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30年前の会津の風景。秋に開催される会津祭り。
この会津の秋祭りは、会津の先人に感謝するとともに、戊辰の役で亡くなった会津藩士や戦火に巻き込まれた方の慰霊と鎮魂のために実施しているとか。
その最大のイベント「会津藩公行列」だそうだ。「会津藩公行列」は、幕末を中心とした、総勢約500名で構成され、武者姿で練り歩きます。各所では奴隊による毛槍による所作も披露されるとのことである。
その一コマが下記写真。
ハンサムウーマンが一杯。この中に、幕末のジャンヌ・ダルグこと新島(山本)八重役は居たのか。当時30年前は、そんな知識もなし。徳川に最後まで忠誠を尽くした会津という封建的な土地柄が偲ばれる。
会津出身の俳優 佐藤 慶
更に、時は流れて同じ年の11月の会津。鶴ヶ城も紅葉の季節を向え、冷たい雨が降っていた。
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旅:日本の風景(東北)
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今からかれこれ30年前の話である。仕事の都合で、東京に滞在していたが、東京から更に北の福島県会津若松に長期出張をすることになった。
長期出張の時期は、夏だった。東京から、更に北の東北地方ということでなにか都落ちというイメージがあった。
まあ、長期出張中の使命は、仕入先の生産技術的な支援であったがまだ駆け出しの技術者だったので直ぐには仕事のアウトプットは期待されていなかったかもしれない。
特に、この頃は軽薄短小が持て囃された時代でもあり、半導体のプロセスなんかの仕事が自分の領分であると思っていた自分を、額に汗して働く職場も世の中にはあるのだということを知る上では貴重な経験だったと思う。
あれから、30年。NHK大河ドラマでこの会津の地が脚光を浴びている。ヒロインの綾瀬はるかがこの会津の地を訪ねたりする番組を放送したりして、私は時々垣間見れるその風景は、昔の思い出がそのまま蘇る。
あれから、30年。この頃は、その後ちっぽけな日本を出て、外国で仕事をするなんてことは全く及びもしなかった。東北の田舎町で仕事していること自体が不思議だった。
あれから、30年。結婚して、家庭を築き、子供が大学生にまでなった。また予てから希望だったマイホームも長期優良住宅で建て、そしてマイカーもこの当時から欲しかった4WDのSUVを購入できた。
そう、考えると山あり谷ありだったが幸せな人生だったと思える。
◆会津に長期出張の時、歯が痛くなった。そこで、鶴ヶ城の堀の直ぐ横の小山歯科医院で診療してもらった。どうやら、親知らずが虫歯になっており直ぐに抜歯してもらった覚えがある。診察を待つ間、鶴ヶ城のお堀の木々の青さが目に焼きついておりいまもその記憶が薄れない。
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高村光太郎の「智恵子抄」の中にこんな一節がある。
”智恵子は東京に空が無いといふ。 ほんとの空が見たいといふ。 私は驚いて空を見る。 桜若葉の間(あいだ)に在るのは、切っても切れないむかしなじみのきれいな空だ。どんよりけむる地平のぼかしはうすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。 阿多多羅山(あたたらやま)の山の上に毎日出ている青い空が智恵子のほんとうの空だといふ。あどけない空の話である。” 高校時代にこの一節を読んだときから、安達太良山とはどんな山なんだろうと思っていた。今から、30年前にこの山を訪れた。
おりしも、梅雨時だったためか、天気は悪かった。
雨に濡れて、高山植物が綺麗に咲いていた。
雨が降り、到着した山小屋(たしか、くろがね山荘という名前で、温泉があったと記憶している。)では、その時好きだった女性のことをづ〜と考えていた。そして、何もやることがないので、眠り続けた。
山小屋で一泊し、麓まできた時に晴れ間が見えてきた。
やっと、SL以外の記事が書けた。 |
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岩手平泉から、一路東北自動車道を南下して、山形道に入り一気に山形に。
今回の目的地のこの場所は、実は以前から訪れたい場所の一つであった。
というのも、1999年この地を仕事で訪れた時に仙山線から見た山寺の風景が目に焼きついていたからである。その時は、お連れのものがいたために、カメラ1台出して写真を撮影するのもはばかられた。
撮影したいと思った風景は、この様な風景である。
何故、撮影したかったかというとその風景がいかにも山水画に出てくる様な風景で、中国の山奥か、韓国の南山を思い出すのである。
立石寺(りっしゃくじ)は、山形県山形市にある天台宗の寺院。山号は宝珠山。本尊は薬師如来。寺号は詳しくは宝珠山阿所川院立石寺(ほうじゅさんあそかわいんりっしゃくじ)と称する。山寺(やまでら)の通称で知られ、古来より悪縁切り寺として信仰を集める。寺名は古くは「りうしゃくじ」と称した。蔵王国定公園に指定されている。平泉中尊寺・毛越寺、松島瑞巌寺とともに「四寺廻廊」という巡礼コースを構成している。
ところで、この山寺に登ってよいなと思った写真を紹介したい。
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