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5月9日にデリー空港に到着し、5月10日はデリー近郊のハリアナ州にある海外生産拠点にて打ち合わせで1日を過ごした。
この海外拠点に隣接して、ホンダのバイク(2輪)工場やスズキマルチの工場がある。ご存知の人も多いだろうが、今から、10年前だろうか、デリー空港からここまで移動中のホンダの社員が殺害されたところでもある。
昼食は、この拠点でカレーライスを食べた。それは、中々美味しい。調子に乗って生野菜も食べたが、腹を壊しそれが次の日のタージマハル観光の大いにネックになった。
夕食は、現地の日本人スタッフに韓国料理の店に連れて行ってもらった。
そして、5月11日朝7時にホテルを出発してタージマハルのあるアグラに出掛けた。ホテルのあるデリー近郊グルガオンから約3時間30分、200Kmの道のりである。途中からは、高速道路が出来て結構快適な旅である。
タージマハルの駐車場に到着すると、直ぐにインド人のガイドが寄ってくる。今回の観光は、私と同じ様に、日本から別の目的で出張している日本人と同行すると言うパターンになった。
私一人なら、ガイドをつけないのだろうが、同行の偉いそしてあまり旅慣れていない日本人出張者が電気自動車での移動とインド人ガイドをつけたいと意向がありそれに従うことにした。
ちなみにタージマハルの駐車場からゲートまで他にラクダや馬という移動手段もある。それでも、移動時間は徒歩で3,4分である。
私一人なら、インド人ガイドを蹴散らし、徒歩で駐車場からタージマハルのゲートまで行っていたであろう。
私たちが、電気自動車に乗り込むと同時に、オーム真理教の麻原なんかがきていた寝巻きの様な服を纏ったインド人ガイドが私たちの電気自動車に飛び乗ってきた。
いかにも、うさんくさそうなインド人ガイドで、ガイド料金は95(ルピー)だという。また、英語を話しているのだが、それがヒンデゥー語訛りの英語で何を言っているかよ〜わからん。
一番右が、インド人ガイドで、一番左が私である。
最後は、このぼったくりインド人ガイドとトラブルになる。そんなことは、つゆ知らず、このインド人ガイドを同行させることにした。
そして、タージマハルのゲートに向った。
ゲートで、750ルピーもするチケットを購入し手荷物検査を受け中に入った。
因みに、この750ルピーの中には、500ml程度の水とタージマハルを汚さないための靴を覆うシューズキャップが含まれている。
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旅:アジア
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人が地面から湧いてくる、そしてその人たちの熱気をも感じさせる国がインドである。確かに、混沌としたところは中国と良く似ているが、説明はできないがどちらかと言えばインドの方が私は好きである。私の中では当分は、マイブームになりそうである。
道端の木陰で寝ている人が生きているか、死んでいるのかわからないし、あの不潔さはなんとも経験した人ではないとわからないだろう。
仮に、私がインド赴任になったら、私がインド状況を話をするのでその話の内容から妻は絶対についてこないと言っている。
ところで、今回の私のインド出張であるが、急に決まったしそれなりに出発まで伏せていた。
今回の出張は、尖閣問題でこれからの海外生産展開を中国から他の国へ軸足をシフトしていくための一環である。
確かにチャイナリスクを考えると、労務費が安くてそれなりの技術を持った国へのシフトは必要不可欠である。そんなこんなで、粛々とインド行きのビザを取得し出掛けた。
5月9日のデリー行きのJAL便でデリーまで飛んだ。搭乗前の、成田の待合室がガラガラであった。どうやら、数名のビジネス客が乗り込むだけの様だ。
この時期、気温は45℃にまで上がるこの地に誰が好き好んでいくことがあろうか。JAL便の機内は、GW明けでも有り、ガラガラだった。まあ、こんなものだろう思っていた。
機内では、妻と見に行ったレ・ミゼラブルの映画も見れたが、流石に2回見る気はしなかった。これから、10日間、デカン高原を縦横無尽に走り回り、それなりにインドサプライヤーの実力を見極めてこなければならなかった。
この歳で、会社から大役を仰せつかるとはゆめゆめ思わなかった。
これから起こることに、期待と不安を胸に、JAL便は成田を離陸した。
JAL便のCAのレベルは、昔に比べてどんどん低下している。昔は、容姿端麗・頭脳明晰の綺麗なそれこそハイソなお姉さん方が相手をしてくれていたが、今は他国の人か、おばば(失礼!)なのである。
それでも、機内食はそこそこだった。JALは、稲盛体制になって、人件費は削減したものの料理のレベルは維持かそれ以上になっている。
機内では、映画を1本見て、それからづ〜と音楽を聴いていた。
そして約9時間30分でデリーに到着した。そして、入国審査を済ませた。空港出口では、海外赴任した日本人スタッフが迎えにきてくれていた。
最後に、このクソ暑いデリーでは中々人は寝付けないだろう。そのため、自宅の屋上で人は寝ている。確かに、日本ではエアコンのある暮らしが日常であり、そうでなければ熱中症で死んでニュースにもなる。インド人は、クーラーすら購入できない。
この風景を見たとき、インド人の貧困さと厳しさそれにそれに立ち向かう逞しさを感じた。
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海外出張でマイルが貯まり、家族で韓国旅行した。
確か、2005年年末のことだったと思う。観光は、中国の観光地慶州である。釜山から高速バスで1時間前後で慶州に到着した。宿泊は、仏国寺近くのホテルに宿泊した。
一日目は、仏国寺を見学した。二日目は、慶州の石窟庵を見学したあと古墳公園を見学した。
二日目の朝は、良く晴れた朝だった。放射冷却でかなり寒い朝だった。そんな中、妻と息子と私で古墳を回った。
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中国という国は私にとってあまり良い印象が無い。
無秩序な雑踏とがさつなカオス、そして人間の奥ゆかしさが無い国だからである。中国、4000年の歴史の中でこの悪しき伝統がいまにも引き継がれているからである。 ただ、なんと言うか現在の凋落傾向の自国の日常を見ていると、あのエネルギーは何から湧いてくるのかといつも疑問になる。 今から41年前に、私は父に連れられて香港に行った。この頃から、づ〜と中国は良い印象がないのである。無秩序な雑踏とがさつなカオス、そして人間の奥ゆかしさが無い国。
自分が仕事で中国に行く様になると、中国に行くとなぜか体調が良くなかった。
それよりも、随分前ではあるが商社マンだった父は、その国がどんな国だろうが行かざるを得なかったのだろう。
ただ、父は私と比較すると体は頑丈ではないが、丈夫だったのだろう。
宿泊ホテルは、ハイアットリージェンシーだったと記憶している。
海上レストラン。41年前の記憶で申し訳ないが、食えるものは海老を蒸したものぐらいだった。
41年前のビクトリアピーク。
父に連れられて行った、貧民窟の様なアパート。私と同じぐらいの中国の子供が居た。さすがに、怖くてバスの窓越しからシャッターを切った。
ヴィクトリア・ピーク(またはビクトリアピーク、英語: Victoria Peak)、あるいは太平山(広東語: taai3 ping4 saan1, 拼音: Tàipíngshān )は、香港の観光地となっている山で、夜景の名所として知られる。香港では単に「ザ・ピーク」(The Peak、広東語: 山頂)とも呼ばれる。マウント・オースティン (Mount Austin)、あるいは扯旗山とも称される。香港島の西部に位置し、標高は552メートル。香港島最高峰であるが香港の最高峰ではない(新界の大帽山が957メートルで最高峰)。
ヴィクトリア・ピークの実際の山頂は通信施設などに占められており一般人は入ることができない。しかしその周囲の山並みにある公園や高級住宅地などが、普通「ザ・ピーク」として知られる部分である。山上からは香港島や九龍の超高層ビル群やヴィクトリア・ハーバー、周囲の島々などが一望のもとに見渡せる。 |




