経験のたまものだ、1960年代に台頭した若手スター指揮者の多くにはそれが欠けている、とビングは回想録で嘆いている。」
(リチャード・オズボーン著、木村博江訳『ヘルベルト・フォン・カラヤン(下)』白水社225ページ、226ページ)
カラヤンは、音楽やオケについてものすごくよく知っていて、しかもそれを現実の世界に応用して、自分の理想を実現してしまうのであった。
手兵のベルリン・フィルや、「恋人」のウィーン・フィルとだけではなくて、ウィーン響やメトのオケとも。
すごい力量である。
カラヤンは、ものすごくいい耳を持っていた。
音楽をよくわかっていた。
ひとつのこと(音楽)を極めるために、ものすごい努力をしていた。
そういうことがよくわかるソフトだと思う。
学校や世の中が嫌になって、現実から逃避してキーボードを叩いている自分であるが、カラヤンの若い時代の修行、戦争を挟んでの雌伏などが思い出され、自分もがんばってみようかなという気になる。
自分ががんばるというのは、英語のブラッシュアップと、日々の授業を改善するということになるだろう。
そのためには、英語をよく知り、生徒にわかるように伝えることのできる教授法を自分なりに練らなくてはいけないな。
指揮者とオーケストラ。
先生と生徒。
この関係、ちょっと似てるような、似てないような。
話が飛んでしまって、まとまらないけれど。
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オズボーンの本は<上>で止まったままでした。読み進めてみます。ご来訪ありがとうございました。
2007/3/16(金) 午後 7:43