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今日はわがオーディオの話を少ししたいと思う。
音楽とも関係あると思うので。
私はいま、3LDと言うのか、ほとんど使わないキッチンと
ダイニングルームのほかに3部屋を持つマンションに住んでいる。
今の職場に勤めて7年、同じ年数を過ごした賃貸の物件だ。
さて、そのうちの6畳間のひとつがフローリングで、そこを
「オーディオ部屋」にしている。
わが音響装置といえばまず、今の生業に足を踏み入れたばかりの頃
(12年位前)、オーディオ屋の親父さんが、「気に入ったら買ってくれ」と
当時の4階のわが部屋に持ってきて、1年ばかりただで聴いて、
結局34万円で買ったGoodmanのスピーカーである。
アンプはマランツの3万5千円くらいのもの。プレーヤーは2万5千円
くらいだったか(メーカーは忘れてしまった)。
スピーカーと、アンプとプレーヤーのバランスが悪いんだろうな、きっと。
音キチじゃなないから、よく知らないけど。
大して自慢するほどの装置でもない。
ただ、これがわが愛すべき音楽の缶詰。
これがないと日も明けない、と言うのは昔の話(昔は本当によく聴いた。
毎日2時間とか)。
だが、ここ数ヶ月はトンと聴いていない。
理由はまず、オーディオ部屋にはクーラーがないから。
酷暑の中、冷房なしで音楽を聴こうとするほど私はタフな人間ではない。
(ちなみに、いつもいる部屋には1台ある。
この夏、就職した年に買ったやつが激しく水漏れして、大枚を叩いて
新しいのに換えた。
余裕がないわけではないが、一人暮らしでクーラーを2台所有する
というのは、なんとなく気が引ける)
ふたつめ。
最近は演奏会に行くようになったから。
都響の定期演奏が2ヶ月に1回ある。
やっぱり生の音は、いい。
いくらおいしい音楽の缶詰でも、フレッシュな生の演奏(「フレッシュ」
でなくとも、ね…)にはなかなか敵わないと思うのである。
オペラも、年に2回ほど観られる。学生時代ハンブルクに留学した
人の話で、1年間ほぼ毎日歌劇場に通った、などと聞くと、
とても満足できるレベルではないのだけれど。
ようやく生の演奏会に通える可処分所得を有する身分になったのだ。
3つめ。
忙しくなった。
禄を食んでいる以上、仕事をせねばならず、また中途半端に仕事にも
未練があるから、いきおい音楽を聴く時間にも食い込む。
仕事は、好きじゃないのに。
仕事以外にも、人間関係の広がりが、音楽から自分を遠ざけている
という面もある。
気の合う人と時間を過ごすのは、人生において数少ない楽しみでは
なかろうか。
録音と孤独に部屋で過ごすだけ、というのでは味気ない。
最後に4つめ。音楽自体への興味が薄れてきた気がするから。
というか、今まで聴いてきた古典派、ロマン派の管弦楽を中心とした
器楽のパターンに飽きてきた気がするから。
聴いていない作曲家も多いのだが。
聴いている演奏家に飽きたのかもしれない。
ほとんどカラヤン、セル一辺倒。
最近はジュリーニの若い頃の演奏がいいなと思うから、
そこが突破口になるか。
それも含めて、これからは秋の夜長、涼しくなるし、またガンガン音楽を
聴いてやる、と言う風になる気もしている。
とはいえ、なんだかんだ言って、死ぬまで自分は録音された音楽を
手放すことはないだろうとは思う。
吉田秀和が、レコードについて書いた文章が、その理由である。
「レコードは、きく人を、音楽を通して、見える世界からつれだして、
ある見えない世界につれてゆく。そこでは、人は、何かから解放され、
自由になる。レコードの醍醐味は、このひそやかな自由、この軽快な
解放感にある。この軽くしなやかな化学製品の円盤は、その解放の約束
であり、その彼方には、自由がある。」
音楽が(芸術が)、このつまらない現実からの自由を約束してくれるのなら、
あるいは、この現実を片時でも忘れさせてくれるのなら、音楽は(芸術は)不滅だ。
自分にとって、「現実」が、芸術の提供する自由を超えることはないだろうから。
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こんばんは!
やっとセルのベートーヴェンを聴き始めました。まさに洗礼を受けている感じです。
2007/10/2(火) 午後 10:19
私のオーディオルームは三畳という、文字通りの惨状でして(苦笑)滅多にスピーカを鳴らさず、もっぱらヘッドフォンです。缶詰でヘッドフォン。息が詰まりそうですが、寝床の中で聞くという悪癖がつきますと、生演奏の足が遠のくのです。我ながら、怠惰の極みですなあ。
2008/4/30(水) 午後 10:17