ここから本文です
さすらい旅の途中
旅の途中の兄弟ブログです。「さすらい旅の途中」は休止です。

書庫旅:日本の風景(関西)

記事検索
検索
 京都嵯峨野嵐山の二尊院を出て、昼食をを食べそれから伏見の酒蔵を巡ることにした。
 はっきり言って、炎天下の中嵐山を大覚寺、直指庵、二尊院と歩いただけでかなり体が参っていた。
 それに、私はお酒は飲めないのである。でも、一度は京都伏見を見てみたいという思いにかられてJR奈良線の桃山駅を起点に歩き始めた。
 いかにも、伏見という風景である。十石舟ぐらいが浮かんでいると尚良い。
イメージ 1
 
 月桂冠大倉記念館の酒蔵の玄関である。
イメージ 2
 
 拝観料を300円払うと、お酒をプレゼントしてくれて中を見せてくれる。中には、お酒を仕込む時の伏見の湧き水があり、お酒を試飲できない人でも水はたらふく飲める。
イメージ 3
 
 中庭には、さるすべりの木が花を咲かせていた。このさるすべりの木の花、このあとの観光で日光や石山寺でも咲いていた。
イメージ 4
 
 今回写真は撮影しなかったが近くには、黄桜酒造の酒蔵もある。
 

【京都・嵐山】二尊院

 拝観料を払って入ると右手に、西行庵跡という石碑が見える。
 何故、こんなところに西行の庵跡があるのだろう。日本史にはまったく精通していない私には、西行は吉野山に籠もったぐらいしかわからない。
 
 
イメージ 1
 
 この後、本堂には御覧の様な石段を登ります。紅葉の時期は、綺麗でそれからジャイアント馬場でも高田の馬場でもなく紅葉の馬場と名づけられております。
 
イメージ 2
 
この突き当りを右に曲がると、本堂への入り口があります。
イメージ 3
本堂です。
イメージ 4
 この二尊院の裏手を小倉山と言っているそうです。確かに、この裏手は整備されていますが、その石仏等がかなり現代風であるため、百人一首に出てくる様な平安の奥ゆかしさは全くありません。
 それに興ざめして、カメラのシャッターを全く切らずに出てきてしまいました。
 下の写真の様に、法然上人の廟があります。
 他にも、天皇(亀山天皇、御嵯峨天皇他分骨稜)や坂東妻三郎や田村高広のお墓もあります。
 
イメージ 5
 
 二尊院はここまでにして、これから、洛南に行くことにしました。
 
 二尊院(にそんいん)は、京都市右京区嵯峨野にある天台宗の寺院。山号は小倉山。詳しくは、小倉山二尊教院華台寺という。二尊院の名は、本尊の「発遣の釈迦」と「来迎の阿弥陀」の二如来像による。
総門を入った「紅葉の馬場」と呼ばれる参道は、紅葉の名所として知られる。また、奥には、百人一首ゆかりの、藤原定家時雨亭跡とされる場所がある
 
 平安時代初期の承和年中(834年 - 847年)、嵯峨天皇の勅により円仁(慈覚大師)が建立したと伝える。以後、荒廃するが、鎌倉時代初期、法然の高弟である湛空らにより再興される。
応仁の乱により堂塔伽藍が全焼するが、本堂と唐門が約30年後の永正18年(1521年)に三条西実隆によって再建された。

【京都・嵐山】直指庵

 直指庵は、中々分かりにくい場所にあった。このくそ暑い時期にこの場所を訪れるのは、私ぐらいしか居なかった。但し、本堂の中の閑静な雰囲気は素晴らしいがかなしいかな撮影禁止なのである。
 この寺は、駆け込み寺とも言われ、悩みを綴ることがことができる思い出草という雑記帳がおいてあり、多くの人の思いがつづられていた。
 境内には、モリアオガエルの産卵場所もあるほども辺鄙なところであるが嵐山の駅からそれほど遠く無い。それこそ、京都がいなかであることが分かる。
 ところで、悩みについては私も若き頃は悩み多き青年だったが、もう世の中を達観した「じじい」なので、このところこういう事には少し縁遠くなっている。
 但し境内に掲げてあった「生きていることだけで、素晴らしい?ありがたい?」(だったと思うが)の言葉は何か印象的であった。
 
イメージ 1
 
イメージ 2
 
 直指庵(じきしあん)は、京都市右京区にある浄土宗の寺院。山号は祥鳳山。寺号はない。本尊は阿弥陀如来。隠れた秋の紅葉の名所としても知られている。
 江戸時代1646年正保3年)に独照性円が没蹤庵を建てたのに始まる。名前の由来は独昭禅師が黄檗禅の正統さを「直指伝心」することを旨としたことによる。その後荒廃し、幕末近衛家老女津崎村岡局が浄土宗の寺として再興したのが現在の直指庵である。
 再興時の建物は明治年間に消失し、現在の建物は1899年(明治32年)に再建されたものである。

【京都・嵐山】大覚寺

 8月12日JR嵯峨野嵐山駅を下車し、トロッコ列車の嵐山駅を撮影し、これまで2回嵐山を訪れたがこれまでに観光できなかった大覚寺、直指庵等を訪ねることにした。
 大覚寺横の大沢池には、蓮が綺麗に咲いていた。大覚寺の中には入らず、ここでしばし写真を撮影することにした。
 
イメージ 1
 
イメージ 2
 
イメージ 3
 
イメージ 4
 
唯一撮影した大覚寺。心経宝塔と呼ばれるらしい。 
イメージ 5
 
そういえば、大なんとかとかいうダンサーに逃げられた小柳ルミ子が歌っていた歌にこんなのがあったなあ。3番に注目してね。
(1) 京都 大原 三千院  恋に疲れた 女が一人  結城(ユウキ)に塩瀬の 素描の帯が  池の水面に 揺れていた
  京都 大原 三千院  恋に疲れた 女が一人
(2) 京都 栂尾(トガノオ) 高山寺 恋に疲れた 女が一人  大島紬(ツムギ)に つづれの帯が
  影を落とした 石畳  京都 栂尾 高山寺  恋に疲れた 女が一人
(3) 京都 嵐山(ランザン) 大覚寺  恋に疲れた 女が一人  塩沢がすりに 名古屋帯  耳を澄ませば 滝の音
  京都 嵐山 大覚寺 恋に疲れた 女が一人  
<wikiより>
 大覚寺(だいかくじ)は、京都市右京区嵯峨にある、真言宗大覚寺派大本山の寺院。山号を嵯峨山と称する。本尊は不動明王を中心とする五大明王、開基は嵯峨天皇である。嵯峨天皇の離宮に改めた皇室ゆかりの寺院である。また、後宇多法皇がここで院政を行うなど、日本の政治史に深い関わりをもつ寺院である。また、嵯峨天皇に始まるという華道嵯峨御流を今に伝える寺でもある。
 時代劇の撮影所が多い太秦の近くということもあり、寺の境内(大沢池や明智門など)は(特に時代劇の)映画テレビなどの撮影によく使われている (#舞台となった作品)。
 
 嵯峨野の北東に位置するこの地には、平安時代初期に在位した嵯峨天皇が離宮を営んでいた。嵯峨天皇の信任を得ていた空海が、離宮内に五大明王を安置する堂を建て、修法を行ったのが起源とされる。嵯峨天皇が崩御してから30数年後の貞観18年(876年)、皇女の正子内親王淳和天皇皇后)が離宮を寺に改めたのが大覚寺である。淳和天皇の皇子(嵯峨天皇には孫にあたる)恒貞親王(恒寂(ごうじゃく)法親王、仁明天皇の廃太子)を開山(初代住職)とした。
 鎌倉時代になると、亀山法皇や後宇多法皇が入寺し、ここで院政を行ったため「嵯峨御所」とも呼ばれた。なかでも、後宇多法皇は伽藍の整備に力を尽くしたため、「中興の祖」と称されている。亀山法皇・後宇多法皇の系統は当寺にちなんで「大覚寺統」と呼ばれ、後深草天皇の系統の「持明院統」と交代で帝位についた(両統迭立)。この両系統が対立したことが、後の南北朝分裂につながったことはよく知られる。元中9年(1392年)、南北朝の和解が成立し、南朝最後の天皇である後亀山天皇から北朝後小松天皇に「三種の神器」が引き継がれたのも、ここ大覚寺においてであった。
このように、皇室ゆかりの寺院であり、代々法親王が住職となった門跡寺院であるため、現在でも御所風の雰囲気がただよっている。御所跡地が国の史跡に指定されている。
 
この後、暑い中を直指庵に向かった。
 この夏の旅の始まりは、ここからだった。
 丁度二週間前の日曜日。今日の様な快晴の天気だった。
 嵯峨野嵐山駅は、今回で3回目であるがSLを撮影したのはこれが始めてである。この後、トロッコ列車には乗らずこの近辺の神社仏閣を回った。
 
イメージ 1
 
イメージ 2
 
イメージ 3
 
イメージ 4
 
イメージ 5
 
SLのほかにも、有料だけどジオラマも楽しめます。
 
イメージ 6
 
更に流石に京都ですね。平安時代のトロッコ列車「牛車」もありました。
イメージ 7
ntn*t3*3
ntn*t3*3
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(2)
  • KOWasHere
  • ひまわり
友だち一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

最新のコメント最新のコメント

すべて表示

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る
本文はここまでですこのページの先頭へ

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン

みんなの更新記事