学校の話

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つかの間にて

テストが一通り終わり、カリキュラムはもう最先端の研究についての教授と外部のエライ先生方の特別講義と何人かのグループで好きなテーマについて調べ発表するものと、検査機器の使い方などの実習とコミュニケーションの授業を残すのみになった。毎日学校はあるので春休みではないが、戦いから解放され、医学勉強以外の時間が増えた。英語の勉強したり、言語学の権威が書いた本を読んでみたりと好きな勉強をしている。いろんなものを背負って戦っていたあの日々は過ぎ去り、なんとなく大学生に戻った気分になる。いい時間である。そして何より時の流れがゆっくりになった感じがする。

与えられたものをこなすとき、時がせかせかしているように感じる。気持ちに余裕がないからだろう。今自分のペースで物事が進む。気持ちに余裕がある。心地よく時が過ぎる。今まではぼーっとしていたら時間がもったいないと思ったり、何かに対してのやる気が起こらないときは焦りに焦ったが、今はそんな時間も楽しめている。

なまけだという人もいるだろう。でも今の過ごし方が自分にはとても有意義なのである。

一人旅にて

かつてあこがれていた場所へ旅に出た。そこに住むつもりでいた。そこで骨を埋めるつもりだった・・・


初めて訪れてから2年の歳月が経った。かつてほどの執着はそこにはなかった。かつての執着の理由が思い当たらないかのような感情の変化だった。それは今大阪で勉強できていることに満足だからだろう。自分の通う大阪市立大学が好きだからだろう。執着の理由は、一番自分で自信のあった(もちろんそこに行きたいと思わせる大学でもあったが)医学部がそこにあっただけなのかもしれない・・・

2年という歳月は大きい。たった2年前は憧れの対象だった医学部で今自分が学んでいる。憧れだった対象に今自分がなっている。この気持ちを忘れたくない。自分ももとはただの夢追い受験生だったこと。そのために日本の端から端へ飛び回ってた頃があったこと。2年のテストに追われるカリキュラムが終了した今、改めて思った

成人式にて

成人式に行った。明日はテスト。でも一生に一回だからと前々から勉強を始めて余裕があるわけでもなかったが行った。

医学部に行ってるからこそ余計にフツーの大学生がやることもやらんといかんと思っている。勉強をサボってまでやるべきではないと思っているからできていないこともあるからエラソーには言えないが、勉強を軸にしながらなるべく多くのことをやっておこうと思う。ましてや一生に一回のもんなんで行っておきたかった・・・

医学部生はほかの人が出来ないことがけっこうある。そんかわりやりにくい事もけっこうある。やはりどっちもやりたい。そしてやらなければならない。

昨日の日記を書いた後ある人の話や別の人の日記から一つの対立軸が出てきた

感謝と罪の意識


ある人は感謝を強調した。ぼくらが「罪」と言ってるものはは相手がご好意で下さった権利で、それをまっとうに行使しないことこそが罪なんだと。彼が取った行動はまさしく権利の完全行使だった。ぼくは罪を強調し続けた。そのために本来の目的からはずれる行為をとったこともあった。そして上に書いた彼は弁証法のシンテーゼのごとくだった。両者の融和を図ろうとしているような気がした(本心はわからないが)


人から何かをしてもらった時「ありがとう」と「すみません」と2つの言葉がある。西洋は100前者を使う。日本は後者が多い。中国は謝謝がありがとうだった気がする。「謝る」から後者の考え方か。ということは西洋思想と東洋思想の対立軸なわけだ。それを医学と関連つけると感謝を強調した彼は心臓血管外科志望でなかはしは公衆衛生(疫学)で日記の彼は整形外科らしい。外科は西洋医学の真骨頂で疫学などデータ主体なものは東洋医学の真骨頂。考え方の違いがそうさせたのだろう。

世の中には罪というものがある。世間では法律にしてはいけないと書いていることが罪で書いてないことは罪ではないという解釈をするらしいのだが、実際には裁かれなくても罪になることはたくさんある。なかはしにように人がいやがることをしたり、人に不快な想いをさせたり、といったことは明らかに罪であるが、中には不可抗力的な罪もある。
人間は罪を犯すと償いをしないといけない。刑務所へ行く、怒らせたあのこの機嫌を直すためにプレゼントする、などなど。ただ不可抗力の罪を犯した人間は罪を認めないことが多い。相手や規則や理念なんかを盾に罪から逃れようとする。それでも社会は許してくれる。それにこの手の罪はいちいち反省してつぐなっているようでは話にならない。それは仕事と関係していることが多く、仕事を一生懸命やったのに犯すことになる罪だからだ。しかしやはり人間は罪と向かい合わなければならない。罪を認め、償いをしなければならない。そして悲しいかな罪は償っても許されるものではない。しかし我々は償いをしなければならない。そうやって人は生きていく。生まれたことも罪なのかもしれない。その償いのために生きて、また罪を犯し、その償いを繰り返して死をもって許される。人はなぜ生きる?それは罪を償うためか・・・



上のようにものを見るときにやはり一方向から、近くから、見ただけでは気付かないことがある。徒競走で夢中に走ってるとき、相手の姿は見えない。わかるのは自分だけ。でもふと足を止めた時にだけ、後ろから追いかけてくる人の苦しい顔だったり、前を行く人のすさまじい足の動きだったり、応援してる人の声援だったりがわかる。勝てなくてもわかることがたくさんある。徒競走だからといって走るだけではわからないことがたくさんある。目的は人が決めるんだが得られるものはそこからだけじゃない。立ち止まったり、逆走してみたりして得られることがたくさんある。そしてそれが人間を成長させる・・・

こんなことを考えさせられた3ヵ月だった。つらく厳しく、でも有意義なすばらしい3ヵ月だった


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