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さすらい旅の途中
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 朝、起きるといつもの様にスモッグか、黄砂で蘇州の町は霞んでいた。この天候についても、私が中国を好きになれない理由の一つなのである。
 仕事で中国を訪れていた時でも、厳冬期においてもすっきりはれていなかったから、この国のスモッグにはある意味相当な量の排気ガスが汚染物質としてこのあたりを漂っているのであろう。
 蘇州は、先ずは寒山寺に出掛けた。日本にも、同じ名前の寺「舘山寺」が浜名湖の畔にあるが、全く関係が無いとのことである。
 この寒山寺は、梁代の天藍年間(502年〜519年)に創建された古刹です。とうことは1500年前ということになるが、中国の文化大革命で殆ど焼失してしまい、その後再建された寺とのことである。
 また、中国の寺の特徴という事であったが、寺の壁面はすべて黄色であった。中には、五重塔が建立されていた。
 でも、日本の寺と比較すると日本の寺の方が趣がある。というのも、文化大革命という大事業で中国も真の文化遺産を相当失ったと思われる。
 あの文革が、物語たる様に、中国というのは野蛮な国という言うイメージが頭からついては離れない。
 ところで、この寒山寺の名前の由来は唐代に隠遁僧の“寒山”と“拾得”が住んだことからである。
 この寒山寺は、中国で有名な詩人・張継作「楓橋夜泊(ふうきょうやはく)」の一節に出てくる、その詩を刻んだ石碑が寺内にある。ガイドさんが日本語と中国語で読んでくれたが、結構中国語は長い感じだった。
 そして、どうだろうか1時間前後このあたりをぶらぶらして、今回の旅行の唯一の世界遺産「留園」に向かった。


 

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 中国という国は私にとってあまり良い印象が無い。
 無秩序な雑踏とがさつなカオス、そして人間の奥ゆかしさが無い国だからである。中国、4000年の歴史の中でこの悪しき伝統がいまにも引き継がれているからである。
 ただ、なんと言うか現在の凋落傾向の自国の日常を見ていると、あのエネルギーは何から湧いてくるのかといつも疑問になる。そこで、沸騰都市上海と蘇州を訪れることにした。
上海は、仕事で数年前に訪れたが、あれから更に経済発展しているだろう。
 時節柄、東日本大震災で苦しんでいる人がいる中でかけることはかなり憚られたが、私のライフワークでもあるため実行に移した。
 といっても、298のツアーである。高級な上海蟹の料理などは無縁で、良くでてきても「しょううろんぽう」ぐらいである。
 5月5日は、日本では子供の日であり、この日はそれにふさわしい五月晴れの日だった。
 いつもの手順通りに、知多半島道路を愛車を走らせ、中部国際空港に車を横付けした。中部国際空港は、東日本大震災の影響でここでGWの遊びを済ませようという人でごったがえしていた。
 すぐにツアーデスクに行き、チケット引き換え券を貰い、そして航空会社のカウンターに行きチケットを受け取り、荷物を預けて出国手続きを行った。
 そして、いつもの手順どおりにラウンジで新聞や雑誌を読みながら飛行機がくる30分前まで過ごした。そして、15時20分発中国国際航空CA406便で上海に向かった。
 途中、パンとカステラが入った機内食が配られが、食事というよりはおやつという感じだった。
 そうこうしていると2時間20分後の16時40分には上海に到着し、一路バスで蘇州に向かった。
 そして、蘇州市内のレストランで夕食の蘇州料理を喫食し、そしてホテルに向かった。夕食は、それほど美味しくなかった。

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5月1日は、ツアーの実質的な最終日である。本日は、アンコールワットとブラザートムならぬアンコールトムを見学する日である。この日は、まだ夜が明けきらぬ4時45分に起床した。アンコールワットの朝日鑑賞のため、5:05分にホテルを出発した。しかし、雲行きは怪しく、雨かぽつりぽつりと降っていた。東の空が白み始めたが、結局お日様を仰ぎ見ることはできなかった。しかし、聖池のほとりにカメラを構え、少し神秘的な写真を撮影することができた。
それから、ホテルに戻り、朝食を食べたのち、アンコールトムの見学に出掛けた。
以下、ウキペディアから出典。
アンコール・トム (Angkor Thom) は、アンコール遺跡の1つでアンコールワット寺院の北に位置する城砦都市遺跡。12世紀後半、ジャヤーヴァルマン7世により建設されたといわれている。周囲の遺跡とともに世界遺産に登録されている。アンコールは、サンスクリット語のナガラ(都市)からでた言葉。またトムは、クメール語で「大きい」という意味。アンコールトムは一辺3kmの堀と、ラテライトで作られた8mの高さの城壁で囲まれている。外部とは南大門、北大門、西大門、死者の門、勝利の門の5つの城門でつながっている。各城門は塔になっていて、東西南北の四面に観世音菩薩の彫刻が施されている。また門から堀を結ぶ橋の欄干には乳海攪拌を模したナーガになっている。またこのナーガを引っ張るアスラ(阿修羅)と神々の像がある。アンコールトムの中央に、バイヨン (Bayon)寺院 がある。その周囲にも象のテラスやライ王のテラス、プレア・ピトゥなどの遺跡も残っている。
 私がアンコールトムを訪れた日は、次の日にお田植え祭りがあるため、南大門からしか行き来ができず、南大門がかなり混雑していた。また、ライ王のテラスのライであるがライ病にかかった王様からこの名前が付けられたとのことである。メタボリックシンドロームの王なら、メタボ王となるところである。
約2時間ぐらいアンコールトムを見学し、その後ビックマーケットに行った。さすがに、いつものお土産店と比較すると安い。Tシャツが6枚で5$だった。日本円で1枚70-80円という値段である。そして、シルクのスカーフとハンモックを購入した。
 そして、その後日本料理店「銀河」で天ぷら定食を食べた。久しぶりに食べた日本食は美味しかった。
午後からは、タ・ブロム、バンディアイ・グディ、プラサット・クラバンを見学した。
シャヤヤバルマン7世の母の菩提寺として建設された寺院で、ガジュマルの木が遺跡の到る所に絡みついたということで有名である。確かに、ガジュマルの木の根っこは凄かった。
次に、バンディ・クディに行った。通称「僧房の砦」と言われており、上智大学の西沢先生が発掘や寺院修復をしたとのことである。
 そして、終に最後の最後となったプラサット・クラバンを見学した。この遺跡、本日見た中で一番小さかったが、今までの遺跡とは相違して黄土色をしていたし、どうやらフランスがかなり修復しており保存状態は良かった。
これで、すべての日程が終了し、ホテルに戻ってきた。そして、のんびりとホテルで時を過ごし、空港への送迎バスを待った。そして、空港への送迎バスがやってきてシャムリアップの空港に向かった。空港では、25$の空港税を払い、そして、飛行機には歩いてタラップまで向かい、シェムリアップ20:55分発のベトナム航空800便に乗り込んだ。この飛行機でハノイに向かった。そして、ハノイ発00:05発、中部国際空港行きで一路日本に向かった。
ハノイ空港を飛び立つと直ぐに朝食が出され、それを食べた後に飛行機の中で仮眠をとった。幸い、飛行機はすいていて、3席すべて空席になっているために、横たわって寝ることができた。
起きたのは、中部空港着陸の30分ぐらい前だった。五月晴れで、天気は良く晴れていた。いつも、日本に到着する時に思うこと。それは、美しき国「日本」である。今回も、またそうだった。

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4月30日 この日はアンコールワット見学の日である。どういうわけか、夜が明けないうちから目が醒めた。
体調は、さすがに暖かい(暑い)せいか、かなり回復しつつある。
ホテルのレストランに、朝食を食べようと出掛けた。そこで、気になったのは例の魚醤の臭いである。私は、あの臭いはどうも苦手である。パブロフの犬ではないが、あの臭いを嗅ぐと、必ず吐き気を催すのである。
そんな中、いつも通りコンチネンタルブレックファーストの朝食を食べ、出発の準備をした。そうこうしているうちに、ガイドさんがホテルに迎えに来て、最初の観光地バンテアイ・スレイの見学に出掛けた。
バスは、シャムリアップのホテルでツアー客をピックアップしながら、先ずは、アンコールワットの遺跡群に入場するための許可証を作成しにいった。どうやら、3日券で40$ということである。バスをおり、顔写真を撮られ、そしてそのうち紙っぺらの許可証が出来てきた。
そして、バスで1時間かかるバンテアイ・スレイの遺跡に向かった。道は、ベトナムほど埃っぽくなかった。道路は、バスが一台やっと通れる幅の道路で、道路脇には、民家があるが、どうやら電気ガスさらに水道もなく自給自足の生活をしている様である。日本では考えられない生活である。
1時間バスで走り、バンテアイ・スレイ遺跡に到着した。途中ですれ違う車は、殆どランドクルーザーか若しくはトゥクトゥクだった。到着し、バスから降りると、その暑さと日差しの強さに辟易した。兎に角、すぐ歩くと唯々諾々ならぬ、汗ダクダクになるのであるし、あまりの暑さに目がクラクラする。
このバンテアイ・スレイ遺跡は、10世紀後半に建立された「女の砦」を意味する小さな寺院である。砂岩と赤土を用いて建立されているため全体に赤い。兎も角暑かった。ここをこ一時間見学した。500mlのペットボトルの水があっと言う間に無くなった。
その後、行き来た道を戻り、土産物店に立ち寄りそしてレストランでバイキング方式の昼食を食べた。特に、土産物店では何も購入しなかったが、ベトナム同様カンボジアもUS$で充分であることが分かった。
ここ数日体調が悪く、鼻水が飛行機に乗っているときに気圧の関係で逆流し耳炎を起こしていた。そこで、ツアーの中にお医者さんが居たので、抗生物質を頂いた。その方後で知るのであるが、私の地方選出の衆議院議員の山尾しおりさんのお父さんだった。抗生物質を頂き、ありがとうございました。
その後、バスでホテルに、午後のアンコールワット見学は16:40分からである。約2時間の休憩がある。それは、非常に嬉しい。ホテルに戻ると、まずはシャワーを浴び、その後ベットで16:30まで爆睡した。目を覚ますと、16:30で約1時間30分爆睡していたことになる。
16:40にいよいよ、ヒンドゥ教と仏教が融合した世界遺産でもあるアンコールワットに出掛けた。私の中のイメージでは、もっと大きなものと思ったが、イメージよりは小さかった。が。これが800年以上前に建立したというのは、驚きである。

サンスクリット語でアンコールは王都、クメール語でワットは寺院を意味する。大伽藍と美しい彫刻からクメール建築の傑作と称えられ、カンボジア国旗の中央にも同国の象徴として描かれている。 主に砂岩とラテライトで築かれ、西を正面とする。 寺院は付近の製鉄技術を活用している。 境内は東西1,500メートル、南北1,300メートル、幅200メートルの濠で囲まれている。 神聖な場所を飾る為、回廊は精緻な浮き彫りで埋め尽くされている。西からの参道は、石橋で環濠を渡って進む。石橋はかつて乳海攪拌の様子を描いた蛇神ナーガの欄干で縁取られていたというが、今は堀に落ちており見られない。中程には石段の船津が備えられている。橋を渡り終えると周壁と西大門へ至る。周壁は東西1030メートル、南北840メートルでラテライトにより築かれている。西大門は南北230メートル程で、三塔を戴き、中央に王の門と左右に二つの門が開く。更に南北には階段が無く象が通れる象門を二つ備える。王の門の左右は七つの頭を持つ蛇神ナーガが護っており、付近の堀は石段の船津を備え、ラテライトの壁で護られている。西大門を抜けると、大蛇の欄干に縁取られた参道を通り前庭を進む。前庭は南北にそれぞれ経蔵と聖池があり、参道から外れると聖池はその水面に堂宇を映し出す。また北には、今もここで仏に祈りを捧げる僧侶らの為に、僧坊が近年になって建てられた。前庭を越えると三重の回廊に囲まれ五つの祠堂がそびえる。(出典:ウィキペディア)。五つの祠堂には、希望者は登ることができたが、その階段は、かなり急であった。女の子の中には、「行きはよいよい、帰りは怖い。怖いながらもとうりゃんせ。とうりゃんせ。」と登ったのは良いが、怖くて泣きながら降りてくる子もいた。
 ガイドさんが、色々と説明していると最後に猿が出てきた。このことで、ここはジャングルの中であることを実感した。そして、夕日を見るために、近くの山に出掛け夕日を見た。
 夕日が沈んだ後、シャムリアップに戻り、アプサラダンスを見ながら夕食を食べた。このダンスを踊っていた女性の顔は、辺見エミリのお母さん(西郷輝彦の奥さん)の辺見マリに良く似た人だった。
 民族舞踊の後、直ぐにバスに乗り込み昨日の同じホテルである宿泊先に戻った。

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一柱寺に到着する頃には、天気は曇からになっていた。一柱寺は、ホーチミン廟の裏、ホーチミン博物館の手前にある。この一柱寺は、一本の石柱(とはいってもコンクリートであるが)で支えられていることからこの名前が付いたとのことである。
 ここからは、ガイドさんの受け売りであるが、この寺は元来は1049年に創建された仏教寺院、延祐寺のひとつの楼閣である。。この寺院建立の由来は、李朝の第二代皇帝、李太宗(在位:1028〜1054)が見た夢にあると言われている。李太宗はあるとき、観音様が蓮の上に座して手招きしている夢をみたとのことです。。この夢を見た後で世継ぎの男子に恵まれたことにより、、この寺が建立されました。その際、僧侶が皇帝の長寿も祈願し、延祐寺と命名されたとのことです。1105年には周囲に池が掘られて、回廊ができたとのことです。延祐寺は陳朝時代の1249年に再建されます。その後も改変が繰り返され、今日に至っているとのことである。この寺で息子の大学合格祈願と家族全員が幸せに暮らせることを祈った。

 そして、 このあと文廟に向かった。文廟とは、孔子廟とも呼ばれているとのことである。私も、長崎を訪問した時に、孔子廟を訪問したこともあり日本でも同様のものが存在する。李朝4代の李仁宋(リ・ニャン・トン)によって、境内に1076年にベトナム最初の大学(国子監)が開設されたとのことである。この頃ベトナムでは、インドから渡来した仏教と中国からの道教が、土着信仰と接触して広く民衆に浸透し、儒教は支配層のみで受け入れられていたと言われている。仏教は李朝時代(1010-1225)には歴代国王も信仰するところとなり、仏教が支配的宗教となった。ところが、陳(チャン)朝時代(1226-1440)に入って歴代国王は仏教から儒教を基本とするようになり、後の黎(レ)朝(1428-1789)、阮(グエン)朝(1802-1883)では儒教によって支配されるようになった。黎(レ)朝2代目のレ・タイ・トンは儒学に優れ、ベトナムで科挙制度を制定。各地に学校が建てられた、郷試(地方試験)と会試(全国試験)の制度が改正され、1442年から実施された。当初の制度では、郷試で合格した4.400人ほどが会試に臨み、このうち44人のみが合格したに過ぎなかった。19世紀の阮(グエン)朝時代にできた奎文閣には1442年から1771年まで科挙に合格した人の名前を刻んだ亀の上に乗った石碑が並んでいるが、この頭を撫でると合格成就できるとのことだったので、来年の息子の来年の大学合格を祈願して亀の頭を撫でた。

 その後は、日本でも有名なCoCoSilkというアオザイの店に行った。確かに、この店、日本の旅番組でも観たことがある。ガイドさんは、特に無理に何か購入しなくても良いですと教えてくれた。そこで、お茶とトイレをお借りして、昼食のレストランベトナム料理の「インドシナ」に向かった。
レストランの中は、エキゾチックな感じの雰囲気の良い店だった。そこで、春巻きや海老のフライやチャーハンや全て2人前出てきた。ベトナム料理にしては、特に癖も無く美味しかった。
 そして、昼食後旧市街へ向かった。先ずは、午前中タクシーでいったハノイ大教会である。それから、ガイドさんと一緒にホアンキエム湖まで歩いた。女性と二人で街中を歩くのは、妻と結婚する前以来のことであり、少し心がときめいた。彼女は、さすがにあのバイクがひっきりなしに通る道路を何食わぬ顔で渡って行く。彼女は、「私についてらっしゃい!」と言わんばかりに私をリードしてくれて、事無くあの道路を渡り終えた。ホアンキエム湖の水面が綺麗だった。その後、彼女はこの湖近くの路上市場に連れて行ってくれた。そこでは、犬の頭、鶏の頭、雷魚なんでもござれの市場で決して日本では見ることができない光景に出会いカルチャーショックを受けた。
 そして、その市場見学の後、車は一路ノイバイ国際空港に向かった。ノイバイ国際空港でチェックインをして荷物を預け、その後ガイドさんと別れて、今日一日のお礼を言って手荷物検査場に向かった。
 そして、ハノイ発17:05発シェムリアップ行ベトナム航空845便でカンボジアに向かった。飛行機からの夕日が綺麗だった。それと今日一日楽しかったことを思い出しながら、飛行機から窓の外を見ていた。
 飛行機は定刻の18:50にシェムリアップに到着した。入国手続きをして到着ロビーを出たところ、私のプラカードを持ったガイドさんが立っていた。そして、ガイドさんに連れられ、車に乗り込んだ。その車には、既に関東からのツアーを参加した夫婦が乗車していた。私がそろったところでー車はカンビジア料理のレストラン「イートアトクメール(如何にも安易な命名であるが・・・)」に向かった。
 その日の昼食が2食分更に機内で軽食が出たこともあり、この日の夕食は食が進まなかった。そして、夕食を食べた後本日のホテル シティアンコールホテルに行った。
 その日は、ホテル到着後、風呂に入りそして就寝した。

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