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さすらい旅の途中
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書庫旅:日本の風景(中国)

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息子が小学校5年の冬休みのことである。息子と中国地方を旅行しようということになった。
確かに、新幹線で姫路まで行き、姫路城を見学した後に岡山に行き、岡山では後楽園を見学し、倉敷の美観地区と大原美術館、そしてチボリ公園を見たとおもう。
倉敷で一泊した後に、広島で安芸の宮島と原爆ドームを見て帰ってきた。
その時の安芸の宮島である。
現在は、NHKの大河ドラマ「平 清盛」で大ブレークしている様であるがこの時は、世界遺産に登録されて観光客がいるもののまあ、芋洗い状態でごった返すというほどではなかった。
宮島では、名物の牡蠣と広島焼きを息子に食べさせ、息子も満足げであった。帰りに、にしき堂のもみじ饅頭ではなく、だいこん屋のもみじ饅頭を購入して帰宅した。
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 止みそうもない雨のために、米子に長く留まっても、京都に早く到着してもしょうがないために米子から各駅停車で京都まで行くことにした。
 それも理由がある。確かに、京都行きの高速バスを利用すればJRの在来線より3時間遅く米子を出発して、1時間程度早くつくことができる。また運賃も高速バスの方が安い。
 でも、あの夢千代日記に良く出てきた餘部の鉄橋を見たかったこともあるので、在来線を選択した。
 この夢千代日記は、今から30年ぐらい前にNHKのテレビドラマで確か吉永小百合が夢千代役で出演していたのであるが、そのストーリーはあまりはっきりと覚えておらず、記憶にあるのは餘部鉄橋と日本海(差別用語かましれないが裏日本)の暗い風景であった。
 米子発13時9分の快速とっとりライナーに乗車すれば、鳥取に14時41分に到着する。
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 そこで、それに乗ることにし、トリンドルの故郷鳥取まで行くことにした。途中、ハワイ(羽合)の近くも通る。この地方は、どうやら糸電話で通話しているらしい。
 車窓から家々をみると、入母屋造りの家が多い。都会でみうけれれる様なへーベルハウスやパナホームといった家は殆ど見受けられない。家でその経済状況を判断するのは、ある意味失礼かもしれないが日本も都市と地方との経済格差が広がっている気がした。
 
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 さすがに、豊岡や福知山まで来ると都会の今風の建物が増えてくるのである。
 話は戻って、鳥取を15時14分に出発して16時に浜坂に到着した。浜坂を16時に出発し、餘部の鉄橋を越え、豊岡には17時18分の到着した。
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 そして、17時33分に出発し、福知山には18時50分に到着し、55分に出発し園部に20時10分に到着した。それから、園部を20時22分に出発し、京都円町に到着したのは20時58分であった。
 京都に到着する頃には、さすがに雨も小降りになっており、円町から息子の下宿がある東天王町に向かった。
 
 5月2日、朝目が醒めると、雨が降っている。
そこで、本日は松江城や宍道湖へ行くのを止めにして、唯一境港に行くことにした。境港は、言わずとしれた漫画「ゲゲゲの鬼太郎」の作者水木しげるの出身地である。
 7時過ぎの米子行きの山陰?鳥取?ライナーとかいうのに乗車し、安来を通り、米子に到着したのは8時40分だったと思う。たかだか、60Kmを走破するのに1時間以上掛かるとは太平洋ベルト地帯では考えられない。
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 ところで私は、水木しげるの書く漫画にはある意味好意を持っている。
 彼の戦争体験の中で、確かガダルカナル島で進駐しているとき、夜に前に進もうとしてもどうしても進めない。なにか、ぬりかべの様なものが邪魔をして進めなかった。
 でも、朝起きてみるとそこは、断崖絶壁だった。これで、妖怪が本当に居るのだと核心したと・・・。
 私も同じ様な経験をしたことがある。朝起きようとしたところどうしても起きられない。特に前日までの疲労が相当たまっていたわけではないのだが、どうしても起きられなかった。家族のものが起こしに来たがおきられない。
 でも、もし起きてその場所に出発していたら、交通事故に巻き込まれていた可能性があった。
 私は、妖怪ではなくこれはなにかわからないが神様か、ご先祖様の仕業と思っている。到底、科学では説明の出来ないことが長い間(それほど長く無いが・・・。)生きていると起こるのである。
 ということで、米子から境港までねこ娘電車に乗って向かった。そして、電車に揺られること45分終着駅の境港の到着した。
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 境港駅には、水木しげるのブロンズ像がある。その他にも、河童の泉や妖怪神社、水木しげる記念館がる。
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又、土産物屋に入ったら、向井理はじめ多くの芸能人のサイン色紙が飾ってあった。
そして、みやげ物として、目玉おやじの箸置きを購入した。そして、またもと来た道を境港駅まで戻った。
そして、復路はねずみ男電車に乗車して米子まで戻った。
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そして、どうやら雨が降り止まないために、米子に長く留まっても、京都に早く到着してもしょうがないために米子から各駅停車で京都まで行くことにした。
16時15分前後大田市駅発の山陰本線各駅停車に乗車し、出雲市駅に到着したのは17時前後だった。
これから、17時10分の出雲大社行きのバスに乗り、出雲大社に向かった。
5月1日という平日ということもあり、更に時間帯も遅いせいか、出雲大社には殆ど観光客は居なかった。ある意味、寂しかった。
 
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2013年は、遷宮のためか、殆ど中を見ることができず残念な結果になってしまった。それでも、縁結びの神様なのであるが家族を幸せを祈ってお祈りした。
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この後は、一畑電鉄の写真を撮影し、旧大社駅を撮影してホテルに行くことにした。
一畑電鉄の出雲大社前駅は、出雲大社の玄関から大鳥居までの間にある。小さな駅なので、ぼっ〜としていると見落としてしまいそうである。
 ガイドブックには、シャンデリアとシンプルなステンドグラスが印象的とかなっているが先を急いだために中には入らず。
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 この一畑電鉄は、映画「RAILWAYS」の舞台になった私鉄というかローカル線である。この映画49歳で電車の運転手になった人の物語である。
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そして、JRの(出雲)大社駅跡に向かった。さすがに、遅かったせいもあり、中に入ることはできなかったが、昔の国鉄時代の面影がまだ伺い知れる。
 
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そして、石見銀山と共に栄えた熊谷家である。銀山経営とともに、酒造りもやっていたとか。
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 そして、バス停のある大森代官所までなんとか数分前に戻ってこれた。
 現在は、石見銀山資料館として利用されている。
 今回、約2時間でざっと回ったが出来れば3時間ぐらいの余裕があった方が良い。それと、この石見銀山の町並みには、セブンイレブンとかローソンとかコンビニはない。
 PETボトルの購入は、出雲駅前のポプラというコンビニでしていかないといけない。
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以上が石見銀山をざっくり紹介したが、38年前に来た時は世界遺産の「せ」の字、石見銀山の「い」の字もなかった。
この石見銀山に一番近い仁万の駅の写真があるが、今回は大田市から往復したため、現在この仁万の駅がどうなっているか見ることができなかったのは残念である。
38年前の石見銀山から最寄の仁万の駅
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 ところで、このSL(D51774)は、JRの旧大社駅に静態保存してある。それを見たときに、38年前に本当に自分がこの地に来たんだということを実感した。(次の記事に、その写真を掲載します。)
 何か、自分探しの旅が出来た気がした。

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