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4月29日は、自然に目が醒めた。昨夜飲んだ薬の所為で、少し頭がぼっ〜としている。
天気は、今日も曇りである。昨夜、雨が降ったせいか、少し涼しい。
ホテルのレストランで、いつも通りのコンチネンタル ブレックファーストを食べる。食べ終わったのは7時である。本日の出発は、9時45分である。それまで、まだ約3時間ほど時間がある。
そこで、ホテルのフロントでTAXYを呼んでもらい、ハノイ市内を自分で回ることにした。TAXYは、10分もしないうちにやってきた。
ホテルは混沌とした旧市街の端にある。そこから、混沌とした街を突っ切り、ホアンキエム湖の畔に出て、この湖に浮かぶ亀の塔を右手に見ながら、湖畔を走り、また混沌とした街に入り、ハノイ大教会に向かった。
この教会どういう思惑で建立されたかは、私は知らないが、この様な街にこの様な教会があることには、ある意味驚かされた。
それから、大教会から、ホーチミン(胡志明)廟に向かった。レーニン像の前を通り過ぎ、黄色いベトナム外務省の前を抜けると、おおきな芝生のテラス(バーディン広場)がありその向こうがホーチミン(胡志明)廟である。
TAXYで回った時は中に入らなかった。というのも、ツアーではガイドさん付で中を見学することになっているためである。
ところで、ホーチミン(胡志明)は、ベトナム民主共和国初代大統領(国家主席)である。1890年に生まれ、1969年まで生きたとのことである。当初、フランスは第二次世界大戦直後に成立したベトナム民主共和国を正統政府とは承認しなかった。更にその上、フランスはハイフォンでベトナム民主共和国軍への攻撃を開始した。
そこで、ホーチミンは、1946年12月19日、『全国民に抗戦を訴える』を発表して徹底抗戦に入った。これにより、7年間にわたる第一次インドシナ戦争の始まった。その後1954年、ディエンビーエンフーの戦いでフランスに決定的な打撃を与え、その結果、ジュネーヴ協定が締結されて、フランスは80年に亘る植民地支配の末に、インドシナから撤退を余儀なくされた。これが、ホーチミンがベトナムの父と言われる所以である。
この廟の中に、ホーチミンの遺体が眠っているのである。それから、国旗掲揚台等ハノイの名所・旧跡をみて、ホテル戻ってきた。それでも、また8時30分で、ツアーのガイドさんが来るまでに、1時間以上あった。
9時30分、ホテルのチェックアウトを済ませロビーで待っているとツアーガイドさんが現れた。なぜかわからないが、本日は私一人にそのガイドさん一人で対応してくれるということである。
苗字は、フンさんで30過ぎ前後の女性の人で右手の薬指にエンゲージリングをしているから結婚していると思われる。でも、佐藤玉緒さんの様に目がキラキラとしていて素敵な女性である。この女性とハノイ見物を1日するのかと思うと、本当に今日はラッキーだと思った。(なんで、同じ名古屋発のツアー客がいるのに私だけガイドが付くのだろうかと不思議だった。福岡発のツアーは同じ人数構成で3人同じガイドさんだったのである。)
彼女がホテルの前に止めてある車に案内してもらい、先ずホーチミン廟に向かった。ホーチミン廟ではカメラ持込不可のため、彼女が私のカメラバックを持ってくれて、外で待っていてくれた。
待ち時間は15分程度で廟の中に入れた。中は、外が暑いのにも関わらず、涼しかった。そして、中には目を閉じたホーチミン氏の遺体が横たわっていた。その表情は、穏やかで直ぐにでも起きてきそうな、只寝ていてもう死んでいるとは思えなかった。
その後、廟を出てその裏の一柱寺に行った。
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